昨日の夕刊で、《中川氏が出馬検討・大阪市長選、公募の北区長辞職へ》という見出しを見た時は二重の驚きがあった。
第一の驚きは、中川氏が公募で選ばれ北区長になっていたこと。
中川氏といえば、加西市長の時のゴタゴタでマスコミを賑わせたが、選挙好きの「泡沫候補」というイメージである。
1980年、創設後間もない松下政経塾に入塾(第1期生)。その後2年で退塾。 2001年の第19回参議院議員通常選挙に東京都選挙区(定数4)から無所属で出馬したが惨敗。2002年、田中康夫長野県知事の失職に伴い実施された長野県知事選挙、2003年の大阪市長選挙に相次いで出馬したが、いずれも落選。
2005年、出身地である兵庫県加西市の市長選に無所属で出馬。現職の柏原正之市長を破り、初当選。「泡沫候補が現職を破った」と話題になったが、強引な市政運営が批判され、2007年5月に不信任決議案が可決され失職。同年6月の出直し市長選で再選される。2011年5月の市長選に3選を目指して出馬したが落選。
2011年10月、大阪市長選挙に立候補する意向を表明したものの、同月31日に立候補取りやめを発表した。
このような経歴を持つ中川氏が、大阪市の公募区長に応募していたのである。橋下市長は、区長を副知事に次ぐ幹部と位置づけ、最終面接では特別顧問の中田宏らとともに1461人の応募者から24人(民間18・現区長6)を決めたのである。そこにわずか2ヶ月ほど前は橋下、平松両候補に距離を置く立場を表明していた中川氏が含まれたのである。
選ぶ方も選ばれる方もどっちもどっちということで驚いた次第。
第二の驚きは、就任しておよそ1年半で公募の北区長を平気で辞職する無責任さ。
公募区長の失態ぶりが昨年話題になったが、今回は下剋上!?誰が見ても今回の出直し市長選は橋下氏が再当選する。幹部として橋下氏に取り立てられた中川氏は粛々として待つのが筋である。
公募区長選定のいい加減さが昨年の不祥事続発で露呈していたが、今回の中川氏の動きでこれ極まりといった感がする。
「軍師官兵衛」は今、織田につくか毛利につくかで物語が展開しているが、昨今の政治の世界も戦国時代と変らない。今後の展開はいかに?というところである。
第一の驚きは、中川氏が公募で選ばれ北区長になっていたこと。
中川氏といえば、加西市長の時のゴタゴタでマスコミを賑わせたが、選挙好きの「泡沫候補」というイメージである。
1980年、創設後間もない松下政経塾に入塾(第1期生)。その後2年で退塾。 2001年の第19回参議院議員通常選挙に東京都選挙区(定数4)から無所属で出馬したが惨敗。2002年、田中康夫長野県知事の失職に伴い実施された長野県知事選挙、2003年の大阪市長選挙に相次いで出馬したが、いずれも落選。
2005年、出身地である兵庫県加西市の市長選に無所属で出馬。現職の柏原正之市長を破り、初当選。「泡沫候補が現職を破った」と話題になったが、強引な市政運営が批判され、2007年5月に不信任決議案が可決され失職。同年6月の出直し市長選で再選される。2011年5月の市長選に3選を目指して出馬したが落選。
2011年10月、大阪市長選挙に立候補する意向を表明したものの、同月31日に立候補取りやめを発表した。
このような経歴を持つ中川氏が、大阪市の公募区長に応募していたのである。橋下市長は、区長を副知事に次ぐ幹部と位置づけ、最終面接では特別顧問の中田宏らとともに1461人の応募者から24人(民間18・現区長6)を決めたのである。そこにわずか2ヶ月ほど前は橋下、平松両候補に距離を置く立場を表明していた中川氏が含まれたのである。
選ぶ方も選ばれる方もどっちもどっちということで驚いた次第。
第二の驚きは、就任しておよそ1年半で公募の北区長を平気で辞職する無責任さ。
公募区長の失態ぶりが昨年話題になったが、今回は下剋上!?誰が見ても今回の出直し市長選は橋下氏が再当選する。幹部として橋下氏に取り立てられた中川氏は粛々として待つのが筋である。
公募区長選定のいい加減さが昨年の不祥事続発で露呈していたが、今回の中川氏の動きでこれ極まりといった感がする。
「軍師官兵衛」は今、織田につくか毛利につくかで物語が展開しているが、昨今の政治の世界も戦国時代と変らない。今後の展開はいかに?というところである。