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老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

ブログ書き込みを休みます

2019年05月22日 21時49分17秒 | 全般
(今日2本目の書き込みです)

 このブログで触れている様に、今月でマイカーを手放すことにしました。
団地の駐車場も解約を申し入れましたし、先日来車でしか行けない所をあちこちと回っています。

 いよいよ手放すとなると、慣れ親しんだ車に愛着心が出てきて、いよいよ最後にチョット遠出でもしたくなり、急遽能登半島に行くことにしました。

 かなり前に一度行ったことがあるのですが、今回は半島を一周したいと思っています。
明日の早朝出発し、輪島近くで一泊の予定ですが、かなり強行軍になると思います。

 最後の最後に事故を起こさないように慎重に運転しますが、24日の夜の帰阪となるでしょうから、このブログへの書き込みは1~2日休ませていただきます。(まさ

原発問題から見えてくること  その⑤ ~日本の政治に見られる現在バイアスの実態~

2019年03月03日 20時58分23秒 | 全般
 このように、アメリカが最近顕著な現在バイアスに基づく対外政策を実行し、これが他の国家にも波及している世界的な傾向が取り上げられていますが、わが国においてもこの現在バイアス政策の取り入れは、他の国に負けていません。いや、もっと早くから取り入れていたでしょう。
 ただ、対外的なものよりは、国内的な政策が多くて、それほど注目されなかったように思われます。

◆国内に向けての現在バイアス政策は、別の言葉で言えば「バラマキ政策」と呼ばれるもので、政権担当者が政権維持或いは党勢拡大や支持基盤への優遇のために、要するに選挙に勝つために、いかにも“国民の利益を最優先”しているかのように見せかけて提案/実施してきた数多くの政策です。

 具体的な例を挙げれば切りがありませんが、代表的なものでは
・長期計画のないままの社会保障の拡充
・道路を含めた交通関係の投資
・産業界保護のための各種金融政策や、トランプ大統領に配慮した高額な艦船や防空システムの購入。
さらに、原発推進や自衛隊や米軍の基地維持のための地元などへの各種助成金などもありますが、オリンピックの予算の膨張や、今後の原発関係の廃炉関係費用や、福島第1原発の事故処理をめぐっても同様の支出の増加額は見当もつかず、国の収入と釣り合わない莫大な支出を余儀なくされるでしょう。
 兎に角、何か問題がありそうなら、国家予算の大判振る舞いでした。

◆この結果がどうなったかと言うと、現在では1100兆円を超える莫大な国の借入金です。
・このような実態を目の前にしても、政府はバラマキ政策を止める気配や、支出削減への努力等は一切なく、借入金の削減に取り組む気配はありません。
それどころか、この借入金削減のために導入されたはずの消費税は、増税時期が何度も延期されただけでなく、更に新しい財源と言わんばかりに選挙目当てのための社会福祉等へ転用もされます。

・こうなれば、現在の政府に借入金減少の意思などはないと判断され、本来ならこれらのバラマキ政策の恩恵を享受した我々の世代の手で正常化の目途は付かず、子供や孫たちの世代に負の遺産として残さざるを得ないでしょう
これは、私たち世代が原発に拠る電力を消費し、そこから出てきた放射性廃棄物などの処理は子供や孫の世代に任せるというのと、全く同じ構造です。

◆さらに、このような国の目先の経済第一主義の政策は、いつの間にか官僚や国民の考え方そのものを蝕んできています。思い付くものを挙げてみますと

・行政を担う官僚は、上を見るだけ=忖度。
・司法も独立性はなくて、行政の結果を追認或いは先取り
・民間会社の製造現場でも、表面を繕うための各種データの偽造の横行
・どんなに国家財政が悪化しようとも、緊縮財政策はなし
・IR誘致、五輪/万博誘致と過大な投資
・人口減少、少子高齢化、女性活用への具体策なし


 本当に何時の間に、日本はこのように子供や孫の世代や地球環境のことなどを考えず、目先の利益を優先し、選挙に勝つための施策が最優先されるというモラルのない国になったのでしょうか。
“美しい国”などとは言うのも恥ずかしいでしょう。


 こんな記事を書いている最中に、海外諸国の原発への拒否反応は一層高まり、政府や産業界が推し進めてきた海外への原発技術移転問題は完全に頓挫し、実業界も幕引きに懸命なのにも関わらず、肝心の我が政府はいまだにこの原発輸出という馬鹿げた方策からの撤退を正式に表明し得ないでいます。

 あの福島の悲惨な経験をした国が、その経験を生かせないという、馬鹿馬鹿しい国になってしまったのでしょう。

 更に、最近の新聞では日本原子力発電の東海第2原発が再稼動に向けて検討中と報道されています。

 “美しい国”は何時の間にか、逆に“恥ずかしい国”とでも言った方が似合いそうな国になってしまいました。


 以上5回にわたり少し堅苦しいテーマでしたが、私がこのブログを始めたいと思っていた、原発関係に代表される経済第1主義に対する、ささやかなる私見をある程度纏める事ができたと思っています。
と共に、自分なりの意見を遠慮なく述べられるこの環境を大事にしていきたいと思っています。(まさ)

原発問題から見えてくること  その④ ~民主主義と現在バイアス理論~

2019年03月02日 20時40分48秒 | 全般
 このような国民にとっても大きなリスクのある原発に依存したくない人たちが結構多いのは事実でしょうが、そのような声が大きくならないのか、ここが不思議な所です。

◆その要因の一つは、現在の国の体制が民主主義国家だと言っても、これは国民が熱望して手に入れたものではなく、言わば敗戦によって棚ボタ式に与えられたとでも言うべきものだけに、上述したような民主主義国家における国民の義務と責任と言う事に対する意識が少ないのでしょう。

 従って、今まで通りに“政治は政府が行うものであり、自分達に不利にならない限りはどうでも良い”、別な言い方をすれば“政治的な事よりも、自分達が楽しく生きることの方が大事!”というような考え方の人が多いように思えます。

 要するに、政府に任せておけば、国民には責任は一切ないという意識が強く、この為政治や国の政策に対して関心が薄い人たちが多いのでしょう。

 更に、最近この国の政策や国民の行動様式を見ていると、もっと気になるのは日本が民主主義国家と言うよりは、自分達の目先の利益を最優先する現在バイアスそのものと言う事です。
いいかえれば、日本は天皇制に代って、“現在バイアス”が支配する国家になっているような感じです。

現在バイアスとは
・余り聞いたことのない言葉かも知りませんが、2002年にノーベル経済学賞を受賞した米国のダニエル・カーネマン博士が提唱した理論で、“将来の長期的な利益と現在の短期的な利益をはかりにかけると、将来の利益を軽く、現在の利益を重く感じる心の働き”を言います。

・今までの経済学の理論では、“人間は自己の利益を最大化させようと合理的に行動する”というのが前提になっていましたが、カーネマン博士のこの理論はこれを覆し、要するに人間の心は弱く合理的ばかりでは動かないというもので、目先の利益を優先して考える傾向を表しますが、極端な云い方をすれば昔からある「朝三暮四」という言葉と同じ意味でしょう。

 ※ 朝三暮四:中国、宋の狙公 (そこう) が、飼っている猿にトチの実を与えるのに、朝に三つ、暮れに四つやると言った所、猿が少ないと怒ったため、朝に四つ、暮れに三つやると言うと、たいそう喜んだという「荘子」斉物論などに見える故事から生まれた言葉で、“目先の利益を大事にして、後の不利益を考慮しないこと”や、これから転じ、“うまい言葉や方法で人をだますこと”の例として使われます。

・この現在バイアスと言う考えは、日本だけでなく世界的にも大きな広がりを見せており、“あなたの今の利益を尊重します”と現在バイアスに訴えれば、大衆の共感や支持も集めやすくなります。

 この政治姿勢は別の言葉でいうと、大衆迎合主義(ポピュリズム)とも呼ばれますが、英国の欧州連合(EU)離脱決定や米国のトランプ現象などは、そのお手本と思えなくもないでしょう。
 どちらも国民の多数が選んだのだから、民主主義の成果には違いなく、どうやら民主主義とポピュリズムは紙一重のようにも感じられ、現在の民主主義制度が持つ大きな問題とも言えるでしょう。

 特に、トランプ政権がアメリカ国民のある程度の支持を受けて、“アメリカ・ファースト”の名の下に強引に実行している移民受入れの拒否/環境問題/国連の軽視/輸入関税政策などの諸政策はこの現在バイアスの典型とも言えるもので、その結果として今までアメリカが果たしてきた世界のリーダーという立場を自ら放棄するだけでなく、今後の世界の秩序や環境問題に大きな変化をもたらすものと言えるでしょう。(まさ)

原発問題から見えてくること  その③ ~国の体制は全く異なるのに~

2019年03月01日 20時54分47秒 | 全般
(今日からは3月、改めて少し堅苦しいテーマに戻ります)

 以上見てきたように戦争の遂行と、原発の推進には大きな共通点がありますが、一方全く異なる事があります。

 即ち、戦争を遂行したのは天皇制をバックにした旧日本国憲法下ですが、原発については国民に主権がある民主主義国家になった戦後という、まったく異なる体制下のことなのです。

◆旧憲法下では、国民に主権がなかったのですから、戦争を遂行した本当の責任者は一般国民ではなく、天皇制を利用した軍部や産業界のごく一部の人だということになるかも知れません。
また、戦争の終結については、自発的な撤退や中止がない以上は外圧による見直ししか方法がなかったかも知れません。

・従って、戦争を遂行した責任はごく一部の軍部/政府高官/産業界の代表にあるという言い訳になり、国の指示に従わざるを得なかった国民も一種の被害者だという理論になりました。
国民の中には、ある戦争遂行に積極的な人もいたでしょうが、これらの人たちが責任を問われることはなく、本当の意味での国としての反省や推進に協力した人たちに対する追及などはありませんでした。

・本当に自分達が被害者だというのなら、その被害をもたらせた加害者であった立場の人々をもっと真剣に追求すべきだったと思いますし、如何に天皇制国家という体制下であったにせよ、自分達が構成員となって所属した国が、関係のない周辺国家の国民に対して大きな被害を与えたことに対しては、自分達同様の被害者であることを認識してもっと寄り添うべきだったでしょう。
これらの過程がないままに、日本は新しい国となって発展したのですから、周辺諸国との歴史認識のギャップが埋められないというおかしな状態が続いているのでしょう。

◆一方、原発を推進してきたのは、旧体制の日本ではなくて、曲がりなりにも民主主義国家の日本です。
と言うことは、政府が国民の期待通りに動いてくれないのなら、政府を変えることで対応することが可能なのであり、それをしないなら国民も同様に責任を負うことになります
即ち、最終的な責任は政策として進めた国家が負うにしても、これを積極的に推進した企業や科学者だけでなく、この政策を進める政府を容認した国民も同様に責任があると覚悟すべきでしょう。(まさ)

原発問題から見えてくること  その② ~戦争との共通点~ 

2019年02月25日 20時39分33秒 | 全般
① 資源問題は表面上の理由
◆どちらも、資源が乏しい我が国のエネルギー源の安定確保というのが大きな大義になっています。

◆戦争を担った軍部や原発を推進した科学者達は、どちらも国の発展の基本的な問題に自分達の技術を生かして牽引するという一種の満足感/使命感が基本になっており、戦力的(或いは技術的)な困難さは過小評価のままにスタートを切りました。
それとともに、大きな大義の陰で、被害を受けることになる周辺諸国の人たちの犠牲や、原発にとっては立地場所周辺の住民の不安や憤りには目をつぶることになりました。

◆また、いずれも直接の推進者といえば、表面上は軍部や科学者ということになるのでしょうが、その背景には国家の勢力拡大と利益追求を図る財界の強い要請があることは事実で、これらの財界のバックアップを受けた、時の政府が『日本にとって必要』という理由で強引に進めた政策です
戦争や原発の推進に伴い大きな利益を上げる立場にある産業界とそれと結託した政治家や仲介者が仕組んだ事業というのが真相でしょう。


② 過度の自信と、独りよがりの使命感
◆過去の戦争突入は、軍部が当時の日本の保有戦力に対して大きな自信を持っていたという事もあるでしょうが、それと共に、天皇制の下での国民の団結と犠牲心を当てにして、日本国民の精神論に対する過度の評価で、短期間での勝利が可能と見込んだ事、さらにそのような戦いが長期にわたって西欧諸国の支配下にあったアジアの国民にも喜ばれるという独りよがりの理由付けが大きな要因だったと思います。

◆原発についても、推進する科学者たちにとっては原子力という言わば未知の分野の発展に寄与するという喜びと共に、この技術習得によって国際社会にも貢献できる。更に、資源の乏しい日本において国家復興に貢献できるのだから、国民にも喜んで貰えるという一方的な思い込みもあったでしょう。

◆原子力に関わる専門家たちは、当然ながら原発という産業推進には自然界に存在しない色々な放射性物質を取り扱うだけに、様々な危険性があることは承知していたはずでしょう。
しかし、それに対する根本的な対応策が確立していないままで、この産業の推進に突き進んだ本当の理由は、素人には判り兼ねます。ただ、推測出来ることとしては、

・使用済み燃料処理や廃棄物の処理については、その内に良い方法が開発されるかも知れないし、最悪時は埋設してしまえば良い。

・自分たちの仕事は、ウランの利用に拠る発電技術の確立にあり、廃棄物の処理については政府なりが担当する分野だ。或いは、自分達が死んでしまってからの問題で、我々には関係ない
というような割り切り方で、全体のリスク管理の確立や、万一の場合の地元住民への影響などは気に留めなかったとしか考えられません。


③ 正当化のために、“神話に縋る、或いは神話をでっちあげる”
 担当者にしては、何れも大きな不安があったとは思うのですが、これらの能力のある人たちが国民の支持を得て、突き進んだ背景には、日本人独特の精神論があったことも事実でしょう。

◆即ち、戦争に関しては、科学的な裏付けのない“不敗神話”や“神国”“神風”論

◆そして原発に関しては多くの国民を納得させるのに必要だった“原発は安全”というスローガンが、いつの間にか科学的な裏付けのないままに“検証の余地のない揺るがない事実=安全神話”となってしまい、異議を挟めなくなった。(或いは、信ぜずには前に行けなかったのか?)


④ 一旦始めると、自分では見直しや幕引きが出来ない
◆このような形で、進行して行った戦争や原発については、途中で大きな壁にぶち当たったと思います。
・戦争については、思い通りのスピードでは進めず、米国を中心とする反抗や盛り返しにぶち当たり、次第に劣勢の色が強くなった。

・原発では、使用済み核燃料の処理並びにリサイクルの見通しが甘い事が徐々に判明して行っただけでなく、遂には地震による巨大津波による甚大な被害も体験した。

◆しかし、これらの場面にぶち当たっても、節目節目での計画の見直しや、或いは撤退という自発的な対応は一切ありませんでした。
更にその後も自分たちの担っている事業の推進が第一目的となり、自分達で作り上げた神話を信じて、政策見直しもしませんでした

◆その結果として、
・戦争では東南アジア諸国での多くの住民に被害を与えただけでなく、国内でも沖縄の住民への大被害を引き起こし、更に全国的な空襲被害と共に、広島/長崎への原爆投下と言う事態に到り、漸く外圧での強制的な中止を余儀なくされるに到りました。

・原発については福島原発では住民16万人以上が居住地を追われるという甚大事故を引き起こしながらも、この事故は“想定外だった”という言い訳で、自分達には落ち度などなかったかのように振る舞い、依然として原発依存の姿勢を変えようともしないだけになく、海外への技術輸出という馬鹿げた妄想も持ち続けているのです。
この様子を見ると、広島/長崎への原爆投下以上の本当に壊滅的な巨大事故、或いは国家の存在に関わる外圧などがない限りは、余儀なく中止を決めたりしそうもありません。

◆更にこのような様子を見ると、“国民や世界のため”というのは、あくまで世間を納得させるためのお題目で、一旦開始されるやこれらの事業の遂行が最優先されるべき事項となり、これをチェックする機構もないという事が良く判ります。(まさ)