素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

今月の100分de名著・「古事記」を見ながら『口承』を考える

2013年09月12日 | 日記
 去年、古事記編さん1300年を迎えたことで、ゆかりのある地では各種イベントが開催されたり、関連の出版物も多く出され知識を深めることができた。夏に出雲の方へ旅行された方よりいただいた「山陰の古事記謎解き旅ガイド」はコンパクトに整理されていて知識を整理するのに助かった。
 今月NHKの「100分de名著」は『古事記』である。もう一度、このガイドマップを傍らに置いて番組を見るとさらに理解が深まる。
 第一回が《天地の初め》と《イザナギとイザナミ》の部分。ここで一番そうか!と思ったのは「成る」という言葉。立正大学の三浦佑之さんの話で世界の創世神話で使われる動詞は次の3つに大別できるという。つくる、うむ、なる である。前の2つは主体者が存在するが「なる」だけは自然にはえてくるというイメージである。ここに民族性のルーツを見ることができるという指摘に共感した。

 先日の第二回が《アマテラスとスサノオ》の部分。ここでの一番そうか!と思ったのはスサノオの話は縄文から弥生への移行、農耕の始まりということがベースにあるという指摘である。「最初の自然破壊は農耕である」という言葉説得力があった。

 番組ではイッセー尾形さんが語り部として登場しているが、物語を文字ではなく肉声で聞くということの意味をあらためて考えさせられた。子どもが小さい時よく読み聞かせをせがまれたが同じ話を何度も何度も語るのは大人にとってはしんどいが子どもはとても喜んでいた。口承文化の原点はそこにあるのではないか。アイヌのユーカラ、遠野の民話、平家物語などが生き続けてきたのも人間生活にとって必要なものだったに違いない。文字が発明され生活が便利になるにつれ口承文化がどんどん消滅していっていることに何かしら危惧を覚えた。落語の稽古も口承文化だと思うが、これから変化していくのではないかと思う。非能率で不確かなところはあるが何物にも代えがたいものが存在すると思う。

 教育の現場においても、自分の経験談や先輩から言い伝えられてきた伝説などを聞かされることが自分の実践において糧になったように思う。本や資料から得られるものとは違うエキスがあった。これらはふとした時の雑談で語られることが多い。テーマを持った研修という形ではないが結構心に残っていくのである。教育現場における口承文化も衰退しているのではないかと推察できる。

 そいうことも考えながらあと2回、古事記の世界を楽しんでいきたい。最後はガイドブックを参考に現地を巡ること。いつになるかはわからないが引き出しに大事にしまっておこう。

 
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