今日の新聞で目を引いたのは、スポーツ欄のインサイドでの「東京五輪決定~7年後への道筋⑤」である。シリーズの最終回であるが『メダル主義に戸惑い』というタイトルがつけられている。
その記事によると、7年後の東京五輪の金メダル数の目標として文部科学省や日本オリンピック委員会(JOC)は25~30個を掲げているらしい。そのために、選手の年齢や競技を絞っての強化に拍車がかかるのは必至である。そのことへの現場から出ている戸惑いの声を拾い上げている。
傾聴すべきは、08年にスタートしたJOCエリートアカデミー事業のディレクターを務める平野さんの言葉だろう。「メダリストを育てることは目標だが、子どもが相手だから計算通りにはいかない。」という言葉は重い。現在、味の素ナショナルトレーニングセンター(NTC)で寮生活を送りながら将来有望なジュニア選手を集めて育成しているという。現在は卓球、レスリング、フェンシングの3競技44人(中1~高3)までが在籍している。毎年10人程度が入校するが、目が出ずに夢半ばで去る選手もいる。平野さんは「やめる選手を見送るのが最もつらい」と話す。
私もこの世代の子どもたちとクラブを通じて接してきたが、その子の将来を見極めるのは難しいとつくづく思い知らされた。そして、一人の人間の将来を見極めること自体が、指導者の傲慢ではないかと気づいた。
そう思うと子どもたちへの向かい方も変わる。平野さんも選手が競技一辺倒に陥らぬよう心掛けている。「人としての器を広げ、選手としての下地を作るのが私たちの仕事」という言葉には共感する。
前にもふれたことがあるが、小学校時代は器用さだけがあったり、不器用でも身体能力があれば周囲より突出した存在に見え将来を有望視される。自他ともにエースだと思っている子や自信を喪失している子をチームに迎えた時に、今のままの状態が必ずしも将来に渡って続くとは限らないことを折にふれ上手く伝えてあげるのが私の役目の1つだと思っていた。
う
うぬぼれじゃない正しい自尊心と卑屈じゃない正しい謙虚さを持たせることがが選手としての下地の1つではないかと考えていた。サッカーの技術で言えば、自分の思い通りにボールを止め、蹴ることができるようにすることが13~15歳で身につけさせることが下地かなと思う。パワーとか判断力はその後の年代でつけていけばよい。
そう思うと指導者としては目先の勝負に一喜一憂することはない。ただ、生徒にとっては二度と帰らない人生の一瞬の勝負のために練習を積んでいるわけだから「勝つ」ということが目標であり、そのことを実現させるためにできる限りのことはしてあげることは言うまでもない。
私が思う「勝利至上主義」は「勝つためには手段(指導法)を選ばない。」「結果次第で方法が正当化される」「良い結果は指導者のおかげ、悪い結果は選手の責任という姿勢」というような傾向についてである。
「勝利至上主義」は『体罰』問題で批判の的になっているが、メダル、メダルと騒ぐ「メダル主義」も根は同じである。2020年の東京五輪に向けて、スポーツ文化の有り方を問い直し、メダル獲得には特効薬とはならなくても才能や意欲のある若い世代が活き活きとスポーツに取り組むことができる環境を整備していくことが大切ではないか。「メダル主義」からの脱却を2020東京五輪に求めたい。
その記事によると、7年後の東京五輪の金メダル数の目標として文部科学省や日本オリンピック委員会(JOC)は25~30個を掲げているらしい。そのために、選手の年齢や競技を絞っての強化に拍車がかかるのは必至である。そのことへの現場から出ている戸惑いの声を拾い上げている。
傾聴すべきは、08年にスタートしたJOCエリートアカデミー事業のディレクターを務める平野さんの言葉だろう。「メダリストを育てることは目標だが、子どもが相手だから計算通りにはいかない。」という言葉は重い。現在、味の素ナショナルトレーニングセンター(NTC)で寮生活を送りながら将来有望なジュニア選手を集めて育成しているという。現在は卓球、レスリング、フェンシングの3競技44人(中1~高3)までが在籍している。毎年10人程度が入校するが、目が出ずに夢半ばで去る選手もいる。平野さんは「やめる選手を見送るのが最もつらい」と話す。
私もこの世代の子どもたちとクラブを通じて接してきたが、その子の将来を見極めるのは難しいとつくづく思い知らされた。そして、一人の人間の将来を見極めること自体が、指導者の傲慢ではないかと気づいた。
そう思うと子どもたちへの向かい方も変わる。平野さんも選手が競技一辺倒に陥らぬよう心掛けている。「人としての器を広げ、選手としての下地を作るのが私たちの仕事」という言葉には共感する。
前にもふれたことがあるが、小学校時代は器用さだけがあったり、不器用でも身体能力があれば周囲より突出した存在に見え将来を有望視される。自他ともにエースだと思っている子や自信を喪失している子をチームに迎えた時に、今のままの状態が必ずしも将来に渡って続くとは限らないことを折にふれ上手く伝えてあげるのが私の役目の1つだと思っていた。
う
うぬぼれじゃない正しい自尊心と卑屈じゃない正しい謙虚さを持たせることがが選手としての下地の1つではないかと考えていた。サッカーの技術で言えば、自分の思い通りにボールを止め、蹴ることができるようにすることが13~15歳で身につけさせることが下地かなと思う。パワーとか判断力はその後の年代でつけていけばよい。
そう思うと指導者としては目先の勝負に一喜一憂することはない。ただ、生徒にとっては二度と帰らない人生の一瞬の勝負のために練習を積んでいるわけだから「勝つ」ということが目標であり、そのことを実現させるためにできる限りのことはしてあげることは言うまでもない。
私が思う「勝利至上主義」は「勝つためには手段(指導法)を選ばない。」「結果次第で方法が正当化される」「良い結果は指導者のおかげ、悪い結果は選手の責任という姿勢」というような傾向についてである。
「勝利至上主義」は『体罰』問題で批判の的になっているが、メダル、メダルと騒ぐ「メダル主義」も根は同じである。2020年の東京五輪に向けて、スポーツ文化の有り方を問い直し、メダル獲得には特効薬とはならなくても才能や意欲のある若い世代が活き活きとスポーツに取り組むことができる環境を整備していくことが大切ではないか。「メダル主義」からの脱却を2020東京五輪に求めたい。





