素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

君「急ぐ」たまふことなかれ

2014年02月27日 | 日記
 国会の動きを見ていると、安倍政権に関して「何をそんなに急いでる!」と言いたくなるぐらい、結論ありきで突っ走りつつあるように見受けられる。今回の橋下市長の辞職も、来年4月に都構想実現という設定から設計図を急ぐことから打って出た策だと思う。決断できない政治への批判の裏返しとして「拙速にことを運んでいるのでは?」という不安が出る「決める政治」が横行している。どちらも実のあるしっかりとした論議をしていないという点では同じような気がする。

 たまたまであるが「急ぐこと」への警告めいたものに出会った。

 1つ目は、二・二六事件の検証をしたBS歴史館の再放送が25日にあった。録画して繰り返し見ているのだが、拙速な行動がもたらした災禍について考えさせられた。「維新」という言葉の魔力に囚われない冷静さが必要ではないか。歴史の教訓として学ぶべきだと強く思った。

 2つ目は、『新潮45』の3月号にひさびさ登場の内田樹さんの"シリーズ「悪」を考える➂”の「急ぐことの罪深さ」である。その中で内田さんはこう書いている。

 「歴史が教えているのは、『善いこと』の実現を急ぐと、その過程で派生的に起きる『悪いこと』のマイナスがどこかで『善いこと』がもたらすプラスを相殺してしまうということです。この場合『派生的に起きる悪いこと』を生み出すのは『急ぐ』というふるまいです。それだけです。『ゆっくり』であれば起きなかった『悪いこと』が『急ぐ』ことで起きる」
そして戦場での例や武道の話を交えながら「時間」のとらえ方に哲学的考察を加えスピードそのものが価値となってきた現代社会を危惧し、警告を発している。

 3つ目は、今月の「100分de名著」『愛するということ』にあるフロムの提示した愛の技術の習練のための3つの前提条件である。その1が規律、その2が集中、そしてその3に忍耐がある。すなわちやみくもに事を急ごうとしない。性急に結果を求めない。ということが必要不可欠であると説く。

 同じ日に偶然読んだり、見たりしたこれらの3つは対象にしているものは違うが、私に『君「急ぐ」たまふことなかれ』ということを呼びかけてくれているように思えた。
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