素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

11月10日という日は皇室の催事が多かった?

2021年11月10日 | 日記
日本史「今日は何の日」事典(吉川弘文館)で11月10日のページを見ると、皇室関係の催事が多いことに気付いた。
 大正4年(1915)大正天皇、京都御所紫宸殿で即位の礼を挙行。
 昭和3年(1928)昭和天皇、京都御所紫宸殿で即位の礼を挙行。特赦の詔書出される。
 昭和15年(1940)紀元2600年式典挙行。
 昭和27年(1952)皇太子明仁親王、成年式・立太子の礼。
 昭和51年(1976)天皇在位50年式典、日本武道館で開催。

といった具合である。何か11月10日という日に特別な意味があるのかなと気になって調べてみたが、特別な日ではなさそうである。

 令和元年(2019)11月10日に行われた天皇陛下の即位を披露するパレード「祝賀御列の儀」は当初、10月22日「即位礼正殿の儀」に続いて行われる予定だったが、台風19号の被害を考慮して延期となったということを考えれば11月10日という日よりも、鍵をにぎるのは11月3日の「文化の日」ではないか。

 そもそも「文化の日」である11月3日は明治天皇の誕生日にあたる。明治時代には「天長節」としてお祝いをしていた。同様に初代天皇とされている神武天皇の即位日2月11日を「紀元節」という祝日にしていた。

 天長節は、時の天皇の誕生日なので、大正時代に入ると11月3日は天長節ではなくなり、大正時代以降、11月3日は「明治節」と呼ばれて、引き続き祝日となった。ちなみに、存在感の薄い大正天皇の誕生日は8月31日だったので、大正時代の天長節はその日だった。

 かつてすったもんだして強引に決めた「建国記念日」は「紀元節」のなりかわり、昭和天皇の誕生日であった祝日4月29日は、崩御後、平成1年(1989)から「みどりの日」となったが、2005年の連休を増やそうという主旨で祝日法が改正になり、2007年から「昭和の日」となり、「みどりの日」は5月4日になった。ゴールデンウイークの充実(?)に大いに貢献しているかな。

 祝日の制定にはご都合主義的なところとこだわりの混じった様々な思惑が働いているように思う。

 11月3日が「文化の日」となったことにもそれがうかがえる。

 1945年8月、第二次世界大戦が終結。連合国軍総司令部(GHQ)の占領下、1946年の明治節(11月3日)に新憲法が公布された。帝国議会は、それまで国民にとって大切な日であった明治節を憲法記念日として残しておきたかったのかもしれないが、
これに対してGHQが難色を示す。

 新憲法のもと、日本が再び過ちを起こさずに平和な国として歩むには、神格化されていた時代の天皇と憲法を切り離す必要があった。そこで、GHQは新憲法が効力を発揮する「公布から半年」目にあたる、5月3日を憲法記念日とするように求め、議会で決議された。

 この、5月3日が憲法記念日になることが決まりそうだった時、GHQが「11月3日を祝日とするなら、何の日とするか」と訊ねたそうだ。そこで、考えられたのが「文化の日」。そして「自由と平和を愛し、文化をすすめる日」という理由がついたが、「明治節」を残したかったというのが本当のところか?

 その日は、叙勲などいろいろ多忙なので、前後1週間空けたところに皇室の催事を入れているのかな?と勝手に考えている。
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