老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

スペイン「銀の道」旅行記 その⑫ サモラ 市内とパラドール (10月5~6日)

2024年11月02日 18時48分49秒 | 旅行/色々な風景
 ポルトガルに立ち寄った後はサモラのパラドールに直行し、自由行動時間を利用して直ちに市内の散策へ。
この町はローマ時代からの町ですが、その後イスラムやキリスト教へと変遷していく中で、貴重な建築物も多くて、中々見所があります。

 最初の5日は何とか晴れていましたが、翌6日は生憎の雨
この旅行会社との相性の良さで今までは雨に合わなかった「晴れ男」だったのですが、ついに運命も尽きたか、用意していたレインコート姿で町を歩きましたが、スペイン北部のこの地区は結構雨が多い様です。
尚市内の写真は晴れていた5日と、雨の6日の写真がミックスになっています。(まさ)

<パラドール> 15世紀のルネッサンス様式の宮殿跡のようですが、結構落ち着けました。

外観
入口

同上

中庭
同上

階段

食堂

寝室

同上のドアー 何とも歴史を感じます

<サモラ市内> 

ヴィラト広場のプラタナス 夏の陽を防ぐために背は低く横に伸びるように剪定されています

市内の様子

市内のあちこちに教会が

路地

観光用のトレインもあります

サンタマリア・マグダレナ教会 12世紀のものらしいですが、玄関の扉にあるマルタ騎士団の紋章が目につきました

ドウロ川に架かるローマ橋 昨日のポルトガルのミランダ・ド・ドウロで見た国境の川の上流になります


カテドラル

同上

同上

同上


コウノトリ あちこちにコウノトリの巣があるのですが、最近は温暖化の為か冬場にも南に帰らずに越冬するトリが多い様です


ツタの紅葉

路地

同上


バルタサール・ロボ(1910~1993)美術館 サモラ出身の彫刻家で母性愛をテーマとした石と青銅の作品が多い様です。 大阪の御堂筋にも「髪をとく娘」という名の彫刻が飾ってあるようです

ロボの作品と要塞


要塞 11世紀に造られた要塞ということです

立派な空堀

要塞の内部

ロボの作品も置かれています

ローマ風の建造物もあります
同上


市内の風景

芝生の落ち葉  丈が短くて綺麗な芝生でした

壁画

同上

マジョール広場とサンフアン教会


雨の中を新市街へ 下っていきます

新市街はモダニズム建築で有名なようです

市内

同上

裁判所と、その前にあるロボの作品





スペイン「銀の道」旅行記 その⑪ ミランダ・ド・ドウロ(ポルトガル)(10月5日)

2024年10月30日 19時48分06秒 | 旅行/色々な風景
 ここは「銀の道」からは外れていると思うのですが、サラマンカから次の宿泊地であるサモラが近いためか、少し回り道して国境を越えてポルトガルのミランダ・ド・ドウロという町に立ち寄りました。

 ポルトガルの北東部の山の中にある小さな町で、ポルトガルの首都であるリスボンからは非常に不便で、ここを訪れる観光客は殆どがスペインからのようです。

 また、言語としては独特のミランダ語(ポルトガルの公用語になっています)を使っているようですし、少し前までは独自の服装などもあったようですが、古くからポルトガルの一部としてスペインなどとも戦っていたようで大きな要塞の跡などもあります。(まさ)


スペインとポルトガルの国境はこのドウロ川の中央です。(ポルトガル側からの写真)

非常に深い谷です
ダムが作られています

ダムの堰堤の上に道路が通り、真ん中が国境ですが、どちらもEU加盟国なので、全く自由に往来できます


新市街を見下ろす

要塞跡
城壁

同上

同上

要塞跡

同上
同上

同上

同上
同上

門の跡から新市街を見る

(旧市街)

礼拝堂

道路の敷石
路地
同上

同上

同上
同上
古い住宅
同上


市庁舎

その前にはこの地方独特の衣装を着たモニュメント  
山間部なので冬はかなり冷え込むようです

丁度お祭りらしく踊り手と音楽隊の一行

音楽隊にはバクパイプに非常に似た楽器もあります

先導する司祭の服装は、先ほどのモニュメントの衣装に似ています

市役所前の広場で踊り手が棒を打ち鳴らしてのダンスを披露

子供の帽子も可愛らしかったです


カテドラル

同上 内部


メインストリート
壁画
壁画

同上



スペイン「銀の道」旅行記 その⑩ サラマンカ 後編(10月4日)

2024年10月29日 19時18分12秒 | 旅行/色々な風景
 引き続いては、サラマンカ市内の後編です。(まさ)

<マジョール広場> 18世紀に作られた広場です

この町の中心です

最初に来たときは曇り空でドンヨリしていました

市役所

午後に2回目に来たときは晴れていて、青空に映えていました

最後に夜に来た時の活気ある風景です

<貝の館> 15世紀の建物で巡礼者を守るサンチャゴ騎士団の建物ですが、現在は図書館になっています。
サンティアゴ・デ・コンポステーラに祀られている聖ヤコブにはホタテ貝がつきもので、巡礼の道の道しるべにもホタテ貝のマークが描かれています。
因みに、ドイツ語でホタテ貝をヤコブの貝(Jakobsmuschel)とか、巡礼者の貝(Pilgermuschel)と言うようです。

外観

壁にはホタテ貝が一杯です

入口

中庭

館内の飾り

同上

<ポンティフィシア大学 スカラ・コエリ> 同大学にある塔(スカラ・コエリ)に登りました。
この学校の前身は、17世紀に設立されたイエズス会の神学校で、現在サラマンカ・ポンティフィシア大学の一部として機能しています。

貝の館の直ぐ前にある大学のスカラ・コエリ

スカラ・コエリの案内

急な階段を休み休みで登りました

鐘楼からの眺め すぐ下に貝の館があります

市内が一望できます

もう一つの塔まで歩いていけます

ドーム

カテドラルが直ぐ近くに見えます

<市内の様子>

街路樹は少し色付いています
アールヌーヴォとアールデコ美術館
サンチャゴ・デル・アラベル教会

同上


サンセバスチャン修道院

同上

同上
街中で見かけるホタテ貝はサンチャゴ巡礼の道表示
市内の様子

同上

同上

同上

<市場にて>

生ハムサンド

市場内

肉屋

こちらも肉屋


お犬ちゃん



スペイン「銀の道」旅行記 その⑨ サラマンカ 前編(10月4日)

2024年10月28日 19時04分46秒 | 旅行/色々な風景
 「スペインの美しい村」を2か所回ってからは、ポルトガルとの国境に近いサラマンカに到着しパラドールに連泊ですが、このパラドールは古い建物を改装したものではなく近代的な建物ですが、谷を隔てて旧市街と向かい合った非常に景色の良いパラドールでした。

 このパラドールをベースにして、スペイン中西部の要衝地であり、ヨーロッパでも有数の大学都市で、由緒ある建造物も多いサラマンカの街をじっくりと見て回りました。

見所が多く、ここも2回に分けてお知らせします。(まさ)

<パラドールからの風景> 谷越えにサマランカの旧市街が正面に見えます

朝早くには霧の中の幻想的な景色でした

徐々に霧が薄くなりました

やがてはっきりと見えるようになりました  右がカテドラル、左がポンティフィシア大学の塔

夜もライトアップされた旧市街が綺麗に見えます

<ローマ橋> ここにもローマ橋がありますが、人間は通行可能です。ポルトガルンのリスボンに流れるドグロ川です。
ローマ橋

同上

同上

同上
橋のたもとにある古い石像

<サラマンカ大学>  1218年創立の世界でも屈指の歴史ある大学です
カテドラルのすぐ近くです
同上

大学の広場
古い門

正門

有名なドクロとカエルの彫刻。ドクロは死を、カエルは欲望の象徴らしいです

昭仁皇太子と美智子妃殿下が訪問された記念板
ラテン語ですが、「本学は、日本帝国の皇太子殿下ならびに同妃殿下である明仁と美智子を喜びをもって迎えたり。1985年2月28日」と書いてあるようです
中庭

部屋の天井

学内の祭壇

<カテドラル> 新旧のカテドラルが繋がっています
新カテドラル

同上

入口

内部 天井

同上

同上

ステンドグラス

祭壇

説教台へ

天井


旧カテドラル祭壇

ドーム

外壁

鐘楼

外観

同上

※ 少し長くなりますが、【日本の天皇家・岐阜県とサラマンカとの関係】のエピソードです。
・1985年2月に当時の皇太子同妃両殿下がサラマンカを初めてご訪問。

・町の大聖堂には、その中に大学が設けられていた頃からのものも含め、古いパイプオルガンが幾台か保存されているが、中央の祭壇に向かっての両側には、最も大きな2台が配置されている。一つはルネッサンス期の逸品だが、なり前から壊れたままとなっていた。
これを知った美智子妃殿下が中心になり動かれ、88年の末には東京で募金のためのコンサートが開かれたほか、スペイン進出の日本企業等が資金を提供し、日本人のオルガン制作者・辻宏氏(故人)による抜本的な大修理が約1年にわたり実施され、1990年3月、みごとに蘇って大聖堂のドームに響きわたった。

・(1989年に即位された天皇皇后両陛下は)1994年10月、スペインへの公式ご訪問の際にサラマンカへ再びお立ち寄りになり、同地の大聖堂で修復なったパイプオルガンの演奏をお聴きになった後、サラマンカ大学を再度ご訪問になった。

・一方、修復者の辻氏が在住していた岐阜県では、新しい県民会館内のコンサートホールのために、このオルガンの複製の作成を彼に依頼し、県民へのアンケートの結果に基づいて同ホールをサラマンカホールと命名した。さらに、同ホールの正面入口を飾るために、サラマンカ大学の象徴ともいうべき、プラテレスコ様式の最高傑作とされる正面玄関や大聖堂入口石彫のレリーフの複製作成斡旋をサラマンカ市に要請した。

・これを受けて、サラマンカ近郊のビリャマヨール村の石彫技術者が、日本の公共施設に相応しいようにしたいとの岐阜県の希望にしたがい、モチーフの一部を修正した上で、原物と同じ石材を使用して、彫刻にとりかかった。石彫は、3年近くの歳月をかけて97年6月にみごとに完成し、98年3月岐阜市のサラマンカホールに取り付けられました。

・2013年6月 当時の皇太子殿下(現天皇)がサラマンカ大学をご訪問。

・2018年4月、天皇皇后両陛下が、東京で開催されたスペイン最古の大学であるサラマンカ大学が創立800周年を迎えたことを祝う会に出席。



スペイン「銀の道」旅行記 その⑧ 「スペインの美しい村」ラ・アルベルカとシウダード・ロドリコ(10月3日)

2024年10月27日 19時17分29秒 | 旅行/色々な風景
 引き続いては、「スペインで一番美しい村」に選出されているラ・アルベルカとシウダード・ロドリコ村を訪ねました。「スペインで一番美しい村」は、
・人口が15,000人未満であること
・認定された建築遺産または自然遺産があること
・景観の保護と車両の制限
・草木や花々を美しく保つこと
という基準を満たした村だけが称号を得ることができますが、現在111の村が登録されています。<Local Local Europe>

<ラ・アルベルカ>
非常に特異な綺麗な山中の村ですが、周囲にはクリの木が多く、クリの名産産地としても有名なようです。何よりも寒冷地に合わせて石を上手く用いた住宅の美しさに目を引かれました。

駐車場にもクリの木
村の入口  住居は特異な石造りの壁です

同上
住宅の石の壁はこのようになっています
お土産店が並ぶメイン通り
クリ焼き専用のフライパン
生ハム屋も多いです
街の歩道にある村の表示板
きれいな湧き水が引かれています


昼食を摂ったレストラン
素敵な壁の模様です

前菜の生ハム まるで牡丹鍋の猪肉の様で、生ハムの脂の部分は直ぐに溶け始めます。上手く切るコンテストもあるようです。
メインはマス


花一杯の通りに面した建物
村の中心地
花いっぱい

苔がある敷石
フクシャを飾った家も
路地

同上

同上

同上

同上

民家のツタも紅葉

<シウダード・ロドリゴ> ポルトガルとの国境に近く、要塞化された砦の街です

砦のイメージ図 函館の五稜郭を思い浮かべさせるような作りです

城壁

城壁の中
外を見ると空堀が沢山あります

このような広い場所もあります 向こうに見える山はポルトガルです

砲台
外にあるテージョ川(ポルトガルのリスボンに流れています)、この橋もローマ橋?

(城壁内)
ロス・ヴァスケス邸

市庁舎

お祭りがあるようで、その準備中です

聖母マリア大聖堂
同上

同上

サンチアゴ・デ・コンポステーラ巡礼の表示 ホタテ貝です

外に通じる門

北部に近づくにつれ、雲が厚くなってきました