素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

明日からは3月弥生、季節の便りを多く聞く今日

2014年02月28日 | 日記
 朝、目が覚めたらウグイスの鳴き声が聞こえた。妻は3日前には聞いていたというが私にとっては初めて、春の到来を告げてくれているように聞こえた。朝刊の一面には徳島県勝浦町の「第26回ビッグひな祭り」の写真が掲載されていた。去年妻の実家に行く途中に立ち寄ったが「あれからもう1年」、時間の流れの早さを感じる。

 朝のニュースでは明石の上空からの映像で今日から解禁になったいかなご漁の様子の中継をしていた。またタケノコ採りの様子も紹介されたりと3月を前に季節の便り満載という感じで一日のスタートを切った。

 成田奈緒子さんのブログにもお雛様のことが書かれてあった。毎年飾っているみたいである。私のところは今の家に引っ越してきてからは納戸に入れたままになっている。かれこれ20年近くになる。上の娘が生まれた時に私の両親が松屋町で張り切って買ってくれたものである。7段飾りなので大きくて部屋がふさがってしまう。部屋の大きさに見合ったものにすべきだったと飾るたびに思ったものだ。

 成田さんは、お雛様とお内裏様の位置についてふれている。成田さんの家では向かって右がお雛様で左がお内裏様だが、京都で買ったタペストリーは位置が反対だという。

 『以前どこかで関東と関西でお雛様の位置が違うと聞いた記憶があるのですが、正しいのでしょうか?
娘によると映画「武士の献立」での花嫁様は左に座っていたとか(私は記憶にない)。加賀だから関西風?

まあとにかく、どんなに厳しい冬があってもこうして時が廻ればまた温かい春がやってくる、そんなほっとする暖かさのあるお顔ですね、お雛様もお内裏様も。出したりしまったり、かなり面倒ではありますが、やはりできるだけ毎年お雛さまには会いたいと思います。』


 今まで意識したことがなかったが、興味を惹かれたのでいろいろと調べてみた。おおむねこんなことであろう。

 「天子南面」という言葉あるように、古来より日本では南にに向いた時に日の出の方角(東=左手側)が上座、反対に日没の方角(西=右手側)が下座とされてきた。内裏雛は宮中での天皇の並び方を模したものなので「天子南面」という考え方からお内裏様が向かって右、お雛様が向かって左という並び方をしてきた。「武士の献立」でも娘さんの記憶通り花嫁は向かって左に座っていた。これは加賀だからではなく、江戸時代だったからだと思う。江戸時代の結婚式の様子を描いた絵を見ると関東でも向かって右が花婿、向かって左が花嫁である。

 ところが、明治の文明開化で日本も西洋式に習い大正天皇が即位式で向かって左に立ったことから、以降はそれが皇室の伝統となり、結婚式の並び方や雛人形の位置もそれにならっていき現代に至っている。

 京都は千年の都というだけあって、人々の暮らしの中に御所の紫宸殿から見た右、左が左京区、右京区のように自然に溶け込んでいる。京雛も伝統を重んじ古式にのっとっているのである。

 結論を言えば、何を重んじるかということで左右どちらでもいいということになる。

 右左の話ついでに、せっかちな人のためにエスカレーターのどちらをあけるかは大阪と東京では反対だそうだ。大阪は右に寄って立ち左側をあけるが、東京では左側に寄って立ち右側をあけると聞いた。この話、京都駅のエスカレーターで前に立っていた二人連れが大きな声で話していた。ちなみに京都駅では東京と同じように右側をあけていた。名古屋はどうだったろうと思ったが、意識したことがなかったので思い出せない。今度行ったら観察してみよう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする