昨日も少し触れましたが、ブログではあまり触れたくないテーマですが、今回は宗教に関係します。
といっても、私はガチガチの熱心な信者ではないし、仏教に関する知識も殆どないので、宗教そのものを掘り下げたものではなく、普通の人が感じる仏教への関心程度のものです。
このブログに時々書き込んでいますが、我が家の檀那寺は祖父が住んでいた兵庫県の山奥にある臨済宗派の寺院で、先祖の法要時などにはこの寺院の住職に読経をお願いしていますし、祖母が元気な時にはお盆や祖父の命日などには、一家で仏壇の前でお経を唱えることが多かったです。
ということで、生まれてからこの方80余年にわたり、祖父母や両親の法事などで良く耳にしてきたのは「般若心経」で、お経といえばこれしか知りません。
数年前に、運転免許証を返納してからは、ご先祖様を納骨している檀那寺の隣にある墓地への墓参りもできなくなりましたので、永代供養は檀那寺にお願いすることにしたものの、ご先祖様のお墓は墓仕舞して、大阪の四天王寺に合葬してもらい、自宅に位牌だけを置いて、お盆などには檀那寺からのお参りをお願いしていました。
約2年半前にツレアイが亡くなってからは、ツレアイの位牌もご先祖様の位牌と並べて置いて、毎朝読経をするのが習慣となりました。
約2年半前にツレアイが亡くなってからは、ツレアイの位牌もご先祖様の位牌と並べて置いて、毎朝読経をするのが習慣となりました。
余談ですが、ツレアイの遺骨は位牌と共に自宅に置いており、私が死亡したときに一緒に四天王寺に納骨してもらうように子供に依頼しています。(四天王寺の合葬は、件数が多いので、納骨時期が異なると、祭塔が異なることが多いためです)
ツレアイが亡くなってからは、供養の意味で毎朝この「般若心経」を唱えていますし、2023年9月には四国88カ所霊場巡りに参加しましたが、88カ寺の大半を占める真言宗でもこの「般若心経」は大事なお経のようで、11日の間に200回近くもこのお経に接する機会がありました。
少し纏めてみると、
・子供の頃は、教本の漢字のフリガナを拾いながら、祖母や両親の読経についていくだけが精一杯で、勿論その内容などには関心もありませんでした。
・年を重ね、このお経にも少し慣れると段々と漢字の方を読むようになってきましたが、その意味など全く判らず、単にリズムとして唱えることが多かったです。
・ツレアイの死後、毎朝唱えるようになり、教本を見なくてもほぼ暗記で唱えることが出来ると共に、細かい意味までは分からなくても何となくその内容が判るようになった気がしてきましたが、読経の際にはリズムが良いように文章の区切りを無視して唱えることが多いし、漢字表示とはいえ日本語の文章ではなく漢文ですし、更に私が知らない漢字も沢山あります。また知っている積りの言葉も仏教的には違う意味のような気もして、もう少し調べてみたいという気持ちになりました。
要は、毎日意味も理解しないままで唱えているお経の意味を少しでも判れば、毎朝の行事がもう少し充実したものになるのでは・・・ というきっかけでした。
ということで、2023年の四国88カ所霊場巡り時に「般若心経」に関する入門解説書的な本を持参し、その後も時々この本を目にしていますので、門前の小僧ではなく門外のジジイなりに気付いたことを少し書き記したいと思います。
但し、「空」という根本思想だけでなく、仏教などの詳しい知識のない私があちこち当たり、ある意味では恐れ知らずの素人が独断と偏見で短期間に纏めたものですから、間違いが多々あると思いますが、好奇心旺盛な老人の早とちりということで、ご容赦下さい。(まさ)
新しいブログは、https://sin-masa.hatenablog.jp/ 【老いの途中で…(Part 2)】です。
