「言語の本質」(中公新書)を5章まで読み進めている。日常生活の必需品であり、当たり前のように使っている言葉だが、なぜヒトは言葉を持つのか?言葉はどのように進化してきたのか?を突き詰めると興味深い事柄が多くあるということに気づかされ、ウンウン、ワクワク、ホォーッ!ホケキョの連続である。
子どもはいかにしてことばを覚えるのか?ということを通して人間が長い歴史の中で言葉を進化してきた過程が類推できる。ちょうど6歳の孫と誕生以来ほど良い距離間で接してきて言葉を獲得していく過程をかばり冷静に観察できた。我が子の時は育てることに必死で、今ほどゆとりをもって見ることはできなかった。
孫や保育園の子ども達の成長の過程を思い起こしながらこの本を読むと「そういうことか!」と気づかされ理解が深まる。6章の導入で筆者は、言語の習得をエベレスト登山をするぐらいの大変なことだとたとえている。
「エベレスト登山にたとえるなら、オノマトペは装備を整え、特別な訓練をしていない一般観光客が行けるところくらいまで子どもを道案内する。しかし、その後の登頂までの行程は長く、険しい。大局的に見たとき、言語習得においてオノマトペは本当に役立つのだろうか?本章ではちょっと視点を変えて、そもそも最初は自分で立つこともできなかった赤ちゃんが、どうしたら限られた時間の中で、大人に助けられながら山を登り始めることができ、その後独り立ちをして一気にエベレスト登攀に挑戦できるのか考えてみよう。何がそれを可能にするのだろうか?」
本の展開も楽しみだが加えて、次女が、明日から1週間入院するため小1の孫とべったり付き合うことになる。夏休みの宿題では国語や算数がある。孫はちょうど登山口の入口にいるわけで、どのようにして言葉や数を身につけていくのかを観察する楽しみでウキウキしている。
子どもはいかにしてことばを覚えるのか?ということを通して人間が長い歴史の中で言葉を進化してきた過程が類推できる。ちょうど6歳の孫と誕生以来ほど良い距離間で接してきて言葉を獲得していく過程をかばり冷静に観察できた。我が子の時は育てることに必死で、今ほどゆとりをもって見ることはできなかった。
孫や保育園の子ども達の成長の過程を思い起こしながらこの本を読むと「そういうことか!」と気づかされ理解が深まる。6章の導入で筆者は、言語の習得をエベレスト登山をするぐらいの大変なことだとたとえている。
「エベレスト登山にたとえるなら、オノマトペは装備を整え、特別な訓練をしていない一般観光客が行けるところくらいまで子どもを道案内する。しかし、その後の登頂までの行程は長く、険しい。大局的に見たとき、言語習得においてオノマトペは本当に役立つのだろうか?本章ではちょっと視点を変えて、そもそも最初は自分で立つこともできなかった赤ちゃんが、どうしたら限られた時間の中で、大人に助けられながら山を登り始めることができ、その後独り立ちをして一気にエベレスト登攀に挑戦できるのか考えてみよう。何がそれを可能にするのだろうか?」
本の展開も楽しみだが加えて、次女が、明日から1週間入院するため小1の孫とべったり付き合うことになる。夏休みの宿題では国語や算数がある。孫はちょうど登山口の入口にいるわけで、どのようにして言葉や数を身につけていくのかを観察する楽しみでウキウキしている。