(ベトナムからの帰国後は、何やかやと要件が溜まっており、まだ写真整理に掛かれそうもありませんので、以前に書き留めていたことを手直ししながら、述べてみます)
昨年10月中旬にこのブログで、「原発稼働に伴うプルトニウム問題」というテーマで、8回に亘って原発とプルトニウム問題について書き込みましたが、その過程で色々と思い浮かんだことがあります。
特に不思議なのは、私たち凡人が及びもしない非常に知的レベルの高い人達だと思われる原発産業に関わる科学者など専門家達の思考回路です。
また、これらの専門家が先頭に立って危険性がある原発を推進できた背景には、国の積極的な支援と共にこれを積極的に支持してきた多くの国民がいたことも事実です。
この人たちの思考回路を理解しようとすればするほど、東南アジア侵略(或いは、進出)を経て太平洋戦争に突入し(以後、これら一連の行動は“戦争”と称します)、敗戦まで突き進んだ当時のエリート達と多くの類似点があるように思え、この原発を巡る動きは、日本という国あるいは日本人の思考方法に対して根本的な問題を浮き彫りにしているような気がしてきました。
ここら辺を、思うがままに纏めてみたいと思いますが、どうしても自分自身を含めて、日本人の今までの過ごし方に対する非常に厳しい意見にならざるを得ないでしょう。
喜寿を超えた一老日本人として、敢えて自分を含めた日本人の立ち位置を考えてみる機会になればと思います。(まさ)
昨年10月中旬にこのブログで、「原発稼働に伴うプルトニウム問題」というテーマで、8回に亘って原発とプルトニウム問題について書き込みましたが、その過程で色々と思い浮かんだことがあります。
特に不思議なのは、私たち凡人が及びもしない非常に知的レベルの高い人達だと思われる原発産業に関わる科学者など専門家達の思考回路です。
また、これらの専門家が先頭に立って危険性がある原発を推進できた背景には、国の積極的な支援と共にこれを積極的に支持してきた多くの国民がいたことも事実です。
この人たちの思考回路を理解しようとすればするほど、東南アジア侵略(或いは、進出)を経て太平洋戦争に突入し(以後、これら一連の行動は“戦争”と称します)、敗戦まで突き進んだ当時のエリート達と多くの類似点があるように思え、この原発を巡る動きは、日本という国あるいは日本人の思考方法に対して根本的な問題を浮き彫りにしているような気がしてきました。
ここら辺を、思うがままに纏めてみたいと思いますが、どうしても自分自身を含めて、日本人の今までの過ごし方に対する非常に厳しい意見にならざるを得ないでしょう。
喜寿を超えた一老日本人として、敢えて自分を含めた日本人の立ち位置を考えてみる機会になればと思います。(まさ)