♪ためいきの出るよな~♪くちづけに甘い恋を夢見るのならいいけれど残念ながらそうじゃない。ため息の出た記事は朝刊の『高評価の教員減少』という見出しのもの。パッと見出しを見た時、高評価の教員があいそをつかせてやめていったのかと思った。が、さにあらず、学校長が各教員の年度目標の達成状況などに基づき行っている5段階絶対評価の昨年度の結果についてである。評価に客観性を持たせる仕組みの導入ということで、生徒らに実施した授業アンケート結果を初めて反映させた評価だったので注目されたみたいである。
評価は上から[SS][S][A][B][C]で、府教委では[SS]が1.1%(昨年度2.1%)[S]が29.2%(昨年度38.1%)と減少し、一方で[A]が67.7%(昨年度58.9%)[B]が1.9%(昨年度0.9%)と増加したという。大阪市でも[S]が減少し、[A]が減少し、[B][C]はほぼ横ばいだったという。
問題はこの結果を受けてどうなるかということである。だから絶対評価はだめで相対評価を導入すべきという声が再び勢いを持ち、押し切られる可能性が増したと私は予想している。相対評価導入はますます悪い方向に向かうと考える。
繰り返し書いてきたが、評価には大きく絶対評価、相対評価、個人内絶対評価の3つあり、それぞれに長所、短所を持っている。その限界をふまえつつこの3つを組み合わせて工夫していくしかないのである。
『人間の評価には、パーフェクトな方法は存在しない。でも、集団で社会生活を営む以上、何らかの方法で評価しなければならない場合が出てくる。』ということを常にベースにおいて置くことが大切だと思っている。
今の教員評価(私も経験してきたが)導入にはそこが欠落している。私は、今回の結果は絶対評価の弱点が出ただけだと思う。絶対評価は基準を替えれば、個人の力は同じでも評価は変わる。まして、人物評価のようにはっきりした基準を設定しぬくいものはなおさらである。生徒の評価の場合、生徒個々によって授業に対する判断基準は違っている。それらをごちゃまぜにしての評価は意味をなさないし、昨年度の結果と比較すること自体が無意味なことである。
人物評価の難しさは公募校長の相次ぐ問題で、はっきり証明されたように思う。この制度、続ければ続けるほど「教師としての大切な心」を壊していくように思う。公募校長制度同様、このアンケート結果から無意味な制度とわかったのだからすっぱりと止める時だと思った。
だけど、「それでも公募校長はいいという幻想を捨てないトップがいるかぎり、同じようにやめないだろうな」とためいきをつく。
とにかく、明治時代以後に始まった中央集権的な発想を捨てて、もっと地方もしくは学校単位の独立性に依拠する体制に持っていくのが良いと思っている。これは夢のまた夢であることは承知しているが持ち続けたい「甘い夢」である。
評価は上から[SS][S][A][B][C]で、府教委では[SS]が1.1%(昨年度2.1%)[S]が29.2%(昨年度38.1%)と減少し、一方で[A]が67.7%(昨年度58.9%)[B]が1.9%(昨年度0.9%)と増加したという。大阪市でも[S]が減少し、[A]が減少し、[B][C]はほぼ横ばいだったという。
問題はこの結果を受けてどうなるかということである。だから絶対評価はだめで相対評価を導入すべきという声が再び勢いを持ち、押し切られる可能性が増したと私は予想している。相対評価導入はますます悪い方向に向かうと考える。
繰り返し書いてきたが、評価には大きく絶対評価、相対評価、個人内絶対評価の3つあり、それぞれに長所、短所を持っている。その限界をふまえつつこの3つを組み合わせて工夫していくしかないのである。
『人間の評価には、パーフェクトな方法は存在しない。でも、集団で社会生活を営む以上、何らかの方法で評価しなければならない場合が出てくる。』ということを常にベースにおいて置くことが大切だと思っている。
今の教員評価(私も経験してきたが)導入にはそこが欠落している。私は、今回の結果は絶対評価の弱点が出ただけだと思う。絶対評価は基準を替えれば、個人の力は同じでも評価は変わる。まして、人物評価のようにはっきりした基準を設定しぬくいものはなおさらである。生徒の評価の場合、生徒個々によって授業に対する判断基準は違っている。それらをごちゃまぜにしての評価は意味をなさないし、昨年度の結果と比較すること自体が無意味なことである。
人物評価の難しさは公募校長の相次ぐ問題で、はっきり証明されたように思う。この制度、続ければ続けるほど「教師としての大切な心」を壊していくように思う。公募校長制度同様、このアンケート結果から無意味な制度とわかったのだからすっぱりと止める時だと思った。
だけど、「それでも公募校長はいいという幻想を捨てないトップがいるかぎり、同じようにやめないだろうな」とためいきをつく。
とにかく、明治時代以後に始まった中央集権的な発想を捨てて、もっと地方もしくは学校単位の独立性に依拠する体制に持っていくのが良いと思っている。これは夢のまた夢であることは承知しているが持ち続けたい「甘い夢」である。