ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

二流のリーダーは、「まじめ・賢明・一生懸命」・・・

2016年03月16日 | Weblog
二流のリーダーは、「まじめ・賢明・一生懸命」・・・

「人を動かせる人の50の小さな習慣」中谷彰宏著より。

一見この3つが揃っていれば、いいリーダーにも思えるが、それでは二流止まりだった。変化のない時代ではそれが評価されたが、今の変化が大きい時代では無理なようだ。

足りないのは明るさだった。筆者は一番大事なのは「明るさ」だという。失敗しても笑っていられるリーダーなら部下はついてくるからだった。

この本のタイトルは「人を動かせる~」となっているが、一流と二流のリーダーについて述べられている。別のページでは「部下が思わず動きたくなるリーダーになる50の方法」ともあった。

人間は文字通り現金なもの。

2016年03月15日 | Weblog
人間は文字通り現金なもの。

「見通す力」池上彰著より。

つまり自分の損得がかかると、情報集めにも力が入るからだった。そういえば、かつて金を買ったことがあったが、その前後にはその価格が気になったものだった。

見通す力をつけることで、仕事も私生活も含めて、自分の人生がまったく違ってくるという。それはこれから起きることが分かりやすくなるからだろう。

筆者は、見通す力を、まずは自分の興味がある、自分に直接役立つ分野で使ってみることをすすめている。実際に投資をしてみるのも一つの方法らしい。

新聞は毎日読むことが大切。

2016年03月14日 | Weblog
新聞は毎日読むことが大切。

「見通す力」池上彰著より。

とくに日本の新聞では、すでに読んでいることを前提に書かれていることが多いらしい。だから、いきなり読んでもその前までのことが省略されていると理解が深まらないということになる。

これは新聞は宅配が多いからという理由からだった。しかし、最近は新聞を定期購読する人が減少しているから、逆に読み続けるだけで他人に差をつけられるとも述べている。

なるほど、ネットの記事だけでは深くは知ることができないものだ。たしかに速報性はあってざっと眺めても、すぐに忘れてしまうことが多い。

見通す力を養う基本は、新聞を読むことだったのだ。これなら誰にでもできそうな気もする。ちょっとした継続が大きな力にもなりそうだ。

見通す力をつける作業は、料理と同じ。

2016年03月13日 | Weblog
見通す力をつける作業は、料理と同じ。

「見通す力」池上彰著より。

つまり作る料理が決まったら、誰にでも手に入る材料を集めて、料理をするからだった。しかもいい材料を手に入れて、きちんと作れれば美味しい料理ができるということになる。

将来を見通すことも、それに似ていたのだ。テーマを決めて信頼できると思われる情報を集めることから始まるからだ。そして、仮説を立て、検証していくのだ。

そんなに難しく考える必要もなかった。身近な新聞や雑誌やネットからでも情報はいろいろと得ることができる。時には詳しい人に聞いてもいいのだろう。見通す力は繰り返ししかないのだろう。料理も回数を重ねれば上達するように。

定年後の仕事は浪費だと思え。

2016年03月12日 | Weblog
定年後の仕事は浪費だと思え。

「定年と幸福」鷲田小彌太著より。

これはいったいどういうことなのだろうと、気にかかる。定年後どんな仕事であれ続けるのがいいと筆者は繰り返して語る。そうすることでいきいきとしていられるからだそうだ。だからといって、生活のために働くばかりではなく、楽しんでやることを優先するべきだった。

そのためには、とくに収入が伴わないことも仕事としてはありだった。たとえば、農作業もその一つらしい。まずは、資金を使わねばならないからだ。浪費にもなってしまう。しかし、それを仕事としてやれば充実感を味わえそうだ。

また、ボランティアなどタダでもしたい仕事をするというのもありだった。交通費や食費を考えれば、むしろ持ち出しになってしまうかもしれない。しかし、それも仕事だった。

面白い仕事の仕方もあった。それはやりたい仕事をするために、昼間はアルバイトをするというものだ。呑み屋の仕事をやりたいために、昼間はアルバイトをやっていたという人もいるようだ。根性だな。好きな仕事で金をもらえるなら、幸運だろう。

遊びは仕事をした自分への褒美。

2016年03月12日 | Weblog
遊びは仕事をした自分への褒美。

「定年と幸福」鷲田小彌太著より。

仕事をしているからこそ、遊びもより楽しく感じられるようだ。筆者はこんなことも言っている。「仕事は好きだが、仕事が終わったあとはもっと好きだ」と。

なるほど、好きな仕事をできているうちはいいだろう。とくに定年後は、わざわざ気に食わない仕事をやる必要もないだろう。気持ちよくできる仕事に出合える人は幸せだ。

ただただ生活のためにいやいやながらやるのは時間がもったいない気もする。よく遊ぶ人は、よく仕事をする人だとはよく言われる。楽しく遊ぶためにも仕事ができるとベストなのだろう。

毎日の仕事以上に生活に張りをもたせるものはない。

2016年03月10日 | Weblog
毎日の仕事以上に生活に張りをもたせるものはない。

「定年と幸福」鷲田小彌太著より。

ここには、仕事とは別にこんなことも述べられていた。「結婚生活ほど煩わしいものはないが、緊張というか張りのある生活で楽しい」と。

なるほど、けっこう生活ではそれなりの監視や干渉はある程度お互いにあるものだ。

しかし、だからこそ生活に張りが出てくるともいえる。すべてなんでも気楽なのがいいというわけでもなかったのだ。

同じように仕事があることによって、生活にメリハリができるからやるべきだというのが筆者からのアドバイスだった。遊びだけやっていても、充実感はえられないのだろうか。

決まった仕事をこなしたうえでほかのことをやる・・・

2016年03月09日 | Weblog
決まった仕事をこなしたうえでほかのことをやる・・・

「定年と幸福」鷲田小彌太著より。

そうすると、楽しさが倍加するという。確かにそれは実感としてわかる。これは定年後のことばかりと限らないだろう。

朝起きてやるべき仕事を持っているということは、どんなに励みになるかわからないと述べていた。日々の生活に張りが出てくるという意味らしい。

一見、自由業は気ままでよさそうなものだが、意外にストレスがたまるらしい。仕事が常にあるうちはいいが、なくなる可能性もある。むしろ失業よりたちが悪いとまでいう。いくら実力があっても仕事がなければ辛いものだろう。

作家とは「毎日一定時間書けても書けなくても、机の前に座っていることができる人」と言った人がいるらしいが、筆者はこれは名言だという。なるほど!

オリジナリティとクリエイティビティは違う。

2016年03月08日 | Weblog
オリジナリティとクリエイティビティは違う。

「技術の鉄人 現場の鉄人」牧野昇・中谷彰宏著より。

「日本人は、オリジナリティ(独創性)はないが。クリエイティビティ(創造性)はある」という。なるほど、そうだったのかと思えた次第。

たとえば、CDはフィリップスがアイデアを出したが、いつまでたっても製品化できなかったのだ。しかし、それをソニーに頼んだら製品化する開発段階が非常に優れていたので、いっぺんに、モノにしてしまったそうだ。

発明は確かに素晴らしいが、本当に大変なのは、発明から先だったのだ。そういえば、昨年ノーベル賞を受賞した中村修二さんの青色発光ダイオードもすでに多くの製品となって実用化されているのがスゴイ。

クリエイティビティに自信を持とう、というのがここでの結論でもあった。

新しいものは、延長線上にない。

2016年03月07日 | Weblog
新しいものは、延長線上にない。

「技術の鉄人 現場の鉄人」牧野昇・中谷彰宏著より。

今では、依頼されたことに対して、アイデアは出すがそれ以上のことはやらないのが普通になっている。仕事も命令されたことだけやって十分だと考えている人も多い。それでは決して新しい発想など生まれないものだ。

大事なことは「注文のない発想」だったのだ。それをどれだけ考えられるかがポイントだろう。画期的なことなどはそうして生まれるに違いない。

質問の答えを考えるより、むしろ自分で質問を考え出して、答えも考えるという姿勢が大事だと思える。

運は現場にしか落ちていない。

2016年03月06日 | Weblog
運は現場にしか落ちていない。

「技術の鉄人 現場の鉄人」牧野昇・中谷彰宏著より。

大発明家の話を集めると、偶然がほとんどだという。たまたま、それを発見できたという言葉を聞くものだ。

しかし、その偶然をいかにつかまえるかが大事なのだ。結局、そのためには現場で土まみれになるしかなかったのだ。

’56年からの南極観測隊の初代越冬隊長を務めた西堀栄三郎先生は、壊れた観測器を、全部現地で作りなおしたそうだ。

若い隊員が、「観測機器がないからできない」と言うと「なければ、つくればいい」と言ったのだ。まさにそれは一番大事なところだろう。すべての仕事に言えそうだ。

運は現場にしか落ちていない。

2016年03月06日 | Weblog
運は現場にしか落ちていない。

「技術の鉄人 現場の鉄人」牧野昇・中谷彰宏著より。

大発明家の話を集めると、偶然がほとんどだという。たまたま、それを発見できたという言葉を聞くものだ。

しかし、その偶然をいかにつかまえるかが大事なのだ。結局、そのためには現場で土まみれになるしかなかったのだ。

’56年からの南極観測隊の初代越冬隊長を務めた西堀栄三郎先生は、壊れた観測器を、全部現地で作りなおしたそうだ。

若い隊員が、「観測機器がないからできない」と言うと「なければ、つくればいい」と言ったのだ。まさにそれは一番大事なところだろう。すべての仕事に言えそうだ。

リタイアした人は、趣味でも、モノをつくるほうに進む。

2016年03月05日 | Weblog
リタイアした人は、趣味でも、モノをつくるほうに進む。

「技術の鉄人 現場の鉄人」牧野昇・中谷彰宏著より。

「幸福とは、究極、モノをつくりあげる達成感だ」という。モノをつくれるということは確かに充実感がある。そのモノづくりの面白さは4つあると牧野さんはいう。

創造、参加、完遂、反応だった。モノづくりとはやや異なるが、ブログやSNSなどもある意味それに近そうだ。自分で写真や文章を発表して、多くの人に提示でき、その反応も感じ取ることができるからだ。

そこにコミュニケーションがあることが、継続できる元でもありそうだ。自分一人では味わえない楽しさがある。

成熟社会になればなるほど、効率よりも手間のかかることに喜びを見出だすようになるらしい。だから、メールよりも手書きの手紙だとよりぬくもりを感じられるのだろう。

まわりに人がいなくなったら、新しい人を求めるチャンス。

2016年03月04日 | Weblog
まわりに人がいなくなったら、新しい人を求めるチャンス。

「定年と幸福」鷲田小彌太著より。

定年で職場を離れると、それまでの仲間がすべて消えてしまう。

まずは、上記のように発想転換をしなければいかねばならなかった。

人との関係をつかむためには、まず自分が人を好きになることだった。

これができるかどうかが問題だろうな・・・

学ぶことを人生に添わせる。

2016年03月03日 | Weblog
学ぶことを人生に添わせる。

「定年と幸福」鷲田小彌太著より。

学べば即、ハッピーな人生が送れるわけではなかった。しかし、充実した人生を送るためには学ぶことが必要だった。

ここでは幸田露伴の「努力論」の中の「就学の四標的」について述べられていた。四つのうちの1つ目は「正」だった。つまり偏りがないことが大事らしい。

2つ目は「大」だった。はじめから小さく固まってはいけないということだった。

3つ目は、「精」だった。緻密や琢磨を欠いてはいけないという。つまりいい加減ではないことが大事だった。

4つ目は「深」で、探求することが大事だ。専門バカではダメだった。これら4つを参考にしたいものだ。