オビドスを楽しんでからは直ぐ近くにある海岸沿いのナザレと、少し東にあるアルコバサという町を巡りました。少し長くなりますがこの二つの地を紹介します。 (ここから暫くは教会や修道院などが続きそうです)
<ナザレ>
キリスト教に全く疎いのですが、「ナザレ」と聞くとイスラエルの都市で、イエス・キリストが幼少期から公生涯(イエス・キリストの公の生涯という意味で用いられる言葉)に入るまでを過ごした土地であり、彼自身が「ナザレ人」と呼ばれたということ位は色々な映画などで知っています。
その「ナザレ」が何故ポルトガルに? と思っていたのですが、その由来は<4世紀にパレスチナのナザレから一人の聖職者が聖母マリア像を持ち込んだ>ことにちなんで町の名がついたという
また、この町が有名になったのは、12世紀に霧の中で狩りをしていた騎士が崖から落ちる寸前にマリアが現れて救ったという伝説上の奇跡を記念し建てられたノッサ・セニョーラ・ダ・ナザレ教会はと、その近くにある礼拝堂が聖地となっているからです。
私達は先ずこの教会などがある、100m以上もの切り立った高い崖の上のシティオ地区に着きましたが、ここは旧市街になります。
このような高台に町が出来たのは、住民がイスラムやフランス、イギリス、オランダ各国の海賊たちからの略奪を避けるため安全な基地を作ったのですが、こういった襲撃は19世紀初頭まであったが、19世紀に海賊の危険性がなくなってから町は海辺にも広がったということです。
綺麗な砂浜は絵のように美しい海辺の村として人気を高め人気の観光地となり、新市街が発展していますが、現在は高台の旧市街と海辺の新市街は、ケーブルカーで繋がっています。
<アルコバサ> アルコバサ修道院 
町はアルコ川(Alcoa)とバサ川(Baça)に沿って成長したため、街の名前がアルコバサとなったようです。

町はアルコ川(Alcoa)とバサ川(Baça)に沿って成長したため、街の名前がアルコバサとなったようです。
初代ポルトガル国王アフォンソ・エンリケスがレコンキスタに協力したシトー修道会に感謝して、1147年より修道院を建設したことに始まります。
その後、この修道院はポルトガルで最も壮麗なゴシック式教会の一つであるアルコバサ修道院へと発展し、更にマヌエル様式の2階が加わったり、18世紀にはバロック様式の教会が併設されたり、色々な建築様式が入り混じった建物になっています。
また、教会内には、ポルトガルの「ロミオとジュリエット」と言われるポルトガル王のペドロ1世と殺害された王妃イネス・デ・カストロの棺が静置されるなど、この修道院は何世紀にもわたり、ポルトガルの文化を形成する上で重要な役割を果たしています。(まさ)
<ナザレ>

ノッサ・セニョーラ・ダ・ナザレ教会

同上 内部はアズレージョが美しいです

崖に突き出た展望台 100m以上もあり高いです

ナザレの海岸を見下ろす


教会前の旧市街地

お土産物屋が多いです

メモリア礼拝堂

内部の天井

ケーブルカーでナザレの新市街へ

お土産物屋が多いです

メモリア礼拝堂

内部の天井

ケーブルカーでナザレの新市街へ

ナザレの海岸から先程居た崖の上を見る 手前は昼食を摂ったレストラン

今日の昼食は名物イワシの塩焼き 美味しかったです

海岸 大西洋です

海岸より崖を見上げる 右の方にケーブルカーも見えます

漁船 現在港の機能は他に移っています

イワシの開きを干しています
<アルコバサ修道院>

意外に小さなアルコ川を渡って旧市街へ 反対側にバサ川という川があるようです

意外に小さなアルコ川を渡って旧市街へ 反対側にバサ川という川があるようです

旧市街

路地の奥に城壁が見えます

この門を通って修道院へ

修道院 その前は4月25日広場

回廊

回廊の角

中庭に面した休憩所

2Fへの石段

回廊からの展望

僧の広間

台所の大きな煙突

2Fへの石段

回廊からの展望

僧の広間

台所の大きな煙突

ドン・ディニスの回廊 中庭を見下ろす

中庭と塔 2F部分は16世紀に増築されマヌエル様式の装飾です

教会への入口 18世紀に改築されたバロック様式です

ポルトガルの「ロミオとジュリエット」と言われる悲恋物語の主人公ペドロ一世の棺
