個人ではどうしようもない戦争の影響を受けながらも、気を取り直して社業の確立に勤しんでいる時に、またもや詐欺に会うのです。
まさに、弱り目に祟り目、踏んだり蹴ったり、或いは一難去ってまた一難とも言えますが、それにも挫けず起き上がり小法師(おきあがりこぼし)のように逞しく前向きの姿勢を崩されなかった北山君です。(まさ)
水産物(冷凍鯛&イカ)の買い付けを開始し、それらを買った漁業会社向けに航海計器(レーダーや魚群探知機など)の販売をするために、南400Kmの避暑地と漁港のあるマル デル プラタ市まで深夜バスを利用して往復を繰り返しておりました。
深夜12時過ぎに出発、早朝6時過ぎに着いて、会社訪問、その日の真夜中12時過ぎのバスで引き返して・・・早朝に戻ってオフィスに直行、商談の結果を原稿にして、テレックス送信のために電信公社へ・・・。
往復のバスの座席の隣に女性に座って貰ったら、疲れはゼロ!
(これ、失敗編とは無関係ですけん、先走りして解釈せんように頼みます)。
1979年、水産物商社;北商(1981年、カズノコ倒産)、四大商社の一社、当国の漁業会社(漁船二隻を利用)、そして北商代理店のトーシンの4社で、イカ漁獲(当時は、漁網)、船内冷凍&日本向け販売プロジェクトを実施したことは、僅かですが躍進を実感することになりました。(トーシンは未だ、「社」といえるような組織じゃ無かったんですが)
トーシン社の役目は、イカ船2隻に2名づつを乗船させ、検品と作業の進捗を報告することでした。
勿論、下名が、ブエノス アイレスのオフィスで、乗船しとるもんと電話交信して進捗状況を聞いてそれを纏めて連絡をする役目でした、水産物のことはド素人、食べることしか知らん訳ですけん。
このイカ漁船にも、航海計器を販売済みでした。某日の電話交信で、航海計器以外に何か、商売になるようなもんは有りゃ~へんか?と聞いたら、売った魚群探知機の一つに、魚網につける機器に日本のアルカリ乾電池;NOVELブランドがあると・・・一回の投網作業だけで12個を使うとると。一日に何回かの間に、相当の個数を使っておるので消費量は相当じゃと・・・
この計器にゃ、このブランドのアルカリ乾電池じゃないとダメ!を理由にしたら売れる!が脳裏にひらめきました。
直ぐにそのメーカーを調べたら、富士通グループの富士電気化学工業(株)社。
そこに手紙を書きましたよ、アルカリ乾電池の輸入をしたいと。幸運にも、それを受諾してもらって、最初のオーダーは、1384ドル分の魚群探知機用の単一乾電池だけ。販売先は、漁船を持って魚群探知機を売った漁業会社、しかも漁船の船長に売り込みを掛けるんです。このNOVEL乾電池を使わんと器機に支障が・・・~「出る」とまでは一言も言わんかったです~、充電できる乾電池でも使えたんですけん。二回、三回と輸入して四回目からは、単二、単三乾電池も加えて、写真屋などにも少しづつ販路を開拓しました。
国内にアルカリ乾電池の競合会社は、三社ほどありましたが、日本製が一番!を自信を持って売り込みしておりましたよ。販売先の中にゃ、ヨケイなことをするんもおって、競合会社のと持続時間を調べる写真屋まで・・・
残念なことに、競合会社のほうが持続時間が長かったと。それは何かの間違い!で押し通すことになるんも当然です。
乾電池販売先も増えて、メーカーからは翌年の生産計画のために、輸入量の概算を求められるまでに取引量も増えていました。1980年末に日本に行った折には、浜松近辺の工場を見学しに連れていってもらい、大歓迎されたことを忘れません。
輸入額を増やすことで、通関費用(時に関税)が増加するんは世の習い、銀行から借金はできんので、その資金は友人のア国・国税庁の徴税検査官に「金が足りんから何とかしえくれよ」で、借して貰っては、商品を売って入金したら払うとりました。
そういう一日、販売先の紹介で、と2人連れの男たちが、オフィスに尋ねてきて、南のパタゴニア地方で乾電池を販売しておるので、富士・NOVELの乾電池販売を申し込んできました。会社の概要などを持参してくれんと取引きするんは無理!と断わりました恰好つけて。ホンマは即、売りたい一心、買い手の懐具合などは、調べることはしとらんかったんですから。
一週間後に再度、オフィスに来まして、そのパタゴニア地方の新聞に広告を掲載したんを持参してきました。この広告で注文がよ~け入っておる!と・・・
商品を買う前に宣伝する!こりゃ~大したもんじゃ、素晴らしい販売会社に決っておる!と思い込むんは当然で直ぐに、その場で商談し、2万ドルほどの販売が確定です。
乾電池販売の卸問屋でも、千ドルていど単位でしか買ってくれんかった頃にです。
当時の販売習慣は、30日&60日先付け小切手と引き換えに商品を渡す方法でした。翌週、彼等が手配したトラックで倉庫まで引き取りに来て、2枚の小切手を受け取り、商品を渡しました。『やった~、大商談』と大喜びしたんも当然です。
受け取った小切手の振り出し先が、パタゴニア地方在の銀行でなく、マル デル プラタ在の国立銀行支店だったので、オフィスに戻ってじっくり見た時に何故?の不思議な疑心的な感覚になりましたが・・・売上げ伝票の住所は、当国の最南端の街だったもんで、どうして違うんじゃろうと、まあ、買う前に宣伝・広告したんじゃから、悪い連中じゃない、が、不思議な疑心に思う気持ちを押さえ込みましたね・・・
一枚目の小切手の期日の数日前まで、その小切手を何回もとり出してそのサイン、国立銀行の支店にしたんはどうして・・・繰り返して見るんですが、どうも不安感がつのるので、友人の警察署長に電話して、経緯を伝えて相談しました。
「キタ、お前が不安感を持っとるんなら、それは詐欺じゃよ必ず!もう一ヶ月くらい過ぎておるから、ブツは売り飛ばしておるじゃろう。その国立銀行本店に、警視庁の銀行関係の詐欺専門の担当者が居るから、伝えておくから電話して会いに行けよ」で翌日、小切手をもって出向きました。
小切手を見て即、「これは盗難小切手じゃな多分」で、マル デル プラタ支店に電話して確認してくれました。刑事さん、驚く身振りまったく無し、落ち着いていました。
「残念じゃろうが、これは盗まれた小切手じゃよ。もう手立ては無いじゃろう。兎に角、この小切手を銀行に持っていって、預け入れなさいよ。不渡りの証明がされて戻ってくるから、それで詐欺行為ちゅうことになるから・・・それが手に入ってから、どうするか対処する以外に無いね~。もうブツは無いじゃろうし、コンタクトもせんじゃろう・・・」
「ただ一つだけ、可能性があるのは、3日後になっておる小切手の期日に、電話か何かの方法で荷物の買いを連絡してくるかも・・・その時にゃ直ぐに電話をここにしてくれよ、そしてオフィスに来るようにさせて留めておくように。15分以内に行くから、まあ1%くらいの確立じゃけど・・・」
取引先銀行に、期日3日前の(30日払い分)と60日期限の小切手の両方、預け入れしましたら、2枚とも『盗難された小切手』という証明がウラ面にされて戻りました。
もう二人に騙された!というよりか、広告に騙された!の気持ちだけ、頭の中は真っ白、物事を悟った気持ちじゃないのは当然です。刑事さんに小切手が戻ったことを電話したんですが、「そうか」と二人組みから何か連絡は無いか?」『無いですね~』の会話。
その会話の1時間後、2人組みが電話してきました。刑事さんが予想した1%だけの確立が当たった訳です。
『マル デル プラタで注文が多く入っておるので、今日中に準備して欲しい』とその一人。
慌てず、驚かず「今日、小切手を銀行に預金するから、前回同様に小切手をまず、オフィスに持って来れんと荷物は渡せない」
『今から、20分くらいでオフィスに小切手を持って行くから、夕方の荷物引き取りを準備してくれんか?』
「小切手を持ってきてくれたら、夕方にゃ準備できるが・・・」
『直ぐにゆくから、待って貰いたい』の会話が終わって即座に、国立銀行の刑事さんに「今、電話が入って20分くらいで、オフィスに来ると言うた」を通知しましたよ。
慌てた声で、「私等がゆくまで、話を引き伸ばしてオフィスに止めておくように」となりました。
15分も経たない内に、オフィスに来たのは2人組みでなく、販売担当と自己紹介する男だったんで、内心慌てたんですが、マル デル プラタで売れておることなどを話題に小切手を受け取った時、ドアのブザーがなって私服の刑事さん2人が来ました。
『2人のうちの1人かな?』
「いや、2人は来ていないが、販売しとると言うておるから、3人目と思う」
刑事さんたち、その第3の男に警察手帳を見せて同時に、ピストルを取り出して男の横面両方にくっつけて「2人組みはどこに居る?お前は今、ここに泥棒に入っとるんとどっちを選ぶかな? どこに居るんか言わんと泥棒に入ったことじゃから撃ち殺すが」と落ち着いた、諭すような声で・・・
ブルブル身体を震わしておる第3の男、『ここから、200mほどのカフェテリアで待っています』と声も途切れとぎれに・・・
「逃げようとしたら、撃つ!」と2人で男を挟んで、その両脇にピストルが見えないようにしてカフェテリアまで・・・、2人組は第3の男ともう2人が戻ってきたので、顔面蒼白、お縄ちょうだいとなりました。勿論、ブツは取り返すことはできませんでした。
結論;広告・宣伝ちゅうのは、全面的に信用せんことが大事ですけん、忘れんでください。
米国本社の日本の出先の何とかファウンド会社が、有名雑誌に広告・宣伝して何百億円を集めたけど・・・ちゅうこともありましたね~。
広告の威力ちゅうのは・・・広告会社の人たちを決して、批判するもんじゃ ありません。広告記事を信用して騙されるほうが、悪いんですけん。
まさに、弱り目に祟り目、踏んだり蹴ったり、或いは一難去ってまた一難とも言えますが、それにも挫けず起き上がり小法師(おきあがりこぼし)のように逞しく前向きの姿勢を崩されなかった北山君です。(まさ)
水産物(冷凍鯛&イカ)の買い付けを開始し、それらを買った漁業会社向けに航海計器(レーダーや魚群探知機など)の販売をするために、南400Kmの避暑地と漁港のあるマル デル プラタ市まで深夜バスを利用して往復を繰り返しておりました。
深夜12時過ぎに出発、早朝6時過ぎに着いて、会社訪問、その日の真夜中12時過ぎのバスで引き返して・・・早朝に戻ってオフィスに直行、商談の結果を原稿にして、テレックス送信のために電信公社へ・・・。
往復のバスの座席の隣に女性に座って貰ったら、疲れはゼロ!
(これ、失敗編とは無関係ですけん、先走りして解釈せんように頼みます)。
1979年、水産物商社;北商(1981年、カズノコ倒産)、四大商社の一社、当国の漁業会社(漁船二隻を利用)、そして北商代理店のトーシンの4社で、イカ漁獲(当時は、漁網)、船内冷凍&日本向け販売プロジェクトを実施したことは、僅かですが躍進を実感することになりました。(トーシンは未だ、「社」といえるような組織じゃ無かったんですが)
トーシン社の役目は、イカ船2隻に2名づつを乗船させ、検品と作業の進捗を報告することでした。
勿論、下名が、ブエノス アイレスのオフィスで、乗船しとるもんと電話交信して進捗状況を聞いてそれを纏めて連絡をする役目でした、水産物のことはド素人、食べることしか知らん訳ですけん。
このイカ漁船にも、航海計器を販売済みでした。某日の電話交信で、航海計器以外に何か、商売になるようなもんは有りゃ~へんか?と聞いたら、売った魚群探知機の一つに、魚網につける機器に日本のアルカリ乾電池;NOVELブランドがあると・・・一回の投網作業だけで12個を使うとると。一日に何回かの間に、相当の個数を使っておるので消費量は相当じゃと・・・
この計器にゃ、このブランドのアルカリ乾電池じゃないとダメ!を理由にしたら売れる!が脳裏にひらめきました。
直ぐにそのメーカーを調べたら、富士通グループの富士電気化学工業(株)社。
そこに手紙を書きましたよ、アルカリ乾電池の輸入をしたいと。幸運にも、それを受諾してもらって、最初のオーダーは、1384ドル分の魚群探知機用の単一乾電池だけ。販売先は、漁船を持って魚群探知機を売った漁業会社、しかも漁船の船長に売り込みを掛けるんです。このNOVEL乾電池を使わんと器機に支障が・・・~「出る」とまでは一言も言わんかったです~、充電できる乾電池でも使えたんですけん。二回、三回と輸入して四回目からは、単二、単三乾電池も加えて、写真屋などにも少しづつ販路を開拓しました。
国内にアルカリ乾電池の競合会社は、三社ほどありましたが、日本製が一番!を自信を持って売り込みしておりましたよ。販売先の中にゃ、ヨケイなことをするんもおって、競合会社のと持続時間を調べる写真屋まで・・・
残念なことに、競合会社のほうが持続時間が長かったと。それは何かの間違い!で押し通すことになるんも当然です。
乾電池販売先も増えて、メーカーからは翌年の生産計画のために、輸入量の概算を求められるまでに取引量も増えていました。1980年末に日本に行った折には、浜松近辺の工場を見学しに連れていってもらい、大歓迎されたことを忘れません。
輸入額を増やすことで、通関費用(時に関税)が増加するんは世の習い、銀行から借金はできんので、その資金は友人のア国・国税庁の徴税検査官に「金が足りんから何とかしえくれよ」で、借して貰っては、商品を売って入金したら払うとりました。
そういう一日、販売先の紹介で、と2人連れの男たちが、オフィスに尋ねてきて、南のパタゴニア地方で乾電池を販売しておるので、富士・NOVELの乾電池販売を申し込んできました。会社の概要などを持参してくれんと取引きするんは無理!と断わりました恰好つけて。ホンマは即、売りたい一心、買い手の懐具合などは、調べることはしとらんかったんですから。
一週間後に再度、オフィスに来まして、そのパタゴニア地方の新聞に広告を掲載したんを持参してきました。この広告で注文がよ~け入っておる!と・・・
商品を買う前に宣伝する!こりゃ~大したもんじゃ、素晴らしい販売会社に決っておる!と思い込むんは当然で直ぐに、その場で商談し、2万ドルほどの販売が確定です。
乾電池販売の卸問屋でも、千ドルていど単位でしか買ってくれんかった頃にです。
当時の販売習慣は、30日&60日先付け小切手と引き換えに商品を渡す方法でした。翌週、彼等が手配したトラックで倉庫まで引き取りに来て、2枚の小切手を受け取り、商品を渡しました。『やった~、大商談』と大喜びしたんも当然です。
受け取った小切手の振り出し先が、パタゴニア地方在の銀行でなく、マル デル プラタ在の国立銀行支店だったので、オフィスに戻ってじっくり見た時に何故?の不思議な疑心的な感覚になりましたが・・・売上げ伝票の住所は、当国の最南端の街だったもんで、どうして違うんじゃろうと、まあ、買う前に宣伝・広告したんじゃから、悪い連中じゃない、が、不思議な疑心に思う気持ちを押さえ込みましたね・・・
一枚目の小切手の期日の数日前まで、その小切手を何回もとり出してそのサイン、国立銀行の支店にしたんはどうして・・・繰り返して見るんですが、どうも不安感がつのるので、友人の警察署長に電話して、経緯を伝えて相談しました。
「キタ、お前が不安感を持っとるんなら、それは詐欺じゃよ必ず!もう一ヶ月くらい過ぎておるから、ブツは売り飛ばしておるじゃろう。その国立銀行本店に、警視庁の銀行関係の詐欺専門の担当者が居るから、伝えておくから電話して会いに行けよ」で翌日、小切手をもって出向きました。
小切手を見て即、「これは盗難小切手じゃな多分」で、マル デル プラタ支店に電話して確認してくれました。刑事さん、驚く身振りまったく無し、落ち着いていました。
「残念じゃろうが、これは盗まれた小切手じゃよ。もう手立ては無いじゃろう。兎に角、この小切手を銀行に持っていって、預け入れなさいよ。不渡りの証明がされて戻ってくるから、それで詐欺行為ちゅうことになるから・・・それが手に入ってから、どうするか対処する以外に無いね~。もうブツは無いじゃろうし、コンタクトもせんじゃろう・・・」
「ただ一つだけ、可能性があるのは、3日後になっておる小切手の期日に、電話か何かの方法で荷物の買いを連絡してくるかも・・・その時にゃ直ぐに電話をここにしてくれよ、そしてオフィスに来るようにさせて留めておくように。15分以内に行くから、まあ1%くらいの確立じゃけど・・・」
取引先銀行に、期日3日前の(30日払い分)と60日期限の小切手の両方、預け入れしましたら、2枚とも『盗難された小切手』という証明がウラ面にされて戻りました。
もう二人に騙された!というよりか、広告に騙された!の気持ちだけ、頭の中は真っ白、物事を悟った気持ちじゃないのは当然です。刑事さんに小切手が戻ったことを電話したんですが、「そうか」と二人組みから何か連絡は無いか?」『無いですね~』の会話。
その会話の1時間後、2人組みが電話してきました。刑事さんが予想した1%だけの確立が当たった訳です。
『マル デル プラタで注文が多く入っておるので、今日中に準備して欲しい』とその一人。
慌てず、驚かず「今日、小切手を銀行に預金するから、前回同様に小切手をまず、オフィスに持って来れんと荷物は渡せない」
『今から、20分くらいでオフィスに小切手を持って行くから、夕方の荷物引き取りを準備してくれんか?』
「小切手を持ってきてくれたら、夕方にゃ準備できるが・・・」
『直ぐにゆくから、待って貰いたい』の会話が終わって即座に、国立銀行の刑事さんに「今、電話が入って20分くらいで、オフィスに来ると言うた」を通知しましたよ。
慌てた声で、「私等がゆくまで、話を引き伸ばしてオフィスに止めておくように」となりました。
15分も経たない内に、オフィスに来たのは2人組みでなく、販売担当と自己紹介する男だったんで、内心慌てたんですが、マル デル プラタで売れておることなどを話題に小切手を受け取った時、ドアのブザーがなって私服の刑事さん2人が来ました。
『2人のうちの1人かな?』
「いや、2人は来ていないが、販売しとると言うておるから、3人目と思う」
刑事さんたち、その第3の男に警察手帳を見せて同時に、ピストルを取り出して男の横面両方にくっつけて「2人組みはどこに居る?お前は今、ここに泥棒に入っとるんとどっちを選ぶかな? どこに居るんか言わんと泥棒に入ったことじゃから撃ち殺すが」と落ち着いた、諭すような声で・・・
ブルブル身体を震わしておる第3の男、『ここから、200mほどのカフェテリアで待っています』と声も途切れとぎれに・・・
「逃げようとしたら、撃つ!」と2人で男を挟んで、その両脇にピストルが見えないようにしてカフェテリアまで・・・、2人組は第3の男ともう2人が戻ってきたので、顔面蒼白、お縄ちょうだいとなりました。勿論、ブツは取り返すことはできませんでした。
結論;広告・宣伝ちゅうのは、全面的に信用せんことが大事ですけん、忘れんでください。
米国本社の日本の出先の何とかファウンド会社が、有名雑誌に広告・宣伝して何百億円を集めたけど・・・ちゅうこともありましたね~。
広告の威力ちゅうのは・・・広告会社の人たちを決して、批判するもんじゃ ありません。広告記事を信用して騙されるほうが、悪いんですけん。