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老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

大阪のイメージ(続) 地名編  ⑤地名も柔軟に

2024年09月06日 20時49分53秒 | その他
 大阪市の地名というか番地名には他では見られない面白い地名があります。

(1)地名にA・B・C   
 歴史がある町だけに、住民にとって慣れ親しんだ地名は大事なものですが、何と大阪のど真ん中の中央区に上町A/上町B/上町Cという地名があるのです。

 1979年に、地名表記を判りやすいように整理しようと、住所再編が全国各地で行われましたが、旧南区上町の東隣にあった、旧東区の東雲町など10の町も住所の統合・変更を実施され。79年に誕生した新たな町名が「上町1丁目」で。「南区上町」と「東区上町1丁目」が隣り合うことになりました。

 しかし、その10年後の1989年に南区と東区の2つの区が合併して中央区になることになり、問題が起きました。

 旧「南区上町1番1号」と旧「東区上町1丁目1番」は、合併すると、どちらも「中央区上町1-1」になってしまうのです。

 行政側は旧南区上町に「上町2丁目」と町名を変えるよう要請するも、住民からは「昔から『上町』に住んでいるのは自分たちなのに『2丁目』になるのは納得できない」と猛反発が起きました。
旧南区上町は江戸時代、寺社が立ち並んでいた上町筋沿いで古くから栄えた一等地。地名への愛着が特に強かったのです。

 10年前に変えたばかりの<「上町1丁目」の町名を再び変更するわけにもいかないし、上町の町名を残し、2丁目にならないために>と住民らが知恵を絞り、街区符号に数字ではなく「ABC」「あいう」「いろは」「上中下」などを使う案が浮上した。

 そして、最終的にはアルファベット表記で妥協したということですが、地元住民の間でも「歴史のある『上町』がなんで『ABC』や」という違和感は今も残っているようです。


(2)番地に人名   大阪市中央区久太郎町4丁目渡辺  
 これも大阪市中央区なのですが、地下鉄本町駅のほど近く大阪のメインストリートである御堂筋のすぐ西側に、地元では「ざまさん」の愛称で親しまれる古い歴史がある「坐摩(いかすり)神社」がありますが、この神社の地名が「中央区久太郎町4丁目渡辺」なのです。

 この地名が生まれたのも、1989年に東区と南区が合併して中央区となった際ということです。

 この「坐摩(いかすり)神社」の宮司である渡辺紘一氏に拠ると、その由来は
・89年まで、坐摩神社のほぼ境内だけで東区の渡辺町を形成していた。ところが中央区の誕生に伴い、渡辺町は周辺の地区と統合され「久太郎町」となることになった。
・そして、渡辺町の名は消滅するはずだったが、それに待ったをかけたのが渡辺さんの父親の先代宮司だった。市議会など多方面に働きかけ、苦肉の策として番地として渡辺の名が残ることになったのだという
・それが実現した大きな背景は、この神社が全国の渡辺姓の発祥の地という特別な事情があり、全国の渡辺姓の人たちでつくる組織「全国渡辺会」の応援もあったという。

 余談ですが、渡辺宮司の説明によると、
「渡辺」とは、本来「渡しの辺り」を意味する地名だったようです。
即ち、渡辺とは旧淀川(現在の大川)に臨む現在の中央区の天満橋付近の船着き場を指し、平安期にこの地に定住した人たちが「渡辺」を名乗るようになったという。

・渡辺宮司の祖先も平安期までに渡辺姓を名乗り、宮司を代々務めてきました。更に坐摩神社は元々は天満橋の近くにあったが、豊臣秀吉が大坂城を築く際、現在の場所に移り、地名も付いてきた。
長い年月の中で、渡辺姓の人々は全国に散っていったのだということです。

(注)天満橋の南詰に近い、大阪市中央区石町2丁目に坐摩神社行宮という神社がありますが、この地が坐摩神社の旧地とされ、現在は「坐摩神社」の境外末社、御旅所(行宮)になっているようです。
(まさ)

 ※この項は、「大阪『地理・地名・地図』の謎」(谷川彰英、実業の日本社)、<日本経済新聞>などを参考にさせて頂きました。



大阪のイメージ(続) 地名編  ④大阪空港の名称と所在地

2024年09月05日 18時56分47秒 | その他
 大阪人や関西人には「大阪空港」或いは「伊丹空港」として馴染みのある空港についてです。

その① 名称:
 正式名は「大阪国際空港」なのです。
確かに、かっては国際線も発着していて結構利用させていただいていましたが、関西国際空港(関空)が出来て整備された1994年には全ての国際線が関空に移転し、以後は国内線だけになっています。

 しかし、空港法上の正式名称は「大阪国際空港」で、これは国際線移転後も「国際空港」の名称を据え置くよう地元自治体などが希望したためとされています。

その② 所在地:
 名称は「大阪空港」或いは「伊丹空港」が一般的なのですが、所在地は非常にややこしい様です。
 
敷地は大阪府の豊中市と池田市および兵庫県伊丹市の2府県3市にまたがり、ターミナルビルと事務所等は主に豊中市に、滑走路等は池田市と伊丹市に属しています。

 特に、空港ターミナルビル・大阪空港駅(大阪モノレール)・エプロン付近では、これらの府県・市の境界が複雑に入り組み、飛地が無数に点在して複雑極まりない様です。

 一般的に空港は埋め立て地などが多く、各地の空港でもその所在地が複数の自治体になっているケースは多い様で、関西国際空港も泉佐野市/泉南市/泉南軍田尻町の3自治体に亘っていますが、この「大阪空港」のように府県境をまたぐ空港は他にはないようです。(まさ)

※ この項は、「大阪『地理・地名・地図』の謎」(谷川彰英、実業の日本社)、<WIKIPEDIA>などを参考にさせて頂きました。



大阪のイメージ(続) 地名編  ③大阪駅と梅田駅

2024年09月04日 19時05分45秒 | その他
 都市名と主要駅の名前が違う所は、福岡市と博多駅などもありますが、大阪の場合は少し違います。

 先ずJRは「大阪駅」ですが、これと直結している私鉄の阪急と阪神は(両社は数年前に合併しH2Oという社名になりました)いずれも「大阪梅田駅」ですし、地下鉄も「梅田駅」なのです。

 このために、多くの観光客やインバウンドがまごつくことになるのですが、その由来が大阪らしいです。

 1874年に国鉄が開通し、「大阪停車場」が現在の大阪駅の場所に設置されました。
当時の大阪の中心地は堂島界隈で、新設の大阪駅は蒸気機関車から出る火の粉に拠る火災を恐れて、中心地を外れた淀川の支流沿いの沼沢地に造られたのです。

 この地は、田んぼを埋め立てて造った(埋め田)土地で、周囲も「埋め田」をもじって「梅田」として発展したので、「大阪停車場」は、市民からは「梅田ステンション」或いは「梅田ステーション」の名で親しまれていたようです。

 このような事情で、阪急や阪神は、大阪駅近くに乗り入れる際に「阪急梅田駅」「阪神梅田駅」としましたが、これは共にその後「大阪梅田駅」に代えられました。

 これに伴い、大阪市が地下鉄を整備するに当たっても、御堂筋線は「梅田駅」、谷町線は「東梅田駅」、四つ橋線は「西梅田駅」として開業しました。(まさ)

※ この項は、「大阪『地理・地名・地図』の謎」(谷川彰英、実業の日本社)、<WIKIPEDIA>などを参考にさせて頂きました。


 以前に、我が家ではコメ不足はそれ程問題ないと書き込みましたが、今日は久しぶりにカレーライスでも食べようと思ったら冷凍庫にご飯のストックがなく、慌てて焚きましたが、冷蔵庫の中に昨年スペインで買ってきたサフランがまだ少し残っていたのでサフランライスにました。
サフランライスのカレーライスも中々の味でした。(カレーは生協配達のレトルト品です)





大阪のイメージ(続) 地名編  ②大阪は関西か近畿か?

2024年09月02日 19時08分21秒 | その他
 次に悩ましいのは、大阪も含まれる地域の呼び方に、「関西」と「近畿」がありますが、どちらが妥当なのかということです。

 「関西」とは、元来は<特定の関所より西の地域>を指し、対称語は「関東」です。
  その境界となる関所については、「近江逢坂関」、「鈴鹿・不破・愛発(あらち)の三関」、「箱根関」と変化していたようです。
現在では京阪神とその周辺部のみを指すことが多いです。

 一方、「近畿」については、「畿」は「都」の意味なので、「近畿」は<皇居の所在地に近い国々>という意味になり、難波宮・平城宮・平安宮など古代より日本の都が置かれた皇城の地の周辺の地域となります。

 もう少し詳しく見ると、畿内は大和、山城、河内、和泉、摂津の5カ国。近畿地方は「京都、大阪、滋賀、兵庫、奈良、和歌山、三重の2府5県を含む地域」という区分が主流のようです。

 不思議なことに、地元の人は関西地方という言い方はしても、近畿地方とはあまり言いませんが、その理由は「近畿」は明治時代の教科書で登場した官製言葉というイメージが強いからでしょう。

 尚、国の公的な地方区分では「近畿」となっているようで、法務省を除いた国の出先機関など公的な組織は近畿を使うことが多いです。

 但し、対象となる地域については、京都、大阪、滋賀、兵庫、奈良、和歌山の2府4県が多いですが、近畿経済産業局や近畿地方整備局はこれ以外に福井県も担当しています。

 また、三重県は現在では東海地方(中京圏)に含まれていますが、伊賀地方は関西とのつながりが強いので、少しややこしい様です。(まさ)

※ この項は、「大阪『地理・地名・地図』の謎」(谷川彰英、実業の日本社)、<日本経済新聞><WIKIPEDIA>などを参考にさせて頂きました。



大阪のイメージ(続) 地名編  ①大阪か大坂か

2024年09月01日 18時57分02秒 | その他
(迷走する台風10号で大騒ぎしている間に、早くも9月。
今朝方は久しぶりにクーラーなしでも寝られる状態だったので、今日は思い切ってテニスに参加。
 例によって、ゲームには加わらずに練習程度の参加でしたが、1時間ほど汗をかいて体を動かしたので、少しスッキリした感じです)

  先日、大阪弁のことを書き込みましたが、大阪は歴史があるだけに、読みにくい地名が沢山残っていて、大阪に住んでいる人でも少し馴染みのない場所については読めない人も多いです。 

 代表的な地名は随分前に下記に纏めましたので、興味がある方はご参照ください。
大阪のイメージ補足:大阪市内の難読地名 - 途中の老いで... (goo.ne.jp) (2016.4.29)

 しかし、大阪の地名については判りにくいことが多く、改めてもう少し調べてみたくなりましたが、大阪の地名は本当にややこしいですね。

 先ず、難読地名については、知人たちからもまだまだあるよとの指摘を受けていますが、その内の一部を下記しますので、挑戦してみてください。(解答は一番下に・・・)
①遠里小野(大阪市住吉区) ②出灰(高槻市) ③私市(交野市) ④点野(寝屋川市)⑤中垣内(大東市) ⑥御厨(東大阪市) ⑦茱萸木(狭山市) ⑧蕎原(貝塚市) ⑨深日(岬町)


 続いて地名と言えば、先ず問題になるのは「おおさか」の漢字です。
現在では「大阪」ですが、戦国時代などでは「大坂城」に見られるように「大坂」だったのです。

 WIKIPEDIA等に拠ると、江戸時代中期には「大坂」と「大阪」が併用されていたようですが、明治維新後の1868年、新政府が大阪府を置いた際に、元来の「大坂」に代わって「大阪」が正式な表記となったということです。

 「大坂」が「大阪」になった、最大の理由としては、下記が挙げられています。
「坂」の字を分解すると「土に反る」となり、死を連想させることから、江戸時代のころから「大阪」とも書くようになっていた。
・「坂」が「士が反する」、すなわち武士が叛く(士族の反乱)と読めることから、旧士族への対応に苦労していた明治新政府は「坂」の字を嫌った。

 現在から見れば、「何だ、そんなことか!」というような理由で、我が「大阪」はうまれました。(まさ)

<難読地名>の解答
①おりおの ②いずりは  ③きさいち  ④しめの  ⑤なかがいと 
⑥みくりや ⑦ぐみのき  ⑧そぶら  ⑨ふけ