日蓮正宗 正林寺 掲示板

法華講正林寺支部 正林編集部

十八、法華講では僧侶のむずかしい法話を聞かされるのではないか

2004-05-12 | 折伏教本

 法華講では、僧侶(指導教師)の指導をもととして信行に励んでおり、御講や勉強会などで僧侶の法話を聞く機会が多いことは事実です。
 宗門の僧侶は、御講や勉強会などの際には、信徒にさまざまな機根の人がいることを配慮して、すべての聴衆が理解できるよう、常に心を砕いて法を説いています。
 釈尊は法華経『法師品』に、
 「此の法華経、最も為れ難信難解なり」(法華経三二五㌻)
と仰せられ、仏教のなかでもっとも深遠な教理が説かれている法華経は、信ずることも理解することもむずかしい、と教えられています。
 末法の御本仏日蓮大聖人が説き明かされた仏法は、釈尊が説かれた法華経よりも、さらに深い法義なのですから、初信の人が日蓮正宗僧侶の説法を聞いて、むずかしく感ずることは当然のことです。
 しかし、日蓮大聖人の仏法は、大御本尊を信ずる一念によって成仏が叶う教えであり、僧侶は信徒の信心を深めるために法を説くのですから、聴聞する法華講員に「一言一句でも理解しよう」との強い求道心があるならば、必ず命に響くものがあるはずです。
 日蓮大聖人は『新池御書』に、
 「何としても此の経の心を知れる僧に近づき、弥法の道理を聴聞して信心の歩みを運ぶべし」(御書一四五七㌻)
と仰せられ、僧侶の説法を聴聞して信心に励むことの大切さを御教示されています。
 かつて池田大作は、御法主日顕上人の御説法について、

 「全然、また難しい教義、聞いたって解んないんだ。誰も解らないんだ、ドイツ語聞いているみたいにね」


       (平成二年十一月十六日 第三十五回本部幹部会スピーチ)


と発言をしましたが、これは、仏法の奥義を拝聴しようとする信心を失った姿であり、増上慢という以外にはありません。
 なお、あなたが「僧侶の話より、学会幹部のほうが、おもしろくてわかりやすい」というならば、学会幹部の話は日蓮大聖人の仏法を、自分たちの都合にあわせて解釈し、深淵な教義を低い次元に歪曲して池田礼賛に結びつけているのですから、そのように思うのも無理からぬことです。
 しかし、それらは成仏という仏法の目的を見失ったものであり、会員を地獄に突き落とす邪義異説以外のなにものでもないことを知るべきです。


第七章 十九、法華講員の中にきらいな人がいるから、法華講に入りたくない

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