素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

あいまいな喪失(ambiguous loss)

2021年03月02日 | 日記
 今日の毎日新聞朝刊の『火論ka-ron』のテーマは「あいまいな喪失」だった。この言葉は、ベトナム戦争で行方不明になった米兵の家族について研究した米ミネソタ大学名誉教授のポーリン・ボス博士が1975年、悲しみがもたらすストレス経験に名付けたことから世界の心理ケアの現場で使われているとのこと。

 火論の執筆者大治 朋子(専門記者)さんが初めて「あいまいな喪失」という言葉に出合ったのは2007年、米特派員時代イラク戦争で遺体がないまま戦死を告げられた米兵の遺族を取材した時だった。「生きている」「きっと戻ってくる」と祈るように語り、葬儀をせず兵士の部屋はそのまま。いつでも戻れるようにと引っ越しもせず、家族の祝い事も控えて時を止めたように暮らしている遺族を多く見た。ボス博士の言う「さよならのない別れ」だと軍医から聞いたという。

 日本でも先の大戦で遺骨なき死を告げられた人は多数いて、遺骨収集の取り組みが続いている。また「岸壁の母」も然り。吉川友梨さんのような失踪事件、北朝鮮による拉致被害、出張中に東日本大震災の津波で家族全員を亡くした人など「さよならのない別れ」に苦しんでいる人は計り知れない。

 「あいまいな喪失」には「別れのないさよなら」もあるという。肉体はあるけれど、認知症や薬物依存などでかつての「その人」はもういないといったケースである。大治さんは、戦場で仲間や部下を失った衛生兵や司令官を取材し、「あの時、こうしていれば」と自分を責め続け、睡眠薬やアルコールを手放せない人が少なくないということを知った。家族は「体は戻ったけれど心が戦場にあるのです」と泣いた。

 ボス博士は最近の講演で、コロナ禍はまさにこの「あいまいな喪失」の連続だという。愛する人をみとることができない。人との絆や仕事、安心感を奪われ、それでも朝は来るのだけれど以前の日常はもうどこにもないという終わりの見えない喪失感と無力感に支配される。

 人間の脳はあいまいさを嫌う。だから耐えきれず「強制終了」させようとして薬物依存や自殺に走る人もいる。昨年、日本では自殺者数が11年ぶりに増加に転じたこともコロナ禍が大きな一因になっていると指摘する。

 大治さんは、「あいまいな喪失」という苦しみがあり、誰もが体験しうるものだと認識し合う。ということがコロナ禍と付き合う第一歩かもしれない。と締めくくっていた。 ガッテン!した。
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