素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

ひさびさに日曜日らしい一日を過ごす

2013年06月09日 | 日記
 毎日が日曜日の生活になってからは安息日としての日曜日を感じることはなくなっていた。しかし、この1週間は実によく走り、歩いた。延べの距離は約100kmになる。その合間に用事のため自転車を走らせることも多かった。さすがに足に疲労感を覚える。

 朝、「ササユリの観察会」に参加する枚方山草会の人たち、妻を含め8名を河内森の駅から車で送った後は動く気にもなれず音楽を聴きながら読書時々居眠りを繰り返す。仕事をしていた時にクラブ指導のない日曜日の午後味わった安息日の感覚をひさびさに思いだした。

 中沢新一さんの『大阪アースダイバー』(講談社)を中心に気の向くままの読書でにううあった。退職してから大阪市、中河内や生駒周辺などを歩き回ってきたがそれらの断片的な映像が『大阪アースダイバー』を読んでいるとつながってくる。目からうろこが落ちる思いであった。ゆったりと流れる時間の中で誰にも邪魔されずに知的好奇心を大いに満たした。

 N.Yさんのコメントを読んで、森本哲郎さんの『ゆたかさへの旅』(ダイヤモンド社)のプロローグを思い出し本棚からとりだした。購入したのは40年ほど前、副題に「日曜日・午後二時の思索」とつけている。これがとても気に入ったのである。表紙を開くと原稿用紙に手書きというスタイルで‟読者へのメッセージ”がある。

 《日曜日の午後二時。西にまわる日ざしをながめて、あなたはなんとなく憂鬱になることはありませんか。こんなふうに。

 やれやれ、もう休みはおわってしまうのか。しようと思っていたことは山ほどあるのに、なにもしないうちに、あすはもう月曜日か。こうしたくりかえしで人生はすぎていくのか。自分の生活に、いったい何の意味があるんだろう・・・・・

 そうなんです。私もそう思います。じつはこの本は、そのような日曜日の午後に生まれたのです。ですから、できることなら、この本は日曜日の午後に読んでいただきたいと思います。あなたが、ふと、自分の生活をかえりみて、なんとなく憂鬱になったときに。

 私はこの本のなかで、人間にとって何がいちばん大事なのかということを考えようとしました。もしかしたら、私たちは毎日の生活のなかで、そのいちばん大事なものを忘れているのではないだろうか。ゆたかな社会などといいながら、日本の社会はその大事なものを不用なものと感ちがいして捨ててしまったのではなかろうか・・・・・

 そこで私は、日曜日のたびに、知人や若い友人たちと、その問題について話しあいました。そして、そのあげく、ひとつ「ゆたかな国」へ旅をしてみようということになったのです。ほんとうのゆたかさとは何か、という問を抱きながら。この本は、その旅の報告書でもあります。》


 なつかしく読み返してみようと思っています。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする