毎日新聞朝刊一面に「毎日ことば」という欄があって、語源大好き人間としては楽しみにしていますが、もう一つ面白いのは“解説はこの新聞のどこかに”とだけ書いてあって何ページにあるか判らないので、答えを知りたい時は新聞を丁寧に読まねば答えが判らないことです。
最近、この欄で「敗北」と「指南」という方角に関する文字が含まれた言葉が掲載されており、興味深く読みましたが、<語源由来辞典>などによる説明なども加え、その概略を下記します。
敗北:
“戦いに負けること。戦いに負けて逃げること”を意味しますが、この「北」は、方角を表しているわけではないのです。
「北」という漢字は、二人の人が背を向け合っている様に由来し、「相手に背を向ける」「背を向けて逃げる」の意味があるようで、そこから戦いに負けて逃げることを「敗北」と言うようになり、単に、争いに負けることも意味するようになったということです。
<漢字ペディア>でも、「北」には、”負けて逃げる”という意味があることが書かれています。
指南:
続いて、“教え導くこと”を意味する「指南」ですが、これは古代中国の方角を指し示す車「指南車」に由来するようで、これも方角の「南」とは直接の関係はない様です。
指南車は、人間が引く二輪の車で、車上に仙人人形を備えつけ、車をどの方向に動かしても、仙人人形の手が常に一定の方角を指す仕掛けが施されていたようです。
但し、磁石は使われず、左右の車輪の回転の差から機械的機構により方位を特定する仕組みであったとされていて、その仕組みは、現代の自動車などにおける差動歯車の原理に類似するもののようです。
従って、羅針盤とは異なり「自ら南の方角を探し当て示し続ける」機能は無く、指南車の示す方向はあくまで操作者が最初に設定した方角だったようです。
日本では斉明天皇4年(658年)と天智天皇5年(666年)に製作された記録が『日本書紀』に見られ、江戸時代の『和漢三才図会』にも引用が見られるようです。
「指南車」の説明がやや長くなりましたが、やがて「指南車」は「指南」と略され、道に迷わないよう一定の方向を指し示すことから、人に方向や進路を教え導く意味となったが、「指南」は比喩的に用いられて「手引き」の意味にもなり、「手引書」を意味する「指南書」という語も生まれた。
江戸時代には、大名などに仕えて武芸などを教授する役を「指南番」というようになり、転じて、指導する者も「指南」と言うようになったということです。
また、今日の夕食は昨日の残りの野菜を使ったテンプラなどが主体となりました。セロリーの葉のかき揚げも美味しかったですが、カレー味のゴーヤの唐揚げも結構いけました。
(まさ)
指南車の模型(『和漢三才図会』より)
今晩の夕食の一皿。ゴーヤの唐揚げ風、セロリの葉やタマネギとエビ/チリメンの掻き上げ、レンコンのはさみ揚げ(生協購入品)
カレー味のゴーヤ唐揚げ風