たまたま20161227投稿のブログを読み返した。
昨年9月から12月まで1時間程度の有償ボランティアの帰りに、10時過ぎから12時から1時頃まで中央図書館に寄り道したことを書いていた。
それを読んで当時のことを思い出した。
週に2回から4回程度のボランティアであったが、ボランティアを終えてから必ず図書館に立ち寄って帰った。
その時、様々な本を読んだ。
考古学や哲学や文学を読んだ。
時間は短かったが、ノートをとりながら読んだので、それなりに内容は理解できた。
今から振り返るとかなり、知的成果を上げていたように思う。
それに比べ、今年になって、ほとんど本を読んでいない。
家にいると、それなりの用事を自分で作るし、それ以上にTVを見てしまう。
やはり、強制的に一定時間図書館に籠った方がよさそうだ。
そもそも学ぶことや本を読むことは好きであり、学んだことは蓄積され、消えない。
つまらぬ遊びをしても、何も残らない。
せめて、自分の内面にそれなりに自慢できるものを持ちたいと思う。
見せびらかすのでなく、自分自身の楽しみと誇りのために
昨年9月から12月まで1時間程度の有償ボランティアの帰りに、10時過ぎから12時から1時頃まで中央図書館に寄り道したことを書いていた。
それを読んで当時のことを思い出した。
週に2回から4回程度のボランティアであったが、ボランティアを終えてから必ず図書館に立ち寄って帰った。
その時、様々な本を読んだ。
考古学や哲学や文学を読んだ。
時間は短かったが、ノートをとりながら読んだので、それなりに内容は理解できた。
今から振り返るとかなり、知的成果を上げていたように思う。
それに比べ、今年になって、ほとんど本を読んでいない。
家にいると、それなりの用事を自分で作るし、それ以上にTVを見てしまう。
やはり、強制的に一定時間図書館に籠った方がよさそうだ。
そもそも学ぶことや本を読むことは好きであり、学んだことは蓄積され、消えない。
つまらぬ遊びをしても、何も残らない。
せめて、自分の内面にそれなりに自慢できるものを持ちたいと思う。
見せびらかすのでなく、自分自身の楽しみと誇りのために