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老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

ポルトガル旅行記  その⑲  ヨーロッパの最西南端からリスボンへ (6月3日)

2025年07月13日 19時44分39秒 | 旅行/色々な風景
 ラーゴスを終えてからは、ラーゴスのすぐ西側にあるザグレス要塞に立ち寄った後、ユーラシア大陸の最西南端のサン・ヴィセンテ岬に向いました。

 その後、いよいよ最終目的地のリスボンに向かいますが、この間約4時間のドライブ。
困ったのはポルトガルの高速道路はドライブインが少なくて、トイレ休憩が簡単に取れないことですが、何とか夕暮れ時のリスボンに到着。

 ホテル近くの公園でジャカランダが満開なのを確認しましたが、荷物を置いて直ぐに、ファドを聞きに、夜の街へ出かけました。(まさ)

<ザグレス要塞>

要塞へ

砦に登る人も

野草が多く、私はここでの野草撮影に一所懸命

近くの海岸部

強い風の中で

直ぐ近くにサン・ヴィセンテ岬が見えます

<サン・ヴィセンテ岬> ユーラシア大陸の最西南端

岬が見える

少し近づく

同上

同上 高さは75mあるようです

灯台 中には入れません

灯台の奥にある建物

結構風は強いです

同上

<リスボンへ>

ウツラウツラしてましたが、牧草地が多かったように思います

刈り取られた牧草 こちらは長方形

同上 こちらは丸形

※ 刈取って寄せ集めた干し草や藁のような作物を圧縮して梱包するのには、ベーラー(Baler)という農業機械が使われますが、このベーラーには丸型に成型するものと方形に成型するものがあります。
これらの用途の違いが気になっていましたが、<ビジネスインサイロ>というサイトで、下記のような説明がありましたので、ご参考までにお知らせします。

【丸型と角型のベーラーの選択は、しばしば農場固有の要件に依存します。丸型ベーラーは、取り扱いや保管の容易さを重視する農家に一般的に好まれ、丸型ベールの転がる特性により、雨水が流れ落ちやすく、自然に耐候性があります。逆に、角型ベーラーは密度の高いベールを生産し、輸送や保管時のスペースを最適化するため、商業運営に非常に適しています
干し草が主に牛のためである場合、自然な給餌メカニズムのために丸型ベールが適しているかもしれません。しかし、より高品質な保管を必要とする馬の農場では、角型ベールが好ましいかもしれません。農家にとって重要な質問は、機器が既存の機械や保管施設と一致しているかどうかです。】


リスボン近くになって、鉄塔にコウノトリが巣を作っていて、まるでマンションの様でした。
拡大してみると、殆どの巣に親鳥が見えます。

<リスボン到着>

夕暮れのテージョ川に架かる4月25日橋を渡る。ベレンの塔が小さく見えます

下には港湾施設が

ホテル近く、ボンバル侯爵公園ではジャカランダが満開の様子


荷物を置いて夜の街へ

ファドの店LUSOへ 内部は広くて160名も入れるようですが、日本からの他のツアー団体や、各国からの団体客で満員で、写真は撮れませんでした。(まさ)」




ポルトガル旅行記  その⑱  ポルトガル西南部の海岸 (6月3日)

2025年07月12日 19時40分40秒 | 旅行/色々な風景
 昨夜は昨夜はバスの長旅に疲れて早めに寝たので、今日は少し早起きし、ホテルのすぐ前のビーチに出て久しぶりに静かな朝の海を楽しみました。

 朝食後は、ラーゴスの街に出て、ラーゴス駅などを見た後、小舟に分乗しポンタ・ダ・ビュダーデという名の海岸のボート・ツアーへ。
陸上では少し風があったので、心配しながらの出航でしたが、上手い具合に高い崖が風を遮ってくれたようで、船は揺れもなく入り組んだ大西洋の海岸の絶景を楽しめました。(まさ)

<ラーゴスの海岸と、ラーゴス駅>
早朝のビーチへ
朝日を浴びての静かな海です

市内で見かけた噴水 少し判りにくいですが舟の中から水が出ています

ラーゴス駅 賑やかな列車が到着

工事用のミキサー列車
同上

暫くするともう一列車着いていました

<ポンタ・ダ・ビュダーデのボート・ツアー>
ラーゴス駅近くの港で、ボートへの桟橋

こんなボートで出航です

旧市街
途中には、復元された昔の航海時代に使われていたカラベル船

旧市街のサンタ・マリア教会

いよいよ港外へ


崖は高く、カヌーも多いです

同上

変化のある岩石
洞窟へも
こんな所も通ります

同上
同上

見上げると

本当に変化に富んでいます

コバルトブルー



ポルトガル旅行記  その⑰  モンサラーシュ (6月2日)

2025年07月11日 19時12分45秒 | 旅行/色々な風景
 引き続いては、エヴォラから約1時間東へ、スペイン国境に近い300mほどの丘の上にあるこれも城壁の街、モンサラーシュです。

 スペインを源流とし西に流れるグアディアナ川が、昨日訪れたエルヴァス付近で進路を南に変えて、スペインとポルトガルの国境となっていますが、この川に出来た人造のダム湖(マルケヴァ湖)にも近く、かっては戦略的にも重要であった村は「ポルトガルで最も美しい村」にも選ばれています。

 私的には、最初に訪れたリスボンの北にある、オビドスに似た感じの村ですが、もっと静かで落ち着いた村だと思いました。

 その後は、ポルトガル南東部を南下し、南部の地中海に面した町ラーゴスまで3時間ほどバスに揺られました。(まさ)


城壁

石積は、今まで見てきた城壁とは全く違っています

この門から町の中へ

門から町の中を見る

メインストリート 

石畳の道 中央が少し低く水が流れやすくなっています

歩道の敷石 正直言って少し歩きにくいです
メインストリート ひっそりしています


カテドラル
カテドラルと横の道

メインストリート 城が見えてきました

広場

城  前の広場は現在は闘牛場になっているようです


城壁と塔

城壁に沿った道


城壁よりダム湖(マルケヴァ湖)を見る

同上

同上


民家

土産物屋

民家


路地

路地

路地

町の中の風景

いよいよ町から出ます







ポルトガル旅行記  その⑯ エヴァラ (6月1日)

2025年07月10日 19時28分15秒 | 旅行/色々な風景
 昨夜は南東部のエヴォラという町に泊まり、今日はエヴァラ市内を回り、その後スペイン国境に近いモンサラーシュという城壁都市に行き、そこから約4時間かけて南の海岸沿いのラーゴスという町まで行くという強行軍でした。

 エヴァラ/モンサラーシュ共に見所が多いので、少し丁寧に説明しましょう。

 エヴァラはアレンテージョ地方(「テージョ川のかなた」の意です)の中心としてローマ時代から栄えた城壁都市で世界遺産になっています。

 1582年2月に九州のキリシタン大名である大友義鎮に派遣された「天正遣欧少年使節」一行の4名は、天候待機などもあり2年以上かけて1584年8月にリスボンに到着し、その後エヴォラにも立ち寄った後、スペインに入り、マドリードやローマを回り、1590年に無事長崎に帰港したということもあり、日本人にも馴染みの街ということになります。(まさ)


市内で見かけた城壁

ジラルド広場とサン・アントン教会

市役所
イスラムの名残のアーケードもあります


ディアナ神殿 ギリシャではなく2C頃にローマ時代に建てられたようです

同上

神殿公園の中にある彫刻 「波立つ海の中に光る満月」と題する日本人北川昌邦氏の作品です

カテドラル

ラセン階段を上がってテラス状の屋根

屋根から神殿を見下ろす。左側に水道橋が少し見えます ローマ時代の神殿があるので、ローマ時代のものかと思いましたが、16Cに造られたようです

中庭
聖堂内

同上
パイプオルガン 1584年に天正遣欧少年使節が立ち寄った時に、日本の少年が上手く弾いて驚かせたようです。(少年たちが、どこでパイプオルガンの弾き方を習ったのかという疑問がありますが、どうやら天候待ちでマカオに滞在中という説があります)


市内には、昔の立派な水道橋が沢山残っていて、それを利用した建物も多いです
ローマ時代の遺跡がある場所での水道橋という事で、ローマ時代のものかと思いましたが、やはりそうではなく完成は1537年で、19世紀には改修が行なわれているようです。
同上
同上
同上

同上

路地
同上


ポルトガル旅行記  その⑮ ポルトガル南東部の城塞都市(6月1日)

2025年07月09日 19時33分00秒 | 旅行/色々な風景
 前日はモンサントを終えてから、1時間ほどかけて南にあるカステロ・ブランコという町に泊まり、この日は朝からテージョ川を越えて、スペインとの国境に沿ったような形でアレンテージョ(“テージョ川のかなた”という意味のようです)と言われる地域を南下。

 珍しく教会巡りではなく、この日は城塞都市巡り。

 マルヴァオンという町とエルヴァスという町で、この2つの町の様子を、順番にお知らせしますが、この日はその後エヴォラという町に泊まりました。(まさ)

<マルヴァオン>
マルヴァオンは、サン・マメーデ山の頂上に築かれた、「鷹の巣」と呼ばれている城塞都市です。
町に近づくにつれ山頂を囲むような城壁が見えてきます。

9世紀にイスラム教徒であるムーア人がこの岩山で夜を明かしたのが始まりとされていて、その後もイスラム教徒による支配が続いていましたが、ポルトガルの初代国王となるアフォンソ・エンリケス率いるキリスト騎士団(前身はあのテンプル騎士団)によって奪還されたそうです。

その後、城として整備され、1762年にスペインの大軍がマルヴァオン城を攻撃したが、イギリスとポルトガルの守備軍に撃退された戦いで有名です。

町に近づくにつれ城壁が見えてきます
同上
この狭い門から入ります


細くて曲がりくねった石畳の道です

同上

街中の様子


城が見えてきました

城への入口を目指します

見張り塔など

大砲

城壁の門を潜ってはいる

城に到るまでの次の門

やっと城が見える。 私はここからUターン

下を見下ろす 遠くにスペインも見えます

同上

街中の細い道 帰りは来た時の道を通っている積りが、見事に迷いました。


<エルヴァス> 
 エルヴァスは、ローマ時代から主要地ですが、古くからイスラムやスペインとの争いが繰り返されている場所で、アルフォンソ8世が1166年に、カスティーリャ王国の領土としたが、その後、カスティーリャとポルトガルの間で、エルヴァスをめぐり、衝突がおき1658年と1711年の2回、スペインの版図となったこともあります。

 このような歴史を経て、この街全体が塁壁に囲まれた要塞となっています。その要塞の形は北海道の五稜郭や長野県の龍岡城などと同じく星型の要塞で、7つの稜堡とサンタ・ルジーアとノサ・セニョーラ・ダ・グラーサと名づけられた要塞に守られています。

 また、アモレイラ水道橋と呼ばれる全長約7キロメートルの水道橋はイベリア半島最長であると同時に、エルヴァスの町に水を供給していますが、このアモレイラ水道橋の建設は15世紀に始まり、1622年に建設が完了しました。

 また、街中にはかっての城の跡や、ノッサ・セニョーラ・ダ・アスンサオン教会もあります。
この教会は、かつてはゴシック建築だったのが、後にマヌエル様式に改築されたようです。


町に近づくと、先ず塁壁が目に入ります

街中のELVAS の表示

街中で見かけたジャカランダ
街中の様子 

同上

レプブリカ広場

同上 面白い敷石の模様


ノッサ・セニョーラ・ダ・アスンサオン教会

同上内部

同上


街中で見かけたコンポステーラへの巡礼路表示

かっての城跡


グラーサ要塞

塁壁の先にあるサンタ・ルジーア要塞

アモレイラの水道橋

同上

同上

同上
同上

同上 エルヴァス市の紋章がありました