大阪は台風の直撃を受けることは少ない。事実こちらに来て40年近くなるが直撃された記憶はない。小学校、中学校の頃は年に1,2度は台風が間近を通過していた。雨戸に板を打ちつけたり、畳で家の中から窓を押えたりしたことが懐かしく思い出される。台風が去った後、片づけをしている大人たちが「台風一過の青空やな」と挨拶代わりに言葉をかわしているのを聞いて、私はずい分長い間『台風一家』だと思っていた。目を持った渦巻く雲が父親で、大風、大雨というやんちゃ坊主を引き連れてどんちゃん騒ぎしながら旅行をしていき、その後の青空は「お騒がせしました」と尻拭いをする母親というイメージがあったのである。
今日は典型的な台風一過のさわやかな青空である。8月末より古傷の左足に違和感があり、ランニングはおろかウォーキングもできない状態が続いてきた。3週間余り自転車とストレッチで回復を図ってきたがようやく70%ほど戻ったのでウォーキングを始めることにした。ゆっくりしか歩けないのでカメラ片手に小さい秋を見つけながら近所をブラリと歩いた。自転車のスピードでは見落としてしまうものを拾うことができた。
キバナコスモスの勢いに押されつつあるコスモス
紅白のヒガンバナ
熟れかかった柿の実 名も知らぬ路傍の花
見慣れたものも、台風一過のさわやかさと久々に外を歩くことができるうれしさに新鮮に映る。今日一番見ておきたかった「こぶし街道」花もさることながら実のユニークさに気づいてからは毎年の楽しみになってきた。今年は熟して弾け始めたタイミングをつかむことができた。
萩の花を見て、先日の新聞にあった経営難のため境内の一部(現駐車場)にマンションを建てる計画が進んでいる梨木神社のことを思い、色づき始めた紅葉を見て災害に見舞われた嵐山の回復を願ったりととりとめもなく浮かんでくる思いにふけりながらそぞろ歩きを楽しんだ。
今日は典型的な台風一過のさわやかな青空である。8月末より古傷の左足に違和感があり、ランニングはおろかウォーキングもできない状態が続いてきた。3週間余り自転車とストレッチで回復を図ってきたがようやく70%ほど戻ったのでウォーキングを始めることにした。ゆっくりしか歩けないのでカメラ片手に小さい秋を見つけながら近所をブラリと歩いた。自転車のスピードでは見落としてしまうものを拾うことができた。
キバナコスモスの勢いに押されつつあるコスモス
紅白のヒガンバナ
熟れかかった柿の実 名も知らぬ路傍の花
見慣れたものも、台風一過のさわやかさと久々に外を歩くことができるうれしさに新鮮に映る。今日一番見ておきたかった「こぶし街道」花もさることながら実のユニークさに気づいてからは毎年の楽しみになってきた。今年は熟して弾け始めたタイミングをつかむことができた。
萩の花を見て、先日の新聞にあった経営難のため境内の一部(現駐車場)にマンションを建てる計画が進んでいる梨木神社のことを思い、色づき始めた紅葉を見て災害に見舞われた嵐山の回復を願ったりととりとめもなく浮かんでくる思いにふけりながらそぞろ歩きを楽しんだ。