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老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

ポルトガル旅行記 植物編 その① 高木の部

2025年07月26日 19時34分11秒 | 旅行/色々な風景
 今回のツアーでは想像していた以上に沢山の植物に出会えました。
丁度時期的に良かったのと、今回のツアーが都会だけでなく田舎というか地方の小さな町や山間部も回ったので、色々な植物に出会える機会が多かったようです。

 お陰で、帰国後の写真整理にいつも以上の時間が掛かりましたが、ある程度の目途が付いたので今回のツアーで出会えた植物達を数回に分けてお知らせします。

 最大の目的であったジャカランダについては旅行記の初回で取り上げましたので、それ以外の植物になりますが、初回は高木の部です。(まさ)

オヒアレファ(フトモモ科)
同上
同上


ベニバナトチノキ(ムクロジ科) 最近では日本でも街路樹として見かけることが多くなりました
同上
同上

ニュージーランド・クリスマスツリー 上記のオヒアレファに似ていますが、もっと強い印象です

同上


メラレウカ・スノーインサマー  名前の通り、雪の様な白さです
同上

プレピレア・ロブスター(ヤマモモガシ科) 鮮やかな黄色です

同上
同上


ゴウシュウ・アオギリ ポルトの大学の実習植物園で見かけました

同上


イオクレマ(ナス科) リスボンでジャカランダの横に咲いていて、同じような色なので見逃すところでしたが、エンジェルトランペットの仲間のようです。

同上


フイリソシンカ(マメ科)

同上

同上


センダン(センダン科) 日本でもお馴染みの樹木です

同上


アカべ(=リュウゼツラン)(キジカクシ科) もうすぐ咲きそうでした

同上


コルクガシ(ブナ科) ポルトガルを代表する樹木です



ポルトガル旅行記  その㉒ リスボン バーシャ地区  (6月4日)

2025年07月17日 19時11分53秒 | 旅行/色々な風景
 いよいよこの旅行記も最終です。
今回は、最終日にシントラやロカ岬の後リスボンに帰り、自由時間となった際に回ったリスボンのバーシャ地区の色々な様子をお知らせします。
短時間のリスボン滞在でしたが、色々な風景や町の様子を楽しませていただきました。

 これで「ポルトガル旅行記」の本文は終わりですが、延々と続いた旅行記にお付き合いいただき、ありがとうございました。

 また例によって、今回の旅行で見かけた植物については別途お知らせいたします。(まさ)


ロカ岬からの帰路に車窓から見かけた水道橋 18世紀の建築で1775年の大地震にも耐え、1868年迄使用されたようです。

地下鉄構内のアズレージョ
地下鉄構内


サンタ・ジェスタのエレベーター 20C初頭に造られたようですが、現役です
同上 エレベーターの囲い
エレベーター塔の展望台から ロシオ広場 ジャカランダも見えます

同上 サン・ジョルジュ城

同上 テージョ川方面

サンタ・ジェスタのエレベーター上層階からはカルモ通りへ
カルモ教会
同上とジャカランダ

市電軌道

市電㉘

同上
同上

市電㉔
市電㉔と㉘のすれ違い

同上

ケーブルカー ビッカ線 坂道の多いリスボンの名物で、一度経験しようと思ったのですが、残念ながら保守中で動いていませんでした

同上


市内で見かけたBARの宣伝

地下鉄 マルケス・デ・ボンバ駅を上がるとジャカランダが



ポルトガル旅行記  その㉑ リスボン ベレン地区 その(2) (5月25日)

2025年07月16日 19時17分14秒 | 旅行/色々な風景
 ジョロニモス修道院を終えてからは、その近くに固まっている名所を回りましたが、主な所を紹介します。

<ベレンの塔>  世界遺産
 マヌエル1世の命により1515年に着工され1520年に完成。
元々はテージョ川を行き交う船を監視し、河口を守る要塞として作られたが、税関や灯台としても使われました。
 マヌエル様式の優雅なテラスなどを有し、司馬遼太郎が「テージョ川の貴婦人」と表現したようですが、内部には砲台や牢獄があり、白い外壁の優雅さと過去の暗部的な要素とのギャップが激しいようです。

 残念ながら、修復中の為か今回は中に入れず、岸から見るだけでした。

ベレンの塔

テージョ川の上流方面を見る 4月25日橋が近くに見えます

塔の前にある水上飛行機

南大西洋横断100年を記念して2022年に建造されたようです

<発見のモニュメント>
 大航海時代に関わる記念碑で、52メートルの高さのコンクリート製で、カラベル船首の曲線に似せてあり、エレベーターで上部まで登れるそうです。

 当初は、1940年の国際博覧会の象徴として制作されたが、最初に作られた記念碑はもろい素材で制作されたため、1960年にエンリケ航海王子没後500年の記念行事としてコンクリートで再度制作されたようです。

 記念碑正面にある石畳には多くのポルトガル人航海者が辿った航路を示す世界地図のモザイクがある。このモザイクは1960年に南アフリカ共和国から贈呈されたもの。
世界地図にはポルトガルが「発見」した年が記述されているが、日本の場合、ポルトガル人が種子島に漂着した1543年ではなく、ポルトガル船が豊後に漂着した1541年が記述されていなす。

大きな塔が見えてきます

塔の全容(WIKIPEDIAより引用)
歩道のモザイク模様

モザイクの大きな世界地図

日本の所には1541となっています

モニュメント 先頭はカラベル船の模型持つエンリケ航海王子
先頭部の拡大 エンリケ航海王子以下、バスコ・ダ・ガマ/マゼラン/ザビエルなどがいるようです

反対側

<国立馬車博物館> スペイン語で車を意味する「coches」とあったので、車の博物館かと思っていましたが、「coches」は元々は「馬車」を意味したようで、展示されているのは「馬車」でした。「馬車」の博物館は初めてですが、色々な馬車が展示してあり見応えがありました。

馬車

同上

華麗な装飾です
6頭立ての本格的な馬車

これは何んと真っ暗な中で馬車を照らす照明車らしいです

女性や子供用

人が運ぶ

軽快そうな馬車

初期の自動車

懐かしい前のハンドルを回しての稼働です

<市内の様子>

トラムとジャカランダ

トラム

2階建てのバス 観光客用に沢山走っています

ツクツクも多いです

ジャカランダの花

有名なエッグタルトの店らしいです

1837年の創業のようです

歩道の模様



ポルトガル旅行記  その㉑ リスボン ベレン地区 その(1)  (5月25日)

2025年07月15日 19時20分04秒 | 旅行/色々な風景
 いよいよ残るのはリスボン市内だけですが、最初は5月25日の初日にリスボンに到着してから回ったベレン地区の紹介です

先ずは、ジョロニモス修道院 (世界遺産)です。
 ここは、ヴァスコ・ダ・ガマによるインド航路開拓および、エンリケ航海王子の偉業を称え、1502年にマヌエル1世によって着工され、1511年に回廊など大部分が完成したものの、その後、マヌエル1世の死やスペインとポルトガルの同君連合による中断等もあり、最終的な完成には300年ほどかかっています。

 その建築資金は最初バスコ・ダ・ガマが持ち帰った香辛料の売却による莫大な利益によって賄われ、その後も香辛料貿易などによる利益によって賄われ、大航海時代の富をつぎ込んで建築されたもので、マヌエル様式の最高傑作と言われています。(まさ)


バスを降りると、ジャカランダの向こうに見える

鐘塔と右側

正面門と併設のサンタ・マリア教会  前に居るのは観光客用のツクツク

鐘塔と左側
左側

正面口

同上


修道院内部 タイル

中庭に面した回廊
中庭と2階建ての回廊

同上

回廊

回廊の2階部 豪華な装飾です

回廊1階部の装飾
回廊の柱 ロープのイメージらしいです
回廊の飾り

中庭の噴水


食堂
同上のタイル画

同上


サンタ・マリア教会 内部

同上 ステンドグラス

石棺 バスコ・ダ・ガマ

同上 ルイス・デ・カモイス(詩人) 昨日のロカ岬の碑の詩文作者です

同上 「幸運の手」見つけると願いが叶うと言われています





ポルトガル旅行記  その⑳ リスボン近郊 (6月4日)

2025年07月14日 18時55分02秒 | 旅行/色々な風景
 前夜は23時ごろにホテルに着いて爆睡でしたが、翌日は朝からリスボン近郊へ。
北西にあるシントラとロカ岬です。

 シントラは、8世紀ないしは9世紀にはムーア人(アフリカ北西部に住むイスラム教徒)が、ムーアの城跡(カステロ・ド・ムーロ)を建設したとされるが、11世紀のアラブ人の地理学者であるアル・バクルによる記述が残っており、今回訪れたシントラ宮殿は、14世紀にジョアン1世によって建てられた夏の離宮で19世紀後半まで使用されていたようです。
イスラム教徒が残した建物を基礎に増改築をしているので、ムデハル/ゴシック/マヌエル/ルネッサンスなど多様な建築様式が見られます

 山間部にも王族が避暑地として利用さした宮殿群や城跡、そしてオーク美しい森林に覆われた花崗岩のシントラ山脈、田園風景の広がる丘陵、公園と庭園を含むシントラの文化財は、「シントラの文化的景観」として、1995年、ユネスコの世界遺産に登録されています。

 尚、1584年8月にポルトガルに着いた天正遣欧使節の一行も、シントラの王宮を訪れてアルベルト・デ・アウストリア枢機卿(当時ポルトガル王を兼ねていたスペイン王フェリペ2世からポルトガル副王に任命されていた人物)に謁見したようですし、この歴史的関係に因んで、1997年から長崎県大村市と姉妹都市提携をおこなっているとのことです。

 この日は生憎とリスボンを出発後に雨が降り始め、現地到着時には雨は上がったものの、山間部だけに霧が濃く、シントラ宮殿だけを見学し、山間部にある宮殿やムーアの城壁などには行けませんでした。


 その後訪れたロカ岬は、ユーラシア大陸の最西部です。(先に行ったサン・ヴィセンテ岬は最西南部で、ロカ岬の方が少し西になります)
140mの断崖の上に記念碑があり、灯台も設置されています。

<シントラの宮殿> 

王宮 霧のために有名な大きな煙突も霞んでいます
王宮内より外を見る 霧の中です

同上 宮殿などがある山の方は全く見えません
王宮の模型

王宮内 ステンドグラス


白鳥の間

カササギの間
紋章の間


タイル張りの暖炉

タイルのアップ

床 イスラム調です

アズレージョ


中庭

王妃の像 最新の技術で顔の表情や眼が変化するので少し気味悪かったです

アズレージョ


ムデハル様式の歩廊

霧が晴れてきて名物の煙突も見えるようになりました

山の方もキリが薄くなり宮殿群が見えます

<ロカ岬>

灯台

野草と碑

記念碑 奥に灯台

記念碑には「Onde a terra se acaba e o mar começa (ここに地果て、海始まる)」<ポルトガルの詩人ルイス・デ・カモンイスの叙事詩『ウズ・ルジアダス』第3詩20節の一節>と記されています。

大西洋ですが 水面から140mの高さのようです

ロカ岬への訪問証明書