今日は好天気に誘われて京都の東山地区をタップリと歩き、夕方に京都に住む娘と落ち合ってタップリと飲んで、先程帰宅した所です。
今日の書き込みはお休みです。(まさ)
今日は好天気に誘われて京都の東山地区をタップリと歩き、夕方に京都に住む娘と落ち合ってタップリと飲んで、先程帰宅した所です。
今日の書き込みはお休みです。(まさ)
(正月早々の地震にはビックリでした。TVを見ながらウツラウツラしていた時だったのですが、大阪でも結構長い間揺れて、私はテーブルの下に潜り込みました。
現地での被害は相当なものらしいですが、先ずはお見舞い申し上げます。
この寒い時期に、被災されたり避難されている方も多く、引き続く余震の中で心身ともに大変だと思いますが、どうぞ身の安全第一にお願いいたします。)
新年に当たり、今一番私の心に響いている言葉を紹介します。
「有難い」という言葉で、最近しみじみとその言葉の意味を噛みしめながら、自分を取り巻く全てのことに対してこの気持ちを持つようにしています。
特に昨年6月の岡山での雨中でのハイキング中に滑落し、大怪我を覚悟したのに幸いにもかすり傷で済んでからは、美登里の顔だけでなく「有難い」という言葉が浮かんでくるようになりました。
◆<語源由来辞典>に拠ると、「有難い」は“人の好意などに対して、嬉しく思って感謝する気持ちを表す言葉”で、文語「有難し」の口語ですが、「有難し」は、動詞「ある(有る)」の連用形に形容詞「かたし(難し)」が付いた複合語で、原義は「存在することが難しい」「滅多にない」ということです。
そこから、「有難い」は「(滅多にないくらい)優れている、立派である」、さらに「(行為などが滅多にないことで)この上なく尊い、喜ばしい」という感謝の気持ちを表すようになったとされています。
この「有り難い」が転じて、今でも使う「ありがたい」「ありがとう」という言葉になったそうです。
◆また、<仏陀のことば>に拠ると、
文字通り「有ること難い」「めったに会うことができない」という意味です。
そんなに希なことに出会ったのですから、かたじけない、もったいない、恐れ多いという感謝の気持ちを表すことになります
◆また、この「有難い」という言葉の説明の際に、良く用いられるのが仏説譬喩経にある「盲亀浮木の譬え」です。
この言葉の詳細は後日にしますが、要約すると「私たち人間が生まれてくることは難しいことだ、有り難いことなんだ」ということのようです。
◆この「有難い」を調べていて、目にしたもう一つ興味を引く記事がありました。
<マイナビ ニュース>で、日本語を勉強中で、ラトビア出身のアルトゥルさんのツイート記事です。少し長くなりますが紹介すると、
難しい事が『無い』人生を生きるは『無難』な人生
難しい事が『有る』人生を生きるは『有難い』人生
『ありがとう』の漢字が『有難う』ってなるのは不思議だったけど、難しい事が有るから『ありがとう』って感謝が有るんだねぇぇ
『有難い』の由来には諸説ありますが、「滅多にないこと」が転じて「有ることが難い(かたい)」=「有難い」になったという話がもっとも有名なもののひとつだと思われます。
しかしながら、「困難のある人生こそ有難い」というこの解釈は、多くの人に勇気を与えてくれます。「若い時の苦労は買ってでもせよ」という日本のことわざにもマッチしているように思えますね。
という内容です。
私たちは、本当に偶然にこの世に生を受け、色々な人たちに巡り合って、そして支えられ、生きていられることは正に奇跡に近いもので、それ自体が有難いことなのです。
そんなことにも気付かずに、パー券での裏金造りに現を抜かす人たちは本当に可愛そうです。
私は年齢相応に病院・医院の診察券を10枚以上携帯しながらも、何とか元気なままでの我儘な生き方をして来られましたが、近くで支えてくれた美登里だけでなく、色々な人が私を支えて下さっていることに改めて気付き、自分に関わる全ての人に「ありがとう」という気持ちを心から伝えたいです。
更に、大阪の中心部に住みながら季節の移ろいが肌で感じられる自然環境に恵まれ、しかも毎日のブログで顔も知らない人が殆どですが多くの人と繋がって生活できていることにも改めて「有難い」と思っています。
新年に当たり、現在の私の素直な気持ちを書かせて頂きました。(まさ)
24年度の国の予算案が決定したようですが、余りと言えば余りの内容に、毎年のことながら愕然とします。
総枠はコロナ対策で大騒ぎだった昨年度よりは若干減ったみたいですが総額は112兆円強という所です。
だが、最大の問題は、国債依存度の依存が引き続いて余りに多いことです。
24年度予算においても、歳入の部では約35兆円と昨年よりは若干減ったものの歳入全体の33%を超えていますが、この大きな要因は歳出における国債費(借金返済と利払い)が約27兆円と昨年度比で7%余り増加しているからです。
この予算通りに進行すると、2024年度末の国債残高は、何と1100兆円を超えた状態で更に増えている見込みで、少しでも減らそうとした結果は何も出ていません。
家計に置き換えると、毎年の収入が770万円ほどの収入なのに、生活費が850万掛かる上に借金返済と利払いに270万円余りが必要なので、改めて350万円の借金が必要という訳で、この繰り返しにより借金の総額は1億円を超し、収入の13倍にもなっているということです。
どう考えても、破産状態に近いのですが、国が設立した中央銀行が新たな借金を認めてくれているようで何とか成り立っているという危なさです。
◆財政の健全化と言えば、収入と支出が見合うことでしょうが、この国の首相や財政担当者は「〇年迄には健全化を目指す」とはいうものの、その「〇年」は次々に先延ばしされたり、或いはその年にはもう居なくなっていて責任を問われないという事態の繰り返しです。
◆なぜこのようなことが繰り返されるのかと言えば、政権担当者はその政党での政権維持が最大の課題で、そのためには自分の懐が痛まない国債発行で得た資金を、選挙で勝つためにあちこちにバラまく必要があるからです。ある意味では選挙に勝つためのバラマキ資金をねん出するためにパー券売り上げに拠るキックバックに頼った、国会議員たちと同じ発想なのでしょう。
◆更に、家計の場合は「入るをもって、出るを制す」ですから、収支が合わないとなると一般的には食費/衣服費/交際費などを削ることに集中せざるを得ませんが、国家財政では単年度主義なので、例え借金が増えようともその年さえ何とか乗り切れば、後のことは知ったことではなく、次の政権が何とかするだろうというもので、国の将来の姿など全く考慮していないのです。
◆このような国の財政事情が続けば、消費税アップなどの増税や、弱者に対する支援切り捨てなどが避けられないだけでなく、何年か後には起きるだろうと言われている南海トラフ大地震や首都直下地震などに備えての準備など全くなく、国民は将来に対する不安だけが募るでしょう。
また、これだけの国の借金があるということは、金利などは上げられないわけで、将来に向けて円の基盤は弱くなって行く一方でしょう。(まさ)
大阪市は万博開催やカジノを含めたIR誘致を巡っては、市民の意向を十分に組んでいないような情けない政策を採っていますが、この物価高に喘ぐ市民の生活支援についてはかなり思い切った施策を実行しているように思えます。
◆先ず、道料金及び下水道使用料の減額措置
これは昨年も実行されましたが、エネルギー・食料品価格等の物価高騰の影響を受け続けている市民等の生活支援を目的として、水道料金及び下水道使用料の減額措置を実行しています。その内容は
・減額内容:水道料の基本料金935円と。下水道料の基本料金605円、計1,540円の減額
・期間:10~12月の検針分(計3か月分)
これに伴い、一人住まい(お風呂は自宅では入らず、スポーツジムの風呂を利用です)の我が家では水道・下水道代金の支払いが、10月検針分では55円で、11月検針分では77円で済むことになりました。
減額金額は、それ程大きいものではありませんが、日々の生活に密着するものだけに『支払いが減った!!』という実感度は非常に大きなもので、大阪市に対して感謝すると共に、やれ減税だ/給付だと騒いでいるだけで有難さが実感されない政府案の愚策を改めて感じます。
◆続いては、プレミアム付き商品券です。
これも、昨年に引き続いての施策ですが(昨年は、私はこの支援策を見逃しており、後で悔しい思いをしました)、かなり思い切った地域振興策です。
即ち、1万円の支払いに対して1万3千円の商品券が貰えて、この商品券はこれに賛同している小売店などで使用できるというもので、一人4口まで申し込めます。
先日この抽選通知が届いたので、今日指定のコンビニで4万円を支払い、5万2千円の商品券を受け取りました。
早速、近場の酒店に私の必須の嗜好品であるウィスキーを買いに出掛けたのですが、残念ながらこの店では紙の商品券ではダメで携帯アプリでしか対応できないとのことで使用できませんでした。
携帯へアプリを入れてこれで使用するというのは、携帯アプリ不信派の私にとっては大きな壁ですが、5万2千円を生かすためには、これ以外には方法がないようなので、今後頑張ってみます。
(私の、勘違いもありましたが、この商品券の使用可能期間は12月11日からで、この日はまだ使用不可能でした。何れにせよ、紙の商品券そのままで使える所と。携帯アプリでなければ使えないところがあるようです。)
他の自治体のことは全く知りませんので、詳しいことは言えませんが、大阪市としては比較的市民に寄り添った施策を実行しているように思えます、
今日見かけた近くの紅葉の風景などと併せてお知らせします。(まさ)
大阪市プレミアム商品券 52,000円分
<団地内の紅葉)
ハナノキ 先日と比べ一層赤くなりました
ヌマスギとナンキンハゼなど
ヤマボウシ
カエデ/ニシキギ
ニシキギ
カエデ
先日のことですが、スポーツジムで着替えている時に、隣にいた顔見知りの50歳位の人が突然に「失礼ですが、お歳は幾つでしょうか?」とのことで、別に隠すことでもないので「もう82歳のオジンですが、何か?」と答えました。
すると、その人は「お洒落ですね! そのお歳で<破れジーンズ>ですか」との事。
最初は何のことか判らなかったのですが、<破れジーンズ>とはジーンズの膝や太もも部分が横に裂けているようになっているジーンズを指すらしいことが朧に理解できました。
実は、私がその日に履いていたジーンズは、以前園芸作業の時に愛用していたもので、その後も良く履いていて、ポケットや膝部分が痛んで裂け目が入っている物でした。
そもそもジーンズは、アメリカのカウボーイや農夫たちに愛用されていた作業着らしいので、汚れたり裂けてもそのまま履かれることが多かったでしょう。
私としては、そんな由来は兎も角として、長年馴染んだもので愛着があるのと、少し太った現在のウエストにも何故か合うので愛用していますが、この裂け目は少し気になっていて、“そろそろお陀仏か”とも思っていたものなのです。
私は服装には気を遣う方で、色々と気に入ったものを買っていますが、あらためて見回すと、普段家で着ているものは着心地の良い着慣れたものが多く、汚れはないものの、日に当たり少し色変わりしたものや、少し形が崩れかけたものも結構あります。やはり、着る物を選ぶ基準は、愛着と着易さなのでしょう。
その人に褒められて〈?〉、そのジーンズに余計愛着が湧いて来ましたので、もう少し履きつぶしましょう。
そぅいえば先日見たTVで、<破れジーンズ>が若い人に人気で、わざわざ生地を裂いた新しいジーンズを製造しているメーカーもあるとかいうことを見て、非常に違和感を覚えたことを想い出しました。
わざわざ破れた新品ジーンズ通常品より高値で買うという感覚はどうしても私には理解できません。
・<破れジーンズ>が好きなのなら、自分で愛着を持って破れるまで着古せば良いと思いますし、
・ファッション的に破れジーンズが個性的で直ぐにでも履きたいと思うのなら、出来合いではなくて、自身が軽石などを使ってそれこそ世界で唯一の破れジーンズに加工するならまだ理解は出来るのですが・・・
今日ベランダを覗くと、ヤナギバルイラソウ(キツネノマゴ科)が、咲きかけたものの寒さで咲くのを諦めたのか、ガクの部分だけが開いているのが、健気というか何か愛らしさを感じました。(まさ)
私のジーンズの裂け目
同上
同上
ベランダのヤナギバルイラソウ
同上
同上