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老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

原発問題から見えてくること   その①  ~はじめに~

2019年02月24日 21時58分50秒 | 全般
(ベトナムからの帰国後は、何やかやと要件が溜まっており、まだ写真整理に掛かれそうもありませんので、以前に書き留めていたことを手直ししながら、述べてみます)

 昨年10月中旬にこのブログで、「原発稼働に伴うプルトニウム問題」というテーマで、8回に亘って原発とプルトニウム問題について書き込みましたが、その過程で色々と思い浮かんだことがあります。


 特に不思議なのは、私たち凡人が及びもしない非常に知的レベルの高い人達だと思われる原発産業に関わる科学者など専門家達の思考回路です。
また、これらの専門家が先頭に立って危険性がある原発を推進できた背景には、国の積極的な支援と共にこれを積極的に支持してきた多くの国民がいたことも事実です。


 この人たちの思考回路を理解しようとすればするほど、東南アジア侵略(或いは、進出)を経て太平洋戦争に突入し(以後、これら一連の行動は“戦争”と称します)、敗戦まで突き進んだ当時のエリート達と多くの類似点があるように思え、この原発を巡る動きは、日本という国あるいは日本人の思考方法に対して根本的な問題を浮き彫りにしているような気がしてきました。

 ここら辺を、思うがままに纏めてみたいと思いますが、どうしても自分自身を含めて、日本人の今までの過ごし方に対する非常に厳しい意見にならざるを得ないでしょう。

 喜寿を超えた一老日本人として、敢えて自分を含めた日本人の立ち位置を考えてみる機会になればと思います。(まさ)

約40年振りに娘と会いました

2019年02月23日 22時40分00秒 | 全般
 このブログでは今まで触れていませんでしたが、私には約40年前に離婚した前妻との間に二人の子供(上が娘で、下が息子)がいます。

 離婚に伴い親権が前妻になったことなどもあり、離婚後は子供たちとは会う機会が少なかったのですが、大阪に仕事拠点を持つ息子とは成人後に時々会って食事などをしていますが、京都に住む娘の方とはその機会がなく、年賀状のやり取りや孫たちの学校の節目に入学のお祝を届ける程度でした。

 しかし、昨年にその娘が直腸がんで手術したことを息子から聞き心配していた所、娘より“手術経過良好、仕事にも復帰した”との連絡を受け、一度会おうということになり、息子の手配で今日大阪で会うことになりました。

 幸いにも直腸がんの方は腹腔鏡による手術が上手く行き、人工肛門の必要はないとのことでしたが、何しろ術後間もないということで、豆腐と湯葉中心の和食店での再会となりました。

 離婚による母親だけの家庭という厳しい結果を押し付けた形になっただけに、今まで常に色々と負担に感じることが多く、今回も丸40年振りの再会という事で、会うまでは本当にどのように謝ろうかなどと悩んでいました。

 しかし、40年振りに会った娘は、非常に明るく生き生きとしており、私が謝ろうとすると“そのことは、今は気にしてないから、もう良いのよ…”と明るく応えてくれ、肩の荷が少し軽くなったような気分でした。

 二人いる子供も、上の方は既に就職しており、下の方も来年は就職とのことでしたが、かなり年をとってから始めた仕事が非常に合っているようで、生き生きとした様子が感じられました。

 余りにも個人的なことなので詳しい事は避けますが、やはり40年振りの再会というのは緊張が入り混じった複雑な喜びでした。
今まで色々と抱いていたはずのわだかまりを拭って、一度会おうと声を掛けてくれた娘に大感謝でした。(まさ)

ベトナムより無事に帰国!!

2019年02月22日 23時29分09秒 | 全般
 今朝成田に無事帰国、その後羽田経由で無事に帰阪!
という予定でしたが、最後にとんでもない失敗をやらかしました。

 成田から羽田へは路線リムジンバスで移動したのですが、羽田到着して搭乗カウンターに向う途中で、バッグが一つ足りないのに気付きました。

 ベトナムで購入した陶器類などを大きな旅行カバンに入れたままでは、粗末な扱いで破損してはと思い、別のショルダーバッグに入れていたのですが、何とこれをリムジンバスの網棚に挙げたまま降車時に忘れていたのです。きっとベトナムの暑さ疲れと、夜行便の疲れによる相乗効果だったのでしょう。

 急いで、案内カウンターに行きリムジン会社の電話番号を聞いて連絡した所、30分過ぎてまだバスに残っていたことが判明。何とか同社のバス便で羽田に届けて貰うことになりましたが、やはりどうしても30分以上は掛かるとのことでしたが、大事な品ですし破損の恐れもあり、空港で待つことにしました。
その為、当然ながら当初予定の便には乗り遅れ! 後の便へのキャンセル待ちとなりました。

 羽田⇒伊丹の便は1時間ごとにあるのですが、この日は生憎と満席続きで、結局3便目にやっと乗れました。
こちらの落ち度が原因なので仕方がないのですが、搭乗便が決まらない以上は大きな旅行カバンを預けることが出来ないので、便ごとに変る出発ゲートにカバンを引きずっての広い空港内の移動には難儀しました。

 何れにしても予定より少し遅れたものの、夕方には無事に帰宅できてヤレヤレです。
先ずは空っぽになった冷蔵庫の食材を補充のためにスーパーに買い出しに出かけ、その後いつものスポーツジムに行って暑いお風呂とサウナでスッキリとして、食事後は溜まっていたメールに目を通したり、返信したり、旅行の後片付けになどを手掛けてやっと一息ついた所です。


 ベトナムは予想以上の素晴らしさで、心配していたツレアイも途中で一度だけながらバス酔いをしたり、食事が余り合わなかった様子でしたが、他のツアー参加者と一緒に元気で楽しんでくれました。

 ベトナム旅行の写真整理は明日からボチボチと進め、ベトナムの様子などは追って報告しますが、とりあえず、無事に帰国できました。(まさ)

暫くブログ休みます

2019年02月10日 20時46分45秒 | 全般
(今日2本目の書き込みです)

 明日からベトナムに出掛けますので、暫くの間、このブログの書き込みを休みます。

 ツレアイの体が健康な内にと思っていた海外旅行ですが、恐らくこれが最後かなあとも感じています。
今回は行き先が暑い所なので、持参品とくに衣類などについては夏物になるのですが、どうもそこら辺の理解が難しい様で、持参品の準備には細部にわたるアシストが必要でした。

 またツレアイにとって、毎日宿泊場所や食事が変わるのは大変でしょうが、動く方は全く問題なさそうなので、出来るだけ愉しんできます。

 今回の旅行先のベトナムに付いては、私が社会人になった当初の取引相手国(当時は南ベトナムでした)であった懐かしい国ですが、今回はハノイ周辺を回った後に、中部にも立ち寄り、ホーチミン(元のサイゴン)などを回る予定です。 

 単なる個人的な趣味の旅行で、米朝会議の露払いとか会場チェックなどという、大袈裟な目的はありません。

 ツレアイが以前にTVで放映されたハロン湾のクルーズに興味を持っていたので、このコースを設定したのですが、大阪発では気に入るコース設定のツアーが見当たらず、東京発となりましたので、明日成田からの出発となります。

 22日に帰国の予定で、帰国次第またブログを再開しますので、お付き合い下さい。(まさ)

未来へつなぐ責任(小松浩氏)

2019年01月03日 19時30分02秒 | 全般
 元旦の新聞に目を通していると、毎日新聞の1面に「未来へつなぐ責任」という題で、主筆の小松浩氏が執筆されていました。

 非常に纏まった文章で、私が普段考えている内容を整理するのにも非常に役立ち、何度も繰り返して読みました。
 
 この記事を読まれた方もあるかと思いますが、念のために下記、全文を紹介させていただきます。(まさ)


 “トランプ政権誕生後の米国や世界の混乱ぶりをまのあたりにする時、時計の針を巻き戻すことができたら、という思いにかられる人は多いだろう。

 それでも私たちは、歴史の事実を知ってから過去をやり直すことはできない。「未来は我々がいま何をなすかにかかっている」というガンジーの言葉だけが、確かな道しるべだ。

 日本の未来。それは猛スピードで進む超高齢化と若者の数の激減で、老い、縮小していく未来である。そして首都直下地震や南海トラフ巨大地震など、列島中枢と大動脈を直撃する大災害が必ず起こる未来だ。

 財政危機によって国 家が破綻したり、貧富の格差拡大で社会分断が固定化したりするリスクも、このままいけば避けられない。気候変動は、地球と人類の存続をますます脅かす。

 何よりも、未来の安心は、原発に頼らない自然エネルギー社会の構築にあるはずだ。福島の事故からその教訓を学ばなかったとしたら、私たちの方向感覚はどこかが狂っている。見えている未来から目をそむけ、幻の繁栄を夢見ていたと、いつか言われる日がくるだろう。

 平成の30年は、戦争のない平和な時代だった。日本が享受している平和と豊かさは、国民の反戦への強い意志と、勤勉な努力が作り上げたものだ。

 一方で、国策の過ちによる侵略戦争と植民地支配は、近隣の国々との摩擦の根っこにあるだけでなく、沖縄の基地問題の出発点となっている。北方領土など外交懸案の多くも、戦争の負の遺産にほかならない。

 過去と切り離して、現在があるのではない。過去の世代が何をなしたかに、あとの世代の生き方も運命づけられる。

 18世紀のフランス革命前、ルイ15世の愛人として権力をふるい、浪費の限りを尽くしたポンパドール夫人は「わがなきあとに洪水はきたれ」と言ったとされる。「いまさえよければ」が破滅を招いたのである。

 日本で今年生まれる赤ちゃんの半分以上は、22世紀の世界を見るだろう。私たちには、世代を超えた重い責任がある。「あとは野となれ山となれ」というわけにはいかないのだ。”