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老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

暫く休みます

2020年04月01日 21時15分51秒 | 全般
 「暫く休みます」といっても、 エイプリルフールの冗談ではなく、世間を騒がせているコロナウイルスに感染したわけでもなく、明日から鹿児島と宮崎に行って来ます。

◆鹿児島は、私が社会人になった時の会社の先輩と会うためです。
・何もわからない私に会社勤めや担当業務の全てを教えて頂いたり、個人生活でも随分とお世話になった方です。
・その人も割合に早く会社を辞められ、故郷に戻り経済連にお勤めになりましたが、私も最初の会社を辞めてからは、九州を拠点とする畜産・飼料・関係にお世話になり、そこでまたこの先輩のお世話になるという関係が続きました。
・今年の初めに奥さんがアルツハイマーのために、高齢者施設に入所されたことを知り、余りにも似た境遇なのを知り、20年ぶりになるでしょうが何とか一度お会いしようということになりました。

◆宮崎は私が2度目に勤めた会社の生産拠点があり、かっての仲間たちが沢山住んでおり、中にはまだ現役の後輩もいますが、ツレアイもこの会社には一緒に勤めていたので、ツレアイの現状から見て、何とか動ける内に懐かしい人たちと会える機会を作っておきたいということもあり、是非とも会おうということになり、仲間たちが色々な観光コースも設定してくれました。

◆これが決まったのは今年の正月でしたが、その後コロナウィルスの世界的な蔓延が起こり、宮崎の会社は食料や畜産に関係しているので、危機対策が非常に厳しくて、社員は不要不急の外部者との接触禁止令が出て、今回は第1戦を退いた年寄りだけの集まりになり、延期も考慮せねばならなくなりました。

 しかし、ツレアイの状況を考えると、延期は難しいと判断し、当初の予定通りに決行することにしました。
但し、色々とプランを練って案内役を申し出てくれていた人達には申し訳なかったのですが、鹿児島でレンタカーを借りて、宮崎まで行くことにし、宮崎の観光も私達だけで回ることにしました。

 ということで、明日から5日間程南九州を回ってきますので、ブログへの書き込みはお休みとなります。(まさ)

新年に当って  ~夢を持ちたい~ 

2020年01月01日 11時08分31秒 | 全般


 年末に京都の毘沙門天堂門跡を訪れた時に、宸殿玄関で見掛けた衝立(ついたて)に「夢」という大きな字が書かれていて、その前に置かれた竹器に植えこまれた生け花のバランスの良さに暫し見惚れていましたが、後で考えたのは、見惚れていたのはそのバランスの良さではなく、「夢」という言葉に対してではなかったのかということでした。

 そう言えば、時々は睡眠中に訳のわからない夢を見ることはありますが、そんな夢ではなくて、起きていても見る様な将来に対する甘い期待のこもった「夢」です。
長い間夢を見ることはなかったですし、「夢」という言葉を口にするのも久しぶりのような気がします。

 昔を振り返れば、記憶に残っている次のような歌と共に、色々な「夢」を見て、それが人生の節目節目での区切りや励ましになったと思います。
  ・夢であいましょう    
  ・いつでも夢を     
  ・圭子の夢は夜開く 
  ・夢で逢えたら 

 自分が年老いたこともあるでしょうが、それ以上にこの国の政治が政治屋どもの目先の私欲と自己満足を目指す場となり、国民もこれに合せるように目先の利益を幸せと思い込んで満足の対象とするようになり、国全体として将来のことを考えなくなると共に、国の躍動感も無くなったといえるのではないでしょうか。


 そんなことを考えていると、今の若い人、特にエリートと呼ばれる様な人達はどのような夢を見ているのか気になって仕方ありません。
まさか、官僚になってバカな政治家どもに忖度を重ねる事で、我が身の出世や安泰を夢見ているというようなことはないとは思いますが・・・

 今一度若い人誰もが、「夢」が見られるような生き生きとした世になって欲しいと願う新年です。
少しでもそんなことを思いながら、年寄りの愚痴を続けていきたいと思います。(まさ)

5年目に向けて

2019年11月01日 21時15分30秒 | 全般
 今日から11月。気がつくとこのブログも丸4年が経過し、5年目に入っていました。
“まあ、良くぞ4年間も続いたもんだ”と言うのが素直な気持です。

 このブログに目を通して下さる方も少しずつ増えていて、それが大きな励みにもなりますが、何しろ原発や現在の政治の在り方等、どうしても書き込まずにおられない状態が平然と続いていることに対する反発がこのブログ継続の大きな要因ですが、散歩や自宅の狭いベランダで自然の何気ない変化に気付くという緊張感の継続も大きな要因となっています。

 最近は「正義感」による書き込みでの炎上が大きな問題となっており、私も時々は自問自答していますが、私の場合は正義感によるものではなく、義務感に近いものだと感じています。
 安倍首相に代表される滅茶苦茶な政治は、多くの人にわざと反発感を与えるという点で、元気に生きるためのサプリメント的な有難い反面教師なのかも知れませんが、それだけで終わるのでは全く意味が無いでしょう。
 後の世代が少しでも良いものになればと思う気持ちがある以上は、自分が生きてきて経験したことを基礎にして、よりよい社会になるための素直な気付きを少しでも書き記すと共に、何ならかの形で発信しておくことが必要だと思っているのです。


 所で、この1年の我が家並びに私自身の特記すべき事がらは
・娘と40年振りに再会。(2月23日付ブログ参照)
・マイカーを返上。(5月28日付ブログ参照)
・田舎にあった墓を仕舞い、四天王寺に納骨。(6月1日付ブログ参照)
・従兄弟、アルゼンチンの親友、叔母の死去。
・ツレアイの症状は確実に進行していますが、何とか2月にベトナム縦断旅行し、4月には昨年から始めた33ケ所霊場巡りを無事に終え、更に10月から京街道歩き挑戦開始しました。
ということで、終活が少し進むと共に、加齢を自覚させられながらまだ何とかツレアイと一緒に生活出来ているということでしょうか。


 また、この1年間の出来事の中で、強烈に印象に残っているのは
・9月の気候変動の阻止を目指す国連「気候行動サミット」での、スウェーデンの16歳の学生のグレタ・トゥーンベリさんのスピーチです。彼女の真摯で心を打つスピーチは、我々世代全体に向けられたものだという事を改めて自覚しなければと思っています。

・9月から日本で開催されたラグビーワールドカップで期待以上の活躍をしてくれた日本チームのOne Teamという理念です。
真のグローバル化を目指すべき日本の具体的な姿がこれほど凝縮されたものは他にないでしょう。
もはや日本は日本人だけでは成り立たない状態になっており、どうすれば外国生まれの人たちと一体化して協力しながら新しい日本を造って行けるかの大きなヒントを与えてくれたものと思っています。


 そのような状況にも拘わらず、日本の政治家たちは知性も感じられない某国の大統領の機嫌を取り、隣国を蔑むことで優越感を味わうことが政治だと考えているようです。
そして、国内では愚にもつかない方向での憲法改定を目指すとともに、旧態依然と理念も理性もない親しい政治家を大臣にして、国の将来のことなど露ほども考えずに、現在バイアスを前面に出して政権維持を最大目標として空虚な政治ゲームを続けています。


 これからも、後の世代にとって少しでもより良い未来になることを願って、このブログへの書き込みを何とか続けて行きたいと思います。(まさ)



One Teamの考え方 

2019年10月14日 20時15分40秒 | 全般
 今回のラグビーのワールドカップでの日本は予選の4試合を全勝で終えて、初の8強入りとなりました。
 今迄のどちらかと言えば想定外とでもいうべき勝ち方から脱却し、本当に地力がついてきたのがひしひしと感じられます

 この活躍ぶりは、地元での開催と言う事を越えた共感を呼んでいる様に思いますが、その根本はこのチームの合言葉である“One Team”にあるように思えます。

 ワールドカップ開幕直後の9月21日にも書き込んだように、ラグビーのワールドカップについての選手の資格は非常に緩やかです。国籍で決まるのではなく、その国に3年以上暮らしていれば出場権がありますので、今回の日本チームの構成を見ても非常に多彩で、人種や国籍に縛られないのが余計に魅力を増してくれます。

 これにより、今回の日本チームを見て見ても、出身地や肌の色の違う様々な人が一緒になり、同じ目的に向って自己犠牲を厭わずにお互いに協力し合う、正に“One Team”として見事に機能しているのです。
そこには、国籍や人種と言う壁などないのです。
正に、グローバル化の基本精神みたいなものが感じ取れるのです。

◆これに比べて、我が国の政治家たちが国際化の本当の意味を理解している様には思えません。
口ではいくら綺麗なことを言っても、近隣諸国との様々な摩擦解消に積極的でない事には、現政権のどこかにかっての“優秀な日本民族”的な考えが引き継がれている様に思えてならないのです。
それと共に、かっては世界最強だといわれていた米国に追従する姿勢を変えず、経済成長が続くという夢を盲信することで、この国を引っ張っていけると未だに信じている時代遅れの考えでは、この“One Team”の精神は理解できないでしょう。

◆具体的に言えば、今後の日本のあるべき姿、即ち「目標」が明確に共有された上で
・全ての構成員が平等で、それぞれに能力を持っていると本当に信じなければ、グローバル化などは程遠い夢になるでしょう。
そのためには、現在の日本のある意味では底辺とでも言うべき、建築/介護/製造業などを支えている人たちの待遇改善は当然のことながら、これらの分野に従事している多くの外国籍の人に対しても居住、特に家族同伴の保証が絶対に必要なのは明白でしょう。

・更にもっと重要なことは、拡大する一方の正規/非正規の格差是正、女性が本当に働きやすい環境作りなどを、単なるやっている感ではなく、本気で推進する気持を表した具体的な政策提示が求められるでしょう。
言わば、経済が成長し続けるという神話から脱却し、現状を認識した上での地に着いた政策提示が必要ということでしょう。


 これらが出来て初めて、日本と言う国に住む人たちが本当に支え合えるOne Teamになれるのでしょう。


 また、昨日予定されていた釜石市での試合が台風に拠る悪条件のために中止となり、予選グループ最下位が確定したカナダチームが、地元のボランティアと一緒になって災害復旧作業に参加された由ですが、これらの活動も、ラグビーの精神を理解するのに大いに役立ち、今後のラグビーの更なる人気拡大を呼ぶことでしょう。(まさ)

新しいPCに替えました

2019年09月05日 20時10分25秒 | 全般
 今迄ノートパソコン(OSはWindows7)を使用していましたが、私が使用するのは精々文書作成/写真管理/インターネットに拠る情報収集・ブログ発信程度で何ら問題はありませんでした。

 しかし、このWindows7のサポート期限が来年1月に迫っていることもあり、そろそろ新しいPCに切り替えねばと思っていたのですが、先にWindows10に切り替えた知人からは“10は少し使いにくい”との意見が多くて決断出来ずにいました。

 先日、思い切って車を手放した時に、4年以上乗っていた今迄の車をディラーに引き取ってもらい、若干の臨時収入となりましたので、これを機に新しいPCに当てることにしました。

 しかし、PCというのは毎日使ってはいるものの、私にはブラックボックスそのもの。機種決定は一大事業です。
大型電気店を回って、色々な機種の性能を比較したりしましたが、結局ノート型ではなくモニター一体型のデスクトップにすることにしました。その理由は
・ボランティア活動など自宅外での活動がなくなり、PC自体を持ち運びすることはなくなった。
・現在使用している、ノート型は作業場所が限定されず、私の場合は食卓も兼ねている居間のテーブルが作業場になっており、TVを見ながらでも作業できるというメリットがあるものの、日に何回もの開き閉めのためか、本体の外側にクラックが生じてきて、急な故障に結び付かないかと少し不安になった。
・最近のデスクトップ型は以前と違い、本体とモニターが別々ではなく一体化したタイプのものがあり、場所も余り取らずに、しかも大きなモニターで作業できるし、価格的にもノート型より少し安そう。
ということでした。

 しかし、如何に薄型になったとはいえ、食事も兼ねるテーブルの上に置くわけにも行かず、最初にPCを購入した時(勿論、この時はデスクトップでした)のラックを使用することにし、このラックを居間に持ってくることにしました。

 居間にはツレアイが作成したワイヤークラフト作品が所狭しと置かれていましたので、それらを移動しながら何とかラックの置き場所を確保しましたが、丁度TVの裏側になるので、今後はTVを見ながらのPC操作は出来ず、TVの音声だけを聞きながらということになりそうです。


 所で、Windows10は以前の7と比べて、かなり操作方法が違うようですが、上記のとおり私が使うのは文書作成/写真管理/インターネットに拠る情報収集・ブログ発信程度なので、徐々に慣れて行かざるを得ないでしょう。
目下、以前のPCからのデータ移動が何とか終わり、暫くは少し不便ですが新旧両方のPCを使用するという状態が続きそうです。(まさ)


使用中のノートPCにはクラック発生(写真の赤い丸の部分)

新しいPCの置き場所確保。TV(手前左)とは小さいながらも壁を隔てています

新しいデスクトップPCは、昔のPCラックに収まりました