子どもが小さい時、寝床に入ってよく読み聞かせをした中に「一休さん」があった。機知に富んだ話がいくつかある中で心に留まったものがあった。もう40年以上前でその本も残っていないので記憶も曖昧になっているがざっと次のような話だった。
庄屋さんの家に招かれた一休さん。最初は粗末な装束で行くと門番に門前払いをされてしまった。そこで、立派な袈裟を着て出直すと丁重に奥座敷に通された。豪華な膳が運ばれた座敷に主が挨拶に行くと床の間に袈裟だけがぶら下がっていた。驚いた主に一休は、粗末な装束の私は追い返され立派な袈裟の私は歓待された。豪華な膳を食べる値打ちのあるものはこの袈裟だ。と中身ではなく外見で判断することにチクり。
この「見た目か?中味か?」というのは【永遠のテーマ】でもあるように思う。日曜日の朝刊「くらしナビ」の《人生相談+・プラス》でも取り上げていた。コラムニストのジェーン・スーさんが寄せた答えは味があった。
さまざまな経験を経た今ジェーン・スーさんは「容姿で他者をジャッジする人々との接点など持たないに限る」と断言する。その中で、海外の幼稚園の様子を撮影したSNSの中にあった先生が子供たちに言っていた言葉を紹介している。
「相手が30秒で変えられないものを指摘してはいけない」
つまり、髪にゴミがついているのは指摘してもよいが、髪色や髪質を褒めるのもけなすのも間違っているということになる。「今日のあなたはとてもすてきね!」はOKだが、「脚が長くてすてきね!」はNGとなる。
こういった教育を幼い頃から受けていたら、心無い言葉に傷つく人はグンと減るだろう。と指摘する。同感である。それでも、「美しい」や「そうでもない」といった視覚的な情報に、好悪をつけたがる人間の性質を完全に断ち切ることはできないと分析する。そこで我々にできることは何かということを提起して話を締めくくっている。
「容姿を能力とみなし待遇が変わるようなシステムを社会に存続させないことと、気に入らないところが自分の価値を決定するわけではないと信じられる心を育てることだろう」
心して生きていこうと改めて思った次第。
庄屋さんの家に招かれた一休さん。最初は粗末な装束で行くと門番に門前払いをされてしまった。そこで、立派な袈裟を着て出直すと丁重に奥座敷に通された。豪華な膳が運ばれた座敷に主が挨拶に行くと床の間に袈裟だけがぶら下がっていた。驚いた主に一休は、粗末な装束の私は追い返され立派な袈裟の私は歓待された。豪華な膳を食べる値打ちのあるものはこの袈裟だ。と中身ではなく外見で判断することにチクり。
この「見た目か?中味か?」というのは【永遠のテーマ】でもあるように思う。日曜日の朝刊「くらしナビ」の《人生相談+・プラス》でも取り上げていた。コラムニストのジェーン・スーさんが寄せた答えは味があった。
さまざまな経験を経た今ジェーン・スーさんは「容姿で他者をジャッジする人々との接点など持たないに限る」と断言する。その中で、海外の幼稚園の様子を撮影したSNSの中にあった先生が子供たちに言っていた言葉を紹介している。
「相手が30秒で変えられないものを指摘してはいけない」
つまり、髪にゴミがついているのは指摘してもよいが、髪色や髪質を褒めるのもけなすのも間違っているということになる。「今日のあなたはとてもすてきね!」はOKだが、「脚が長くてすてきね!」はNGとなる。
こういった教育を幼い頃から受けていたら、心無い言葉に傷つく人はグンと減るだろう。と指摘する。同感である。それでも、「美しい」や「そうでもない」といった視覚的な情報に、好悪をつけたがる人間の性質を完全に断ち切ることはできないと分析する。そこで我々にできることは何かということを提起して話を締めくくっている。
「容姿を能力とみなし待遇が変わるようなシステムを社会に存続させないことと、気に入らないところが自分の価値を決定するわけではないと信じられる心を育てることだろう」
心して生きていこうと改めて思った次第。
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