朝刊くらし面の「人生100年クラブ」では93歳の総務部員・玉置泰子さんが紹介されていた。ギネス世界記録に認定された「最高齢の総務部員」である。ねじ専門商社「サンコーインダストリー」(大阪市)で勤続67年、総務一筋の方である。玉置さんのモットーは平凡なことを徹底的にやり抜く「凡事徹底」だという。私も大切にしてきたことなので嬉しくなった。退職をしてからは、ますますこの言葉が重みを増してきたように思う。
15歳で終戦を迎え、その後間もなく父が死去。病弱な母と3人の弟妹を支えるために、商業高校を卒業後生命保険会社などを経て、1956年に25歳で今の会社に入社した。まだ従業員十数人の会社だったが、高度経済成長の波に乗り、会社の規模も大きくなり、70年に総務課ができる。その初代課長に任命されたのが当時40歳だった玉置さんだった。
玉置さんは経理の仕事で使っていたそろばんが電卓になり、51歳の時パソコンが導入され、表計算ソフト「エクセル」を使うことを求められるようになったのが60歳を過ぎてからだという。それに対して億劫がらず「まずはやってみよう」と積極的に使い方を覚えたという。この変化を楽しむ姿勢は、分野を問わず長く生き生きと活動する人に共通することだ。見習いたいと思う。
また、長く勤めれば同僚はもちろん、上司も年下になる。若い上司とのコミュニケーションについても示唆に富んだ話をしておられる。年下の同僚や上司との関係がギクシャクしないかとという記者の問いに、「ギクシャクするのだとしたら、それは自分中心に考えているからで、仕事はあくまで会社が中心。脇役として自分の立ち位置が見えていたら、『経験を生かしてお手伝いさせていただく』という考え方になるはず」と言い切る玉置さんは70歳下の同僚にも、分からないことがあればためらいなく質問している。自分にない能力を持っている人なら「素直に尊敬できるはず」。年下だからと上司に「ため口」は使わないし、聞かれない限り余計な昔話はしない。
脇役だけに徹するのではないところに玉置さんの真骨頂はある。「でも」と続ける。「任された仕事に関しては、自分が主役です。受け身になっていると、甘えやミスが生じやすい。自分の事として責任を感じるからこそ、次々とアイデアがわいてくる。特に毎月、毎年繰り返すような仕事ほど”もっと効率的にやれないか””質を高められないか”と創意工夫を心がける。次は何を試してみようと考えるから、ルーティンワークも飽きません。今でも自分は昨日より今日の方が成長しているという実感があります。」という言葉には「生きる極意」が詰まっていると感じた。
私が「年齢」というものを意識下に持つようになったのは50歳を過ぎた時だった。その時、身の処し方についてずい分考えたが、仕事全体の中では脇役、しかし、自分に任された仕事については主役。この二つの立場を臨機応変に使い分ける。という玉置さんが日々されてきたことと重なるものがあり共感した。
15歳で終戦を迎え、その後間もなく父が死去。病弱な母と3人の弟妹を支えるために、商業高校を卒業後生命保険会社などを経て、1956年に25歳で今の会社に入社した。まだ従業員十数人の会社だったが、高度経済成長の波に乗り、会社の規模も大きくなり、70年に総務課ができる。その初代課長に任命されたのが当時40歳だった玉置さんだった。
玉置さんは経理の仕事で使っていたそろばんが電卓になり、51歳の時パソコンが導入され、表計算ソフト「エクセル」を使うことを求められるようになったのが60歳を過ぎてからだという。それに対して億劫がらず「まずはやってみよう」と積極的に使い方を覚えたという。この変化を楽しむ姿勢は、分野を問わず長く生き生きと活動する人に共通することだ。見習いたいと思う。
また、長く勤めれば同僚はもちろん、上司も年下になる。若い上司とのコミュニケーションについても示唆に富んだ話をしておられる。年下の同僚や上司との関係がギクシャクしないかとという記者の問いに、「ギクシャクするのだとしたら、それは自分中心に考えているからで、仕事はあくまで会社が中心。脇役として自分の立ち位置が見えていたら、『経験を生かしてお手伝いさせていただく』という考え方になるはず」と言い切る玉置さんは70歳下の同僚にも、分からないことがあればためらいなく質問している。自分にない能力を持っている人なら「素直に尊敬できるはず」。年下だからと上司に「ため口」は使わないし、聞かれない限り余計な昔話はしない。
脇役だけに徹するのではないところに玉置さんの真骨頂はある。「でも」と続ける。「任された仕事に関しては、自分が主役です。受け身になっていると、甘えやミスが生じやすい。自分の事として責任を感じるからこそ、次々とアイデアがわいてくる。特に毎月、毎年繰り返すような仕事ほど”もっと効率的にやれないか””質を高められないか”と創意工夫を心がける。次は何を試してみようと考えるから、ルーティンワークも飽きません。今でも自分は昨日より今日の方が成長しているという実感があります。」という言葉には「生きる極意」が詰まっていると感じた。
私が「年齢」というものを意識下に持つようになったのは50歳を過ぎた時だった。その時、身の処し方についてずい分考えたが、仕事全体の中では脇役、しかし、自分に任された仕事については主役。この二つの立場を臨機応変に使い分ける。という玉置さんが日々されてきたことと重なるものがあり共感した。