老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

ジェーン台風のこと

2018年09月05日 19時32分56秒 | 思い出すままに
(台風21号に関連しての記事で、今日2本目の掲載です)

 昨日の台風21号で、台風の恐怖、特に風の恐ろしさを身近に感じましたが、同時に思い出した記憶があります。

 昭和25年(1950年)に神戸で遭遇した「ジェーン台風」(※1)のことです。
当時は、私がまだ小学校の3年生で、疎開先の宍粟市から神戸に戻り、親父が何とか手に入れた瓦ぶきの家に住んでいました。

 家の場所は、神戸市灘区の弓の木町(現在は高徳町に町名変更)で、広い道(※2)に面していました。
確か昼ごろだったと思いますが、強烈な風が吹き始め、物資不足の時代で家の柱の木材等が弱いせいか、家はガタガタと揺れ、雨漏りも酷くて、家の中のあちこちにバケツや金タライを置き、数珠を手にして仏頼みしている祖母を中心に、家で一番太い柱の回りに座り込んでいました。(※3)

 そんな中で、今でも鮮明に覚えているのは
◆当時の建設資材不足で、家の屋根には確か“トンド(?)”と言ったように思いますが、杉の皮が使用されている家が多く、これが強風のためにまるで紙のように飛び回っていたこと。

◆戦後すぐの時期で、神戸のこの地域は戦災で焼失した空地が多く、また高いビルも殆どなかったので、現在と比べて随分と遠くまで見通せました。
丁度少し風雨が収まった時(多分、台風の目に入ったのだと思います)に外に出ると、家の真上は明るく晴れていたのに、大阪湾から紀州にかけて真っ黒な雲が見渡せたこと。
です。

 もう70年近くも前のことですが、非常に稀で怖かった経験なのか、良く覚えているものです。

(※1)ジェーン台風のこと
◆当時は台風をアメリカ風に女性の名前を付けていました。今風に言えば台風28号です。

◆台風の概要(WIKIPEDIAなどを参照しました)
・昭和25年(1950)9月3日10時頃に、徳島県日和佐町(現美波町)付近に上陸、台風は淡路島付近を通過し、12時頃神戸市垂水区付近に再上陸。その後、若狭湾へ抜け、日本海へ進んだ。(最盛期の中心気圧940ヘクトパスカル、最大風速50m/s)
・風台風で、近畿・北陸・東海では30m/sの暴風が吹き、神戸海洋気象台でも、最大瞬間風速40m/s以上となったが、計測器の破損により、一時欠測となった。大阪湾では、台風の強風による吹き寄せで高潮が発生し、船舶に被害が出たり、多くの家屋が浸水したりした。
ということで、規模/発生時期/コースなど、今回の21号と酷似しています。
※調べてみたら、当日は日曜日だったので、家族全員が在宅していたのかも知れません。

(※2)家の前の広い道
 神戸市の都市計画で広い道路幅が確保されていましたが、当時は神戸の三ノ宮駅の直ぐ南側に米軍の駐屯地があり、六甲山麓の現在の神戸大学理学部がある付近は米軍将校の住宅地になっているような状態で、この広い道路は私の家の前も含めて約1km程が仕切られ、米軍の連絡用の飛行機(セスナ)が発着する飛行場として利用されていました。
通常は、一般人も通行できるのですが、1日1~2回の発着の前には米軍のジープがアナウンスして通行をストップさせていました。
 その後、この道路は市電が通ったりしていましたが、現在は山手幹線となっています。

(※3)
当時は家の建築材料も頑丈なものがなかったし、付近に高いビルもなく風をさえぎるものもなかったので、台風が来る度に杉板などを窓の外から打ちつけて、強風に備えていました。(まさ)

台風21号襲来  ~続編~

2018年09月05日 14時21分50秒 | 散歩中に見かけた風景
 昨日は台風が通過して収まったのは夕方だったので、外の詳しい様子は余り判りませんでしたが、今朝団地の中を歩いてみると、あちこちで木が倒れたり、建物の雨どいが吹き飛ばされたりと、かなりの被害があり、強風の恐ろしさを改めて感じました。(まさ)


倒木

同上

折れた枝

吹き飛ばされた雨どい