日蓮正宗 正林寺 掲示板

法華講正林寺支部 正林編集部

六、平成二年以降の問題で、創価学会が宗門にだまされていたことがわかった

2004-05-12 | 折伏教本

    ①「宗門は学会を利用するだけ利用して切った」

 あなたは、何をさして「宗門が学会を利用した」というのでしょうか。
 学会員の言い分の主なものとしては、
 ○学会員一人ひとりが御供養をすることによって正法興隆に寄与してきた
  こと
 ○学会員が身をもって総本山や末寺に協力してきたこと
 ○創価学会が、組織力や政治力をもって宗門や寺院の維持発展に寄与して
  きたこと
などを創価学会の功績として挙げることでしょう。しかし、これらの宗門への寄与や協力は信徒としての仏道修行であり、本来あるべき姿なのです。戸田会長は、昭和二十九年十二月に、当時の学会員に対して、

「信心を基調にして、折伏することと、お寺を大事にすることと、御本山へ尽くすことはあたりまえのことなんだからね。それが自慢のようになっては、もう、信者としては資格がない」(戸田城聖全集四―二三七㌻)
と指導しています。
 創価学会員に功徳があったのは、学会員が信仰する日蓮正宗の教えが正しいものであり、学会員の御供養精神が清純なものであったからにほかなりません。
 学会員が成仏を願い、幸せを願って御本尊へ御供養し奉仕した真心は、必ず本人の福徳となり、その功績は正法の興隆に立派に役立ったのです。
 今になって宗門を「我々の真心を踏みにじった御供養泥棒」などと誹謗するのは、自らの福運を無にするばかりか、さらには大きな罪を作ることになります。
 また創価学会では、「学会が苦労して折伏した会員を、宗門が甘言をもって脱会させ、寺の信徒としている」といって、宗門を「信者泥棒」呼ばわりしています。しかし、破門以前の創価学会員はすべて日蓮正宗の信徒だったのです。まして、現在のような三宝破壊の謗法集団にとらわれている会員を救い出すために、宗門が折伏の手を差し伸べるのは当然のことです。
 謗法の集団から正法に導くことを「泥棒」呼ばわりするなどは、全く的はずれな誹謗です。


   ②「宗門は、日蓮大聖人仏法を正しく伝える清流だと思っていたが、
    実は謗法まみれの濁流だったことがわかった」
 創価学会では、
 ○宗門はもともと謗法まみれだった
 ○今回の問題よって、宗門の謗法が次々と明らかになった
といっていますが、宗門は日興上人以来、富士の清流を厳格に守り、日蓮大聖人の仏法を今日まで正しく伝えています。
 創価学会では、日蓮正宗の七百五十年の歴史に言いがかりをつける一つの材料として、「歴代の中には謗法を犯した法主がいる」などといっていますが、のちに述べるように、歴代法主上人に謗法があったなどということは、まったくありません。
 また、このほかにも、信仰の根幹や成仏の道とは関係のない些細なことがらを取り上げて、「宗門にも謗法があった」と大げさに騒いでいますが、これらは会員を洗脳するための悪宣伝です。
 創価学会は、「今回、宗門が濁流だったと初めてわかった」といっていますが、これは破門された創価学会が、宗門を尊崇してきた従来の主張を、百八十度転換せざるを得なくなった口実として、「今回初めてわかった」などといっているにすぎません。
 これはまた、創価学会が「宗門にだまされてきた」と会員に思い込ませるための狡猾な手段でもあるのです。
 創価学会がいうように、もし宗門が「謗法まみれの濁流だった」というならば、創価学会が宗門の信徒団体であった時代でも、学会員には御本尊の功徳がなかったはずです。しかし実際には、学会員は無量の功徳を得ていたではありませんか。これは、大御本尊の功徳が絶大であるとともに、宗門の教導が正しく、謗法など一切なかったからにほかなりません。


   ③「信頼していた宗門と僧侶に裏切られた」
 日蓮正宗の僧侶は、宗祖日蓮大聖人の御精神を継承される御法主上人の御指南を身に体し、どこまでも慈悲を根本として信徒の教導に当たってきました。これは七百五十年にわたる宗門僧侶の基本精神であり、創価学会員に対しても変わらないものでした。
 そのために創価学会員から日蓮正宗僧侶は信頼され、それぞれの地域において麗しい僧俗関係を築いていたのです。
 しかし、平成二年十一月の池田大作による御法主日顕上人を誹謗するスピーチは、僧俗双方にとって思いもかけなかったことであり、お互いの信頼関係を根底から崩す悲しむべき出来事となりました。その後の創価学会問題の経緯については〈各論第一章十一十二十三〉に述べてありますので、よくお読みください。
 創価学会は、宗門の僧侶が突然、創価学会攻撃を始めたかのように主張していますが、創価学会問題の一切の原因は、池田大作の御法主上人誹謗のスピーチにありました。
 しかも、その後の創価学会の宗門攻撃にはすさまじいものがありましたが、宗門僧侶は慈悲と忍耐をもって会員を善導し、その誤りを正すために努力しました。これは創価学会に対するいやがらせや攻撃ではありませんし、まして、創価学会員への裏切り行為などというものではなかったのです。
 なお、創価学会の誤りに対する僧侶の心情について、第六十六世日達上人は、

 「人々の無理解のため、或いは悪意の中傷に紛動されて、もっともたよるべき信徒が寺院を非難中傷し、圧迫するようなことがあれば、僧侶はまことに悲しい思いをいたして、否応なく反論しなくてはならないのであります」(昭和五十三年十一月七日・創価学会お詫び登山の折 大日蓮号外一三㌻)
と御指南されています。
 また創価学会は、宗門僧侶に対する悪意に満ちた中傷記事を連日、聖教新聞などに大々的に報道していますが、その内容に一々は教義の正邪や信徒の成仏とはまったく関係のないものであり、そのねらいは、「宗門僧侶は学会員をだましてきた悪人である」と、会員に思い込ませることにあるのです。
 ですから、あなたが「宗門僧侶に裏切られた」などと思っているのは、創価学会の情報操作によるものであり、決して正確な判断ではないのです。


   ④「宗門は創価学会員をだましてきた」
 あなたに限らず、創価学会員は何かにつけて「学会は宗門にだまされてきた」とか、「法華講員は宗門にだまされている」などといいますが、宗門と学会のいずれが信徒をだましているのかを判断するには、どちれが終始一貫した主張をしてきたかを見れば明らかです。
 宗門は、教義・信仰・化儀のすべてにわたって、何ひとつ変わってはいません。宗門は、宗祖日蓮大聖人の教えのまま、本門戒壇の大御本尊を信仰の根本とし、唯授一人の血脈を継承される御法主上人に随順して正法広布に邁進しています。
 一方、創価学会は、そのときの状況によって主張や指導がめまぐるしく変わっています。破門以後の創価学会は、従来の主張や指導とは異なった僧侶不要論、血脈否定論などを唱え、化儀・信仰においては『ニセ本尊』の作製、葬儀形式や観念文の変更などを行い、平成十四年には組織の基盤となる「会則」「規則」まで大幅に改変しています。
 破門以前においても、創価学会は宗門との間に交わした約束を何度も反故にしてきました。特に顕著なものとして、創価学会が昭和二十七年に「宗教法人」を取得するに先立ち宗門に誓った「三原則」を反故にしたことが挙げられます。
 その三原則とは、
  一、折伏した人は信徒として各寺院に所属させること
  二、当山の教義を守ること
  三、三宝(仏・法・僧)を守ること
です。
 この三原則は、昭和五十二年頃の創価学会の教義逸脱によって破られてしまいました。そのため、当時の北条理事長(第四代会長)はこれを反省し、
 「創価学会は昭和二十七年の宗教法人設立時の三原則を遵守し、日蓮正宗の信徒団体としての性格を、いっそう明確にしてまいる方針であります」(昭和五十三年十一月七日・創価学会お詫び登山の折 大日蓮号外二㌻)
と発表して、この三原則を二度と破らない旨を誓いました。
 しかし今回、創価学会はこの三原則のすべてを踏みにじり、大謗法集団に転落していったのです。
 創価学会が、信徒団体として宗門に誓った約束を二度も踏みにじった事実を見ても、創価学会が信用に値しない集団であることは明らかです。
 ですからあなたが「創価学会は宗門にだまされた」と主張することは、まったく事実と反対の認識であり、それは故意に宗門を貶めるためか、さもなければ、創価学会の悪宣伝にマインドコントロールされていることにほかならないのです。


第二章 七、「創価学会では成仏できない」というが、自分は死んだ先のことなど考えていない

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