今日は朝からTVは阪神淡路大震災特集一色ですが、私のブログも昨日の続きです。
(2) 翌日
・(神戸の妹宅は亡くなった親父の家の跡地に立て直した家で、隣には2軒続けて親戚があり、何れの家の子供も兄弟のように育っていたので、従兄弟同士でも何かと連絡を取っていました。)その中の大阪に住む従弟と連絡が付き、午後から一緒に神戸に行こうということになりました。
・昼過ぎに、迎えに来てくれた従弟二人と落ち合い、ありあわせの食料品や水や水を入れる容器などを積み込んで出発。(この頃には、大阪でもスーパーの食料品や水などは在庫がなくなっていました)
昨夜の経験を踏まえ、幹線道路は避け、少し回り道ながら、通れそうな道を選び、神戸の灘区に向いました。
途中、あちこちで崩壊した家などを見て心配が増しましたが、信号もなく家の明かりもない真っ暗な道を慎重に進み、何とか夜には灘区の妹宅に到着。幸いにも妹宅や隣も親戚の家も無事でホッとしました。
・電気も水もない家に泊まるわけにもいかず、直ぐに帰宅でしたが、中国道が無事らしいと聞いて、神戸の灘区から六甲山を超え、有馬経由で中国道に出て、夜半過ぎに帰宅できました。
(3) 淡路のこと
震源地が淡路と判り、淡路に住む義父母や義妹のことも気になっていましたが、住んでいる洲本市の方はあまり大きな被害がなさそうと判り、ツレアイも一安心でしたが、神戸市内の交通網がズタズタで淡路に行くのは暫く見合わせざるをえませんでした。
暫く後で、神戸港から船で淡路に見舞いに行った記憶があります。又後述の通り、私はその後淡路とは大きな繫がりが出来ました。
(4) 仕事がらみ
・当時私は、名古屋に本社がある環境関係をメインとする小さな商社の大阪営業所に勤務していました。
偶々、この震災の少し前に神戸の兵庫区に本社があり、神戸市の西端に当たる西区に工場を建設中のある食品会社との間で水処理関係の商談が成立したばかりで、本社の打ち合わせや、工場とでの工事打ち合わせが忙しかった時です。
・しかし、大阪―神戸間の電車や道路は切断状態だったので、
本社に行くときは、当初は甲子園まで電車、そこで臨時のぎゅうぎゅう詰めのバスで神戸の三宮まで、そしてタクシー利用。工場へ行くときは中国道で三木経由という状態が半年余り続きました。
(半年ほどして、神戸の三宮まで電車で行けるようになり、少しは楽になりましたが・・・)
・また会社は環境器具の一環として、風呂の水を電力で循環させ一定の温度に保つという、今から思えばおもちゃの様なチャチな器具も扱っていたのですが、これば電気は何とか通じたが水道が復旧していない被害地に売れるということで、大手家電メーカーと提携して被災者相手に売り込んだこともありました。
(5) その他
・当時勤めていた会社に中国からの実習生が居て、日本に住む中国人の結束というか情報交換の速さには驚いたものですが、この地震の直後にその人が『内緒ですが、どうやら同程度規模の地震が2日以内にあるようですよ』といったので、「そんな根拠のない風評をばらまくものではない」と大声で叱ったこともありました。現在のSNSによるフェイクニュース伝播の先駆けみたいなことでした。
・幸いにも私だけでなく、私の身内や親戚関係には大きな被害はなかったのですが、当時の仕事仲間で家が崩壊した人も居ましたし、更に以前勤めていた会社の先輩が亡くなったり、同僚の親族が亡くなったりと、身近な所でも大きな被害を受けた方が沢山おられます。
・このような経験をし、私の人生観も大きく変わりましたが、これを機に物を単に左右に動かすだけの商社的な仕事ではなく、本当にコネも経験も何もない環境で、自分の体と知恵だけで何かに挑みたいと思う気持ちが強くなりました。
そして、ツレアイも快く同意してくれたので、「造園・園芸」という全く新しい世界に飛び込むという、思い切った決断に至りました。
その後、毎日早朝から地下足袋姿で造園・園芸に関わる基礎的な作業を習得したり、知識などを勉強し、色々な資格を取らせて頂きました。
・その後、芦屋市にある造園会社でも仕事をしましたが、芦屋市は地震の被害も甚大で、震災後の復旧に関わる公園整備作業などにも携わりました。
更に、西宮市仁川百合野町にある公園整備に関わる仕事もしましたが、ここに「地滑り資料館」というのがあり、阪神淡路大震災で大規模な地滑りが発生し大きな被害がでた跡地であることを知りました。
こんな訳で、知らず知らずのうちに、神戸淡路大震災からの復旧に関連する仕事に携わってもいました。
・これらの経験をもっと活かしたいと思っていた時に、この大地震前に兵庫県の淡路島に設立された県立の景観園芸学校のことを知り、ここで「園芸福祉」という分野のことを学ぶうちに、造園・園芸知識を生かしたボランティア活動などを通じて社会貢献できること事を知り、この道に進んだという次第です。
このようなことを振り返ると、直接は被害のなかったものの、身近なところで起こった神戸淡路大震災は、その後の私の生き方を大きく変える契機になったというのは紛れもないでしょう。
以上、長々と退屈な個人の想い出話に付き合って頂き、ありがとうございました。(まさ)