「うるう年」の2月29日が誕生日の方のエピソードを「みんなの広場」・日曜版で読んでいて、妻のお母さんの話が思い浮かんできた。
妻の誕生日は、昭和21(1946)年4月1日である。この4月1日というのは、小学校に入学する時に微妙な日付となる。お母さんもそのことを聞かされ出生届の日付を4月2日にしようかと悩まれたそうだ。
文部科学省のホームページにもQ&Aで説明されている。
Q 4月1日生まれの児童生徒の学年についてどうなるのでしょうか。
A 学齢児童について、学校教育法第17条第1項では「保護者は、子の満6歳に達した日の翌日以後における最初の学年の初めから、…これを小学校、義務教育学校の前期課程又は特別支援学校の小学部に就学させる義務を負う。」とあり、学齢生徒については、同条第2項において「保護者は、子が小学校の課程、義務教育学校の前期課程又は特別支援学校の小学部の課程を修了した日の翌日以後における最初の学年の初めから、…これを中学校、義務教育学校の後期課程、中等教育学校の前期課程又は特別支援学校の中学部に就学させる義務を負う。」とあります。
一方、学校教育法施行規則第59条において、「小学校の学年は、4月1日に始まり、翌年3月31日に終わる。」と規定されています(中学校については同第79条において準用。義務教育学校については同第79条の8において準用。特別支援学校については同第135条において準用。)。
それでは、満6歳に達する日とはいつなのでしょうか。年齢の計算については、年齢計算ニ関スル法律と民法第143条によりその考え方が示されており、それによれば、人は誕生日の前日が終了する時(午後12時)に年を一つとる(満年齢に達する)、とされています。これを4月1日生まれの子に当てはめると、誕生日の前日である3月31日の終了時(午後12時)に満6歳になることになります。
よって、4月1日生まれの児童生徒の学年は、翌日の4月2日以降生まれの児童生徒の学年より一つ上、ということになり、一学年は4月2日生まれから翌年の4月1日生まれの児童生徒までで構成されることになります。
要は、妻が小学校へ入学した1952年4月1日の入学生は、昭和20(1945)年4月2日から昭和21(1946)年4月1日の間に生まれた子供になるので学年で1番遅い生まれとなり4月、5月生まれの子供とほぼ1年の違いがある。大きくなったらこの開きはさほど問題ではないが、小学校低学年の間は心身の発達差で大きなハンディとなる。
妻の両親はそのことをとても心配したそうだ。「あの子は小さい時苦労したんじゃ」と結婚当初よく聞かされた。小学校1年の孫が保育園の年長の時、コロナ禍のため運動会や生活発表会の保護者の観覧に制限があった。その代替えとしてDVDに様子を収録して配布された。娘の家のデッキが不具合のため私の家で繰り返し再生していたので3歳、4歳、5歳での言語能力、身体能力の違いを見ることができた。また、同じクラスでも早生まれの子と遅生まれの子の体格差は歴然としていた。あの時期の発達スピードには目を見張るものがあった。
妻のお母さんの気持ちがよく理解できた。「if!」の世界ではないが、もし、妻の誕生日を昭和21年4月2日で届けていたら、学年が1つ下がり、同級生もすべて変わり歩む人生も違ったのではないかと思う。となると私との出会いもなかった公算が大。と妄想は広がる。 4月1日は微妙な誕生日だ。
妻の誕生日は、昭和21(1946)年4月1日である。この4月1日というのは、小学校に入学する時に微妙な日付となる。お母さんもそのことを聞かされ出生届の日付を4月2日にしようかと悩まれたそうだ。
文部科学省のホームページにもQ&Aで説明されている。
Q 4月1日生まれの児童生徒の学年についてどうなるのでしょうか。
A 学齢児童について、学校教育法第17条第1項では「保護者は、子の満6歳に達した日の翌日以後における最初の学年の初めから、…これを小学校、義務教育学校の前期課程又は特別支援学校の小学部に就学させる義務を負う。」とあり、学齢生徒については、同条第2項において「保護者は、子が小学校の課程、義務教育学校の前期課程又は特別支援学校の小学部の課程を修了した日の翌日以後における最初の学年の初めから、…これを中学校、義務教育学校の後期課程、中等教育学校の前期課程又は特別支援学校の中学部に就学させる義務を負う。」とあります。
一方、学校教育法施行規則第59条において、「小学校の学年は、4月1日に始まり、翌年3月31日に終わる。」と規定されています(中学校については同第79条において準用。義務教育学校については同第79条の8において準用。特別支援学校については同第135条において準用。)。
それでは、満6歳に達する日とはいつなのでしょうか。年齢の計算については、年齢計算ニ関スル法律と民法第143条によりその考え方が示されており、それによれば、人は誕生日の前日が終了する時(午後12時)に年を一つとる(満年齢に達する)、とされています。これを4月1日生まれの子に当てはめると、誕生日の前日である3月31日の終了時(午後12時)に満6歳になることになります。
よって、4月1日生まれの児童生徒の学年は、翌日の4月2日以降生まれの児童生徒の学年より一つ上、ということになり、一学年は4月2日生まれから翌年の4月1日生まれの児童生徒までで構成されることになります。
要は、妻が小学校へ入学した1952年4月1日の入学生は、昭和20(1945)年4月2日から昭和21(1946)年4月1日の間に生まれた子供になるので学年で1番遅い生まれとなり4月、5月生まれの子供とほぼ1年の違いがある。大きくなったらこの開きはさほど問題ではないが、小学校低学年の間は心身の発達差で大きなハンディとなる。
妻の両親はそのことをとても心配したそうだ。「あの子は小さい時苦労したんじゃ」と結婚当初よく聞かされた。小学校1年の孫が保育園の年長の時、コロナ禍のため運動会や生活発表会の保護者の観覧に制限があった。その代替えとしてDVDに様子を収録して配布された。娘の家のデッキが不具合のため私の家で繰り返し再生していたので3歳、4歳、5歳での言語能力、身体能力の違いを見ることができた。また、同じクラスでも早生まれの子と遅生まれの子の体格差は歴然としていた。あの時期の発達スピードには目を見張るものがあった。
妻のお母さんの気持ちがよく理解できた。「if!」の世界ではないが、もし、妻の誕生日を昭和21年4月2日で届けていたら、学年が1つ下がり、同級生もすべて変わり歩む人生も違ったのではないかと思う。となると私との出会いもなかった公算が大。と妄想は広がる。 4月1日は微妙な誕生日だ。