かどの煙草屋までの旅 

路上散策で見つけた気になるものたち…
ちょっと昔の近代の風景に心惹かれます

大矢駅~長良川鉄道 越美南線(岐阜県郡上市)

2012-10-05 | 木造駅舎の旅

長良川鉄道越美南線は、美濃太田駅(美濃加茂市)から北濃駅(郡上市)へ至る鉄道路線で、元々は国鉄の岐阜県と福井県を結ぶ越美線として建設されましたが、結局福井県側とはつながりませんでした。(福井県側の路線は越美北線と言い、福井市の越前花堂駅と大野市の九頭竜湖駅を結んでいます)
越美南線は大正12年(1923)に美濃太田~美濃町間が開業、昭和9年(1934)美濃白鳥~北濃間が開業し、全通しましたが、昭和61年(1986)国鉄から第3セクターの長良川鉄道に移管されました。

大矢駅は、長良川沿いに走る美濃市駅から北濃駅までの間に残る、一番美濃市寄りの開業時からの木造駅舎で、昭和初めに建てられた開業時の雰囲気が残っています。
 

◆大矢駅~長良川鉄道 越美南線/岐阜県郡上市美並町大原
 竣工:昭和2年(1927)美濃下川駅として開業
 構造:木造平屋
 撮影:2012/09/16


■駅舎玄関~装飾は一切なく質素なつくり



■駅舎待合室



■美濃市~郡上八幡間では唯一列車交換が可能な駅で、ホームも2面あります。
 ここで列車の行き違いが行われます。




マンホール紀行(15)~岐阜県郡上市

2012-10-02 | ご当地マンホール紀行

郡上市は2004年、郡上郡の7町村(八幡町・白鳥町・高鷲村・美並村・明宝村・和良村)の合併により誕生しました。
各7町村にオリジナルデザインのご当地マンホールンが存在すると思われますが、今回は八幡町、美並村、大和町、明宝村のご当地マンホールを採集しました。


■旧美並村~長良川の清流と鮎、桜



■旧大和町~「古今伝授の里」とヤマツツジ(町の花)
古今伝授とは~古今和歌集を中心とした歌学を師から弟子へと教授ること。
室町中期、この地を治めた東常縁が古今集を究め、門人宗祇に講じたのが「古今伝授」の初めと言われています。



■旧明宝村~梶原景季の愛馬磨墨とモミジ、ミズバショウ(村の花)
 明宝は名馬磨墨生誕の地と伝えられ、磨墨の里公園が道の駅として整備されています
 


■八幡町~鮎のみのシンプルなデザイン



■マンホールではありませんが「やなか水のこみち」で採集しました


 


鶴来橋親柱(岐阜県郡上市)

2012-10-01 | まちかどの20世紀遺産

 郡上八幡から国道156号を北上、大和町に入り徳永の信号を超えると、左側に長良川鉄道郡上大和駅に向かう旧街道への分かれ道があります。今回は旧街道沿いに建つ鶴来医院(大正14年)が目的で大和町を訪れたのですが、地図上では橋を渡りすぐ左手にあるはずの医院は影も形もありませんでした。医院跡地にはまだ重機が置いてあり、更地にしている最中で、本当につい最近取り壊されたばかりという感じです。

 鶴来医院は近代建築関係の本には必ず紹介される有名な物件で、木造下見板張りのレトロな外観は、山下清をモデルにしたTVドラマ「裸の大将」の撮影でも使われたそうです。郡上八幡楽藝館の管理人さんの話によると、旧林療院と鶴来医院がロケ地の候補に挙がり、そのレトロな雰囲気から鶴来医院が舞台として選ばれたとのことです。

 今まで大和町はなかなか訪れる機会がなく、今回初めて鶴来医院を訪れたのですが、ほんの少しの差で名建築を見ることができず、非常に残念な思いをしました。やっぱり近代建築はとりあえず現地に行き、目で見てカメラに収めるのが鉄則。「いつまでもあると思うな親と近代建築」の思いを新たにした一日でした。

 ところで取り壊された鶴来医院のすぐ脇に小さな橋があるのですが、これがちょっと気になりました。欄干はアルミ製のピカピカの新しいものですが、親柱だけは石造りでやけに古いので、そこに刻まれた文字を読んでみると、鶴来橋という橋の名前と大正13年1月10日竣工の銘がしっかり入っていました。
 現在このあたりの地名は大和町剣(ツルギ)と言いますが、同音の鶴来という名称を残すのは、現在この親柱だけになってしまい、当時の様子を伝える唯一の存在になってしまいました。


■縣道第四拾四號 八幡福井線 鶴来橋の銘が入る親柱
 

◆鶴来橋親柱/岐阜県郡上市大和町剣
 竣工:大正13年(1924)
 構造:石造
 撮影:2012/09/15