老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

近江八幡・安土へ   その③ 安土城跡

2018年11月20日 20時28分20秒 | 旅行/色々な風景
 織田信長の城として余りにも有名な安土城ですが、1579年(天正7年)に完成したものの、1582年(天正10年)に光秀の謀反により信長がなくなった本能寺の変の後まもなくの混乱期に天主閣やその周辺の本丸等の建造物焼失したと学びましたが、私自身の勝手な思い込みでこの安土城そのものが無くなったとの刷り込みになっていて、今まで殆ど興味がありませんでした。

 しかし、最近良く「安土城跡」を組み込んだツアー案内を目にするようになり、“アレッ 城跡は残っているんだ”と思い調べてみると、焼失したのは天主や本丸などだったが、その後も信長の嫡孫秀信が有名な清州会議の後に二の丸に入城したように、城としては十分に機能していたようです。(但し、秀吉の養子豊臣秀次の八幡山城築城のため、1585年(天正13年)をもって廃城されたという経過の様です。)

 従って、城内の石積みなどはそのまま立派に残っていて、昨今の山城ブームで一躍脚光を浴びるようになったようで、折角この近くに行くからには是非とも立ち寄らねばと思いました。


 駐車場から少し歩くと、想像していたよりも遥かに壮大な石段や石垣が眼に前に現れました。
大手道と呼ばれている中央の広い石段はかなり遠くまで真っ直ぐに登っており、かなり足に負担が掛りますが、まるで大都市にある中央大通りという感じで今まで見てきた山城というか城のイメージとは大きく違うのに驚きました。

 一般的な常識では、城内の道というものは敵の侵入を阻むためになるべく細く曲がりくねって作られていて、石落しなどの防御のための設備もあるのですが、そのようなものが見えないのです。
 やはり、安土城は軍事的な機能よりも、政治的な機能を優先させて作られたものという感じがしました。

 しかし、城の本丸跡や天守閣跡に近づくにつれて、やはり城らしい重々しい雰囲気が濃くなり、特に天守閣跡から見る周辺の景色はすばらしく、この城が完成当時の威容の程が偲ばれました。


 また、現在は大手道の右側の徳川家康邸跡と伝えられる場所に摠見寺の仮本堂があります。
もともとこの摠見寺は臨済宗妙心寺派の寺院で、安土城築城の際に信長が本丸の南西の峰に移築して自らの菩提寺にしたが、安政元年(1854)に本堂などが焼失と伝えられています。

 現在でも二王門と三重塔(これは生憎と改修中で見られませんでした)が現存しており、本堂跡もはっきりと残っています。尚、前述の仮本堂は昭和7年に建てられたもののようです。

 予想以上に綺麗な形で、通路や石垣が残されている、大きな城跡でした。(まさ)


大手道(生憎と一部が工事中でした)

石垣(秀吉邸跡)

同上

摠見寺の仮本堂(徳川家康邸跡)

石段。 一部に石仏も混じっています

同上

仏足石

天守閣跡へ

天守閣跡の礎石 中央部の1つだけが欠けていて、天守閣の姿が色々と想像されています

天守閣跡から見る近江平野

天守閣跡から見る琵琶湖。西の湖

摠見寺本堂跡

摠見寺二王門(上部から)

摠見寺二王門(下部から)

ツワブキがあちこちに咲いています