素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

1週間ぶりのジム、しばらく見ぬ間にしだれ梅のつぼみふくらむ

2014年02月12日 | 日記
 志摩の実家から帰っても野暮用が突如入ったりしてジムに顔を出すことができなかった。月曜日はともかく水曜日のピラティスは私の弱点である背筋系のメニューが多いのでできるだけ参加したいと思っている。1週間体を動かす生活をしないとおっくうになるのは確か。やってもやらなくても誰からもおとがめは受けないし、明日の自分が劇的に変わるわけでもない。「やろうがやるまいが明日に変わりはあるじゃなし」というささやきに弱い私である。

 こういう気持ちになった時に思い出すのが、大村はまさんの言葉である。「学習は米櫃に毎日お米を1粒づつ入れるようなものである。今日1粒入れても昨日とどう違うかわからない。1週間入れても大きな変化は見られないだろう。でも入れ続ける人とそうでない人は1年、2年と年月を重ねるとたまった量の差は歴然としてくる。今日漢字を1つ覚えた人と覚えなかった人は、明日何が違うのだと言われても答えられない。でも小学校6年間コツコツ覚え続けてきた子と怠ってきた子との基礎学力の差は計り知れないものがある。米粒ならドサッとつぎ足すことはできるが、漢字や語句などはそうはいかない。毎日、コツコツと入れつづけるしかない」というような内容であった。

 学力だけでなく体力でも同じであると思う。「米粒1ついれてこようか」と思い直し出かけることにした。「1週間顔を見せないと病気になったと思われる」というジムの法則通りであった。顔見知りの人たちからは健康面を気遣う言葉をいただいた。体は何となく重かったが久々に汗を流すとスッキリとした。

 家を出た先にある四つ角、普段は直進か右折をするのだがジムへいく時だけ左折する。曲がってすぐの家のしだれ梅は立派で毎年咲くのを楽しみにしている。1週間前までは芽という状態で枯れ木のようだったが1週間ぶりに通りかかると枯れ木ではなくなっていた。ポツポツとつぼみがふくらみ始めているのである。満開の時もいいが、この時分も好きである。ジム通いの楽しみが増えた。
 大半はつぼみかたしだが、一輪だけ咲ききっているのもあった。みんなと一緒もいれば、せっかちなのも、またのんびりしたのもと一本の梅の木もよく見れば色々である。
  

 
コメント
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