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昨日記150530土(メール不通対応 弥生博物館 芝田町画廊 )

2015年05月31日 12時15分41秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
曇  最高/最低℃ =31.0  21.7
先程まで、メールの送受信がフリーズ状態になってその対応に追われた。
原因は不明だが、ウイルス対策ソフでスキャンできない状態にまでなった。
最終的にウイルス対策ソフトの中にある緊急対策用のボタンを押して、ネット上から強力ウイルス対策ソフトがPCに入りスキャンすると正常化した。
数日前、ブログでネット接続業者のことに触れたり、情報機関のことに触れたりしたのが、影響している可能性は捨てきれないが証拠はないので原因不明だ。
ただ、経験的に情報機関のことを書くと、それに関連した何かの対応(単にタイミングを合わせた程度の関係者のSNSへの投稿も含む)が毎回あるのは事実としてある。

また余談になったが、昨日はJR信太山の池上遺跡横にある、弥生博物館に行った。
岸本直文氏(大阪市立大学文学部准教授)の講演会「ヤマト国の形成と倭の国家形成の特質としての卑弥呼共立」を聞くためである。
会場はいつも通り満員で、横のパブリックビューイング会場としてのロビーも約100人近い人で満員だった。
話の要旨は、昨年秋に、考古学研究会(岡山 だれでも会費を払えば入会できる。考古学研究者の多くが参加し、審査を受けた論文やエッセイが会誌に掲載される。一般的に掲載されるとそれなりのレベル以上の研究者と評価される。)で発表されたことをベースに話された。
要約すると、弥生時代から古墳時代への移行の時、世間では北九州の勢力が畿内に何らかの形で入ったという説が有力になっている。
(過去の神話にもとづく神武東征説ではなく、具体的に考古学的な出土物研究から発生した仮説である。)
少なくとも、北九州には、魏志倭人伝に書かれた伊都国や奴国の存在があり、弥生時代後期には伊都国に相当する地域にある平原遺跡のように、当時の日本では類を見ない出土物が豊富にあり、その中には神話に出てくる八咫鏡ではないかというものまで含まれている。
そうした話は、最近のNHK歴史秘話ヒストリアでも、卑弥呼と関連して取り上げられていた。
その根拠となるのは、弥生後期に近畿にそれだけの経済力を示す出土物や遺跡がないというものであった。
今回の講演会はそうした見方を否定するものであり、紀元100年ごろには、北九州と近畿の力関係が逆転するというのだ。
その証拠として、弥生時代後期の高地性集落の広がりがあるという。
現在の分析では、弥生時代に発生した、大和川を中心に発達して連合勢力(大和 河内 摂津 和泉)が共同して力を付け、周辺に勢力を拡大した。
その結果、高地性集落が年代を追って周辺地域から瀬戸内に広がっていくという。
高地性集落は、防衛のためのもので、ほとんどの向地性集落は焼け落ちて以後廃絶するという。
その当時に銅鐸も消滅し、土器は庄内式土器に統一されるというのだ。
弥生時代の近畿は、平和的にまとまったのではなく、武力で統一されたということらしい。

そう考えると弥生時代から古墳時代への移行もよく合う。
一時期魏志倭人伝に記された、倭国の乱があったのか疑われた時期もあったが、弥生時代後期にはすでに古墳時代の準備も出来ていた可能性があるし、墳墓を見ても卑弥呼の墓といわれる巨大な前方後円墳である箸墓以前に纏向石塚や北九州の墳墓群や機内の方形周溝墓や様々な形の、有力者や王と呼べる規模の墳墓が出現する。
弥生時代は、みんな平等の平和な社会ではなかったようだ。

これと関連する話だが、数日前、日本人の遺伝子と他のアジア諸国の人達の遺伝子が違うことが分かったという報道があった。
日本人には、縄文人の遺伝子が受け継がれていて、グラフでは40%程度縄文系の遺伝子で半分以上はアジアの人達と共通の遺伝子のようだ。
ただし、世界でチベットと、確かインド洋の島にだけは、縄文人と同じ遺伝子が存在するという。
同時に、本土の日本人に比べ、沖縄の人達やアイヌの人たちは、より縄文人に近いことが遺伝子のグラフで示されていた。
これは、従来から状況証拠から唱えられていた、原始日本人=縄文人説と同じ結果である。

因みに、縄文時代は考古学的に見て、争いのない平和な社会であったと考えられている。
弥生時代になると稲作が開始される。
ところが、水田は村落全員の共同作業で、個人では出来ない。(例、田圃作り、水路作り、高倉作り)
従って、必ずリーダーが必要となり、働き手の優劣も大きい。
同時に収穫した稲作の貯蔵が始まり、富の蓄積が発生する。
天候や病害虫による不作も心配され、稲魂といった、稲の神・田の神宗教祭祀も発生するであろう。
部族や氏族別でも、コメの収量で経済力の差が出るであろうし、深刻な水争いも発生するであろうし、自然と、そこに争いや組織的な戦いも生じるだろう。
その結果首長=権力者が発生し、権力者同士地域間で緊張を高め、結果的に武力による集落の統合離散を繰り返し、大和の連合王権が形成されたという可能性はあるかもしれないが、それは更なる出土物の資料の増加と、研究の進展を待つしかない。

講演会を聞き終えてから、大阪まで戻り、梅田の芝田町画廊に行った。
そこでは、10人近い若いイラストレーターや美術作家がドローイングやペインティングを2日間にわたり行うという。
これだけの生ドローイングやペインティングを見たことがない。
いろんな才能を持っている人が、結構いるんだなと感心した。
その中の知人が名古屋の方で展覧会をしているので、そのことを聞くと、2月に結婚して名古屋に住んでいるというので、納得した。
そのごも、しばらくいろんな作家と話を楽しんで、画廊を後にした。
帰宅途中、いつもの店により、コーヒーを飲みながら読書を楽しんだ。


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