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老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

「般若心経」のこと その1 ~はじめに~

2025年08月23日 18時51分10秒 | その他
 昨日も少し触れましたが、ブログではあまり触れたくないテーマですが、今回は宗教に関係します。
といっても、私はガチガチの熱心な信者ではないし、仏教に関する知識も殆どないので、宗教そのものを掘り下げたものではなく、普通の人が感じる仏教への関心程度のものです。

 このブログに時々書き込んでいますが、我が家の檀那寺は祖父が住んでいた兵庫県の山奥にある臨済宗派の寺院で、先祖の法要時などにはこの寺院の住職に読経をお願いしていますし、祖母が元気な時にはお盆や祖父の命日などには、一家で仏壇の前でお経を唱えることが多かったです。

 ということで、生まれてからこの方80余年にわたり、祖父母や両親の法事などで良く耳にしてきたのは「般若心経」で、お経といえばこれしか知りません。

 数年前に、運転免許証を返納してからは、ご先祖様を納骨している檀那寺の隣にある墓地への墓参りもできなくなりましたので、永代供養は檀那寺にお願いすることにしたものの、ご先祖様のお墓は墓仕舞して、大阪の四天王寺に合葬してもらい、自宅に位牌だけを置いて、お盆などには檀那寺からのお参りをお願いしていました。

  約2年半前にツレアイが亡くなってからは、ツレアイの位牌もご先祖様の位牌と並べて置いて、毎朝読経をするのが習慣となりました。

 余談ですが、ツレアイの遺骨は位牌と共に自宅に置いており、私が死亡したときに一緒に四天王寺に納骨してもらうように子供に依頼しています。(四天王寺の合葬は、件数が多いので、納骨時期が異なると、祭塔が異なることが多いためです)

 ツレアイが亡くなってからは、供養の意味で毎朝この「般若心経」を唱えていますし、2023年9月には四国88カ所霊場巡りに参加しましたが、88カ寺の大半を占める真言宗でもこの「般若心経」は大事なお経のようで、11日の間に200回近くもこのお経に接する機会がありました。


 少し纏めてみると、
・子供の頃は、教本の漢字のフリガナを拾いながら、祖母や両親の読経についていくだけが精一杯で、勿論その内容などには関心もありませんでした。

・年を重ね、このお経にも少し慣れると段々と漢字の方を読むようになってきましたが、その意味など全く判らず、単にリズムとして唱えることが多かったです。

・ツレアイの死後、毎朝唱えるようになり、教本を見なくてもほぼ暗記で唱えることが出来ると共に、細かい意味までは分からなくても何となくその内容が判るようになった気がしてきましたが、読経の際にはリズムが良いように文章の区切りを無視して唱えることが多いし、漢字表示とはいえ日本語の文章ではなく漢文ですし、更に私が知らない漢字も沢山あります。また知っている積りの言葉も仏教的には違う意味のような気もして、もう少し調べてみたいという気持ちになりました。

 要は、毎日意味も理解しないままで唱えているお経の意味を少しでも判れば、毎朝の行事がもう少し充実したものになるのでは・・・ というきっかけでした。

 ということで、2023年の四国88カ所霊場巡り時に「般若心経」に関する入門解説書的な本を持参し、その後も時々この本を目にしていますので、門前の小僧ではなく門外のジジイなりに気付いたことを少し書き記したいと思います。

 但し、「空」という根本思想だけでなく、仏教などの詳しい知識のない私があちこち当たり、ある意味では恐れ知らずの素人が独断と偏見で短期間に纏めたものですから、間違いが多々あると思いますが、好奇心旺盛な老人の早とちりということで、ご容赦下さい。(まさ)

新しいブログは、https://sin-masa.hatenablog.jp/ 【老いの途中で…(Part 2)】です。



 

お世話になりました Goo Blog終了に当たって 

2025年08月22日 19時11分02秒 | その他
 長年親しんでいたGoo Blogが実質的にはこの9月で閉ざされるというニュースを春先に聞いた時には、一瞬呆然としました。

もう10年近く慣れ親しみ、Blogを通じての知り合いの輪もでき、私の生活の大きな柱にもなっていたこのBlogがなくなるなんて・・・

 思い返すと、このBlogとの付き合いは、私の激動期と重なります。
・丁度、それまで10年以上続けた堺市の公園をベースにした園芸福祉という分野のボランティア活動が一段落し、若い人に活動運営をお願いし私は第一線から身を引くことになり、これを機に今まで家のことを殆ど構っていなかった償いや、ツレアイとの二人の時間を楽しもうということで一緒にあちこちに出かける計画を立てました。

・しかし、パソコンに向かう機会がなくなり、社会とのつながりが少なくなるのも嫌で、ブログを開設し、生活の様子や好きなことを発信していこうということで、このGoo Blogを始めることにしました。

・ブログを開始して間もなく、ツレアイの変調に気付き、検査に連れ出したところ「アルツハイマー発病」と判明。
家事や散歩などを一緒にし、あちこちに一緒に出掛けるなど二人の共有時間を増やしたりしていましたが、ツレアイの症状は進み、やがてデイケアー⇒グループホーム⇒特養などのお世話になることになりましたが、3年近く前に突然に急性白血病を患い、わずか1ヶ月後に急逝しました。
そして、その後私一人の少し寂しい生活を余儀なくされることになりました。

・その間、ブロブにツレアイの様子などを時折書き込んでいましたが、それを見られた介護専門職の方から、ご丁寧なアドバイスを頂いたり、励まされたり、このブログのお陰でどれだけ勇気づけられたか言い尽くせません。


 私にとって非常に大事なこのブログがなくなるのは非常にショックで、この後どうしようかと随分悩みましたが、医者通いを重ねながらもまだ自力でどこにでも行ける健康さは維持できていますし、何とかブログを続けたいと思って息子に相談すると、他のブログへの移行を手伝ってくれることになりました。

 約1か月前に、新しHatena Blogへの登録/移行も準備が整いましたが、挿入する写真のサイズ調整の方法などに幾分の戸惑いもあり、ブログは並行しながら種々試行錯誤を重ねていました。
何とか新しいブログで進めそうなので、今月末でこのGoo Blogを辞め、来月からはHatena Blogに一本化しようと思っています。

新しいブログは、https://sin-masa.hatenablog.jp/ 【老いの途中で…(Part 2)】です。


 色々とお世話になった方々に改めてお礼申し上げますが、引き続きHatena Blogの方でも何分のご指導のほどをお願いいただければ非常に有難いです。


 まだ暫く時間はありますが、最期の記事として明日からは少し毛色が変わって、仏教の般若心経に関する書き込みをしたいと思っています。

 ブログでは中々触れにくい宗教に関する事柄とはいえ、生まれてこの方非常に身近に接しているのにその意味が全く理解できていなかったことに気付き、この2年ほど折々書き込んでいたメモを纏めたものですので、今暫くお付き合いいただければ幸甚です。(まさ)

<今日の夕食>

冷奴/カツオたたき/アカモク

冷奴 いつもと違う形の豆腐です
カツオたたき タマネギもたっぷり

アカモク



「1本の鉛筆」

2025年08月13日 19時08分49秒 | その他
 例年8月15日が近づくと、戦争に関するドラマやTV番組が目立ちますが、今年は戦後80年という区切でもあり、特に多い様に感じます。

 そんな中、昨夜は我が阪神はお得意様の広島に苦戦しているようだったので、BSテレビ東京の『戦後80年美空ひばり沖縄で歌う』という番組に切り替えました。

 私は、演歌はあまり好きでなく、美空ひばりに関しても演歌の代表歌手であるということと、子供の時から天才歌手と言われる位に歌唱力抜群の歌手だということぐらいしか知識がなく、晩年の歌には魅力を感じていたものの余り深くは知りませんでした。

 この音楽番組では、私が知らなかった沖縄の復興に並々ならぬ関心を持って沖縄を何回も訪れ、琉球音楽も愛した美空ひばりの様子を古い画像などで知りました。

 たまたま昨夜の毎日新聞夕刊の「特集ワイド」とうコラムでは彼女が平和の歌姫として紹介され、広島で開催された「広島平和音楽祭」の第1回(1974年開催)と、第15回(1988年開催)にも出席された様子が紹介されていました。
2回目の出演は、既に彼女の病状が非常に悪化して入退院を繰り返している最中で、出番直前まで点滴を打ちながらという状態だったようです。

 このように、昨夜はTVを見ながら、新聞をも読むという、私には考えられなかった美空ひばりとの2時間でした。


 そんな中で知ったのは、暴力団との関係が噂されることもあり、派手できらびやかな衣装から受けていた演歌歌手の代表という彼女の表面的な印象とは違って、物心がついた6歳の時に父が出征し、8歳の時に横浜大空襲を体験し、終戦後は焼野になった日本を実体験したという【戦争は悪】という気持ちが体に沁み込んでいたのではという思いです。

 手を挙げて声高に【戦争は悪】を言ったわけではないのですが、彼女の気持ちがこもり歌唱力抜群の歌を聴くと、歴代の首相がまことしやかに「反戦」をお題目のように口先だけで唱えているのとは全く違った、聞く人の心に沁み込んでくるものを感じました。

 最後に、彼女が第1回広島平和音楽祭で歌った『1本の鉛筆』を紹介しておきます。(まさ)

「一本の鉛筆」 (作詞:松山善三、作曲・編曲:佐藤勝)
あなたに 聞いてもらいたい
あなたに 読んでもらいたい
あなたに 歌ってもらいたい
あなたに 信じてもらいたい

一本の鉛筆が あれば 私はあなたへの 愛を書く
一本の鉛筆が あれば 戦争はいやだと 私は書く

あなたに 愛をおくりたい
あなたに 夢をおくりたい
あなたに 春をおくりたい
あなたに 世界をおくりたい

一枚のザラ紙が あれば 私は子供が 欲しいと書く
一枚のザラ紙が あれば あなたをかえしてと 私は書く

一本の鉛筆が あれば 八月六日の 朝と書く
一本の鉛筆が あれば 人間のいのちと 私は書く

※ このシングル盤のB面は、『八月五日の夜だった』(作詞:松山善三、作曲・編曲:佐藤勝)です。

 下記のブログへの移行を試行中です。少し慣れてきましたので、出来るだけ早く完全移行をと考えています。
https://sin-masa.hatenablog.jp/ 【老いの途中で…(Part 2)】

<昨日の夕食>

玉子豆腐/サーモン刺身/豚肉炒め/メカブ
サーモン刺身

豚肉と野菜炒め



「綾羽」から思い出したこと

2025年08月11日 19時04分23秒 | その他
 開催中の高校野球で春夏を通じて初出場の滋賀県の綾羽高校が1回戦で延長の末に勝利して話題を呼んでいますが、「綾羽」という言葉を懐かしく聞きました。

 というのは、私には何のゆかりもないのですが、以前に大阪の歴史を調べている時に大阪府池田市に綾羽という地名があり、その由来に興味を持ったことを思い出したのです、

 池田市は、現在ではダイハツや、インタントラーメ発祥の地として有名ですが、その昔は摂津国の一部で、古くから「呉羽の里」と呼ばれ、現在でも地名や創建の寺社名にその名残が見られます。平安時代後期には呉羽荘と呼ばれる荘園が置かれていたという歴史があり、アヤハトリ/クレハトリの伝承が残っています。


 同市の図書館のHPより抜粋引用すると、

・応神天皇のころ、大陸から呉織・漢織の2人の織り姫が池田の地に渡り、織物や染色の技術を伝えたという伝承が残っています。

・この伝承は、一般には、『日本書紀』応神(おうじん)天皇37年条に、阿知使主(あちのおみ)・都加使主(つかのおみ)を呉に遣わして縫工女(きぬぬいめ)を求め、呉の王から呉織(クレハトリ)・漢織(アヤハトリ)を与えられたという記述を題材にしたものだと考えられています。

 ※ 呉織は呉服、漢織は穴織とも書きます。「はとり」は機織の意です。

・池田市内には、この機織伝承ゆかりの旧跡が各所に残されています。2人の織姫を乗せた船が着いたところが<唐船が淵>(新町~木部町、猪名川のカーブした辺り)、糸を染めた井戸が<染殿井>(満寿美町)、絹を干したのが<絹掛の松> (畑)、機を織ったところが<星の宮>(建石町)、2人が葬られたとされる墓が<梅室・姫室>(槻木町~室町あたり)、そして呉織が祀られたのが<呉服(くれは)神社>(室町)、漢織が祀られたのが<伊居太(いけだ)神社>(綾羽)とされています。
この伊居太神社に祀られている神が、穴織大明神(あやはだいみょうじん)です。

・ 池田の市章はこの伝説を元にしています。外側の井桁は<染殿井>を、内側の糸巻きは織り姫たちが織物に使った糸巻きを表しています。


 また、『池田市史 概説篇』には次のような記述があります。「呉織・漢織が池田に来て織物技術を伝えたとされていますが、日本書紀にはこのような記述はなく、この伝承がいつ、なぜ、どのようにして誕生したのか、はっきりしたことはわかっていません。」
この伝承がいつ頃できたか確定する史料はありませんが、元禄14年(1701)にできた『摂陽群談』や寛政10年(1798)刊行の『摂津名所図会』などに、この伝承に関する記述があることから、江戸時代前期までには現在伝えられているような姿になっていたと考えられます。呉織・漢織の伝承は、池田だけに伝えられたものではなく、例えば西宮市にも津門綾羽町という地名があり、同様の伝承が残されていますが、池田のように完成度の高い伝承として現在まで伝わったものではありません。


 滋賀県草津市にある綾羽高等学校から大きく飛躍しましたが、この綾羽高校というのは歴史的には綾羽紡績(現・綾羽工業)が社員のために開設した学校らしいので、この池田市の伝承と全く関係なしということでもないでしょう。(かって呉羽紡績という大手の繊維会社もありました。) (まさ)

下記のブログへの移行を試行中です。少し慣れてきましたので、出来るだけ早く完全移行をと考えています。
https://sin-masa.hatenablog.jp/ 【老いの途中で…(Part 2)



選挙が終わって、私のブログも少し静かに・・・ 

2025年07月21日 19時38分56秒 | その他
 参議院選挙が終わり、予想通りに与党連合は半数以下になり、これから暫くはドロドロとした一般国民には判り難い政局が続くのでしょう。

 所で、この選挙の後半になり、何も関係のないはずの私のこのブログが俄かに騒がしくなってきました。
というのは、7月14日位から、私のブログへの訪問者が異常というくらいの増加をしたのです。

 最初はgoo blog閉鎖に伴う何らかの影響かと思ったのですが、連日のことなので調べて見ると、私のブログの2025年1月8日付の「バカチョン・カメラ」のこと - 老いの途中で・・・
という記事への訪問者が異常に多いことが判りました。

 何故かなぁ?と思っていると、暫くして某党首が演説中に『チョン』という発言をし、本人が侮蔑語だと気付いて取り消されたようですが、マスコミが取り上げて問題が広まっていることを知りました。

 上記の私のブログは、「バカチョン・カメラ」の歴史や名前の由来に関する内容で、その中に

 【・・・ しかし、「チョン」は朝鮮人に対する侮蔑的な言葉だとする説もあり、一部でも不快感を持つ人が居るような言葉は避けようという傾向が強くなり、「バカチョン・カメラ」という呼び方が避けられるようになった経緯があるということです。】 という記述があります。

従って、私の推測としては、
<上記の某党首の発言が問題化したので、『チョン』という言葉の内容を確認したり検索しようとする人が多くなり、検索している中でたまたま私のブログがヒットして目を通された>という事ではないかということです。

 事実、選挙投票日の昨日あたりから。私のブログへの訪問者数もほぼ通常の状態に戻りつつあります。


 今回は、いわゆる炎上などの問題になることもなく、穏やか幕引きとなりそうですが、特に若い人を中心に情報収集がSNSなどになりつつある現在ではブログの在り方を改めて考えさせられました。

 確かに、ブログは基本的には交流目的ではなく一方通行の情報発信機能として位置づけられていますが、
・誰の眼にも触れ、他の人からの検索対象になる 
・コメント書き込みやリアクション機能などは、ある意味では交流手段としても機能する。
という事は、忘れないようにすることが大事でしょう。(まさ)

今日の夕食

冷奴/野菜炒め/冬瓜と肉団子の煮物/煮豆/メカブ
野菜炒め カボチャ/シイタケ/ピーマン

冬瓜と鳥団子の煮物  昼食後直ぐに作って冷やしておきました

煮豆(購入品で、先日の残り物です)