かどの煙草屋までの旅 

路上散策で見つけた気になるものたち…
ちょっと昔の近代の風景に心惹かれます

橘町界隈の塗籠商家~その2(名古屋市中区)

2012-03-09 | 名古屋の近代建築


◆山田屋總本店/明治43年(1910)~白漆喰仕上げの土蔵造
  


◆久野硝子店/昭和12年(1937)頃
 


◆合名会社美濃佐商店/住宅:大正期 商店:昭和17年(1942)~橘町界隈の黒漆喰の塗籠造の特徴をよく残しています
 (撮影:2012/02/26)


橘町界隈の塗籠商家~その1(名古屋市中区)

2012-03-08 | 名古屋の近代建築

名古屋城の正門と熱田を結ぶ本町通は、名古屋開府以来の歴史のある通りで、特に大須交差点から伏見通に抜ける門前町~橘界隈には、現在も戦前の面影を残す塗籠造の商家が点在しています。
橘町界隈に塗籠の商家が増えたのは昭和12年以降で、道路の拡幅と戦時に備える防火対策工事のため、多くの建物が曳家や新築を余儀なくされ、黒漆喰仕上げの塗籠造の商家が建ち並びました。
現在戦前の塗籠造の商家が残るのは市内でもこの界隈だけですが、最近は古い商店の建て替えや取り壊しが進み、町の風景もかなり変わってしまったようです。



◆神田屋佛具店~通り沿いには戦前からの老舗の仏壇仏具店が多数営業していますが、塗籠造の店舗は少なくなりました
 


◆有限会社柏彌紙店/明治40年(1907)頃
 


◆綿小商店~隣にも戦前の商家がありましたが取り壊され駐車場になっています
 

 
◆(株)楠木/昭和12年(1937)頃
 2階の出格子はサッシに変更されていますが、黒漆喰の塗籠造や両脇の防火壁など橘町の商家の特徴を残しています
 (撮影:2012/02/26) 

 


名古屋城外堀の橋(3)~大津橋(名古屋市中区)

2012-03-07 | 近代橋めぐり

名古屋市役所と愛知県庁の三の丸騎兵第三連隊跡地新築が決まり、それに合わせて昭和8年(1933)大津通が城内に延長、大津橋が架橋されました。
昭和42年大津通が50mに拡幅され、西側にPC桁が増設されましたが、親柱や高欄などは県、市庁舎とともに、当時の大津通の風景を今に伝えています。

◆大津橋(おおつはし)/愛知県名古屋市中区三の丸~丸の内
 竣工:昭和8年(1933)、昭和42年(1967)拡幅
 施工:名古屋市
 構造:鉄筋コンクリートラーメン
 撮影:2012/02/26
 


戦前の大津通の風景を今に伝える大津橋と県、市庁舎

 


大津橋の南詰に残る昭和51年に廃止された瀬戸電の大津町駅に降りる階段と手摺

 


親柱の柱頭飾りは花や植物のてんこ盛り状態

 


大津橋北詰の石垣に埋め込まれた昭和8年当時のプレート
市庁舎を建てるため、名古屋城三の丸の土塁の一部を崩し、道路を通し架橋する旨が記されています



 


名古屋城外堀の橋(2)~本町橋(名古屋市中区)

2012-03-06 | 近代橋めぐり

御園通の東を名古屋城に向かい南北に走る本町通は、かつては熱田から大須を通り城下に向かうメイン通りでした。
本町通が外堀にぶつかる所に城郭の正門にあたる本町門があり、ここには瀬戸電が通るまでは木製の本町橋が架かっていました。
木製の橋は明治44年に煉瓦アーチ橋に架け替えられ、その後昭和14年に拡幅した東側はコンクリート橋になりましたが、西側は市内唯一の煉瓦アーチ橋として遺されています。 

◆本町橋(ほんまちはし)/愛知県名古屋市三の丸二丁目~丸の内二丁目
 竣工:明治44年(1911)、昭和14年(1939)東側拡幅、昭和63年高欄改修
 施工:瀬戸電気鉄道 
 構造:煉瓦積アーチ
 撮影:2012/02/26 
 


今も煉瓦アーチが残る西側
 


拡幅された東側はコンクリート橋に
 


明治44年7月の銘が入る御影石の親柱




 


名古屋城外堀の橋(1)~御園橋(名古屋市中区)

2012-03-05 | 近代橋めぐり

堀川のすぐ東側、御園通が外堀通に交わる名古屋城の外堀に御園橋が架かっています。
明治44年(1901)瀬戸電気鉄道が外堀に電車を通し、堀川の船運と接続しました。その時に御園門の橋を永久橋に架け替えました。
御園橋は市内で唯一の明治期の鋼橋で、リベット仕上げのプレートガーダー道路橋(単純鈑桁橋)としては、現存する最古級のものと思われます。
平成2年の修景で高欄などが改修されています。

◆御園橋(みそのはし)/愛知県名古屋市中区三の丸一丁目~丸の内一丁目
 竣工:明治44年(1901)、平成2年修景
 施工:瀬戸電気鉄道
 構造:鋼プレートガーダー(単純鈑桁)上路
 撮影:2012/02/26


 
外堀通から橋を渡ると愛知県図書館(石垣の奥)に通じています
 


平成2年に改修された高欄

 


露橋下水処理場本屋(名古屋市中川区)

2012-03-04 | 失われた建物の記憶

露橋下水処理場は昭和4年に抽水場(ポンプ所)として建設に着手、昭和8年名古屋市3番目の水処理センターとして下水の処理を開始しました。
平成16年から施設の全面リニューアルが開始され、昭和5年に竣工した下水場本屋も全面改修を受け、新しい建物に建て替えられたようです。 

◆露橋下水処理場本屋/愛知県名古屋市中川区広住町10-50 
 竣工:昭和5年(1930)
 構造:RC造
 撮影:2007/10/07 


全面改修前の露橋下水処理場本屋(撮影:2007/10/07)
熱田ポンプ所同様、装飾を排したインターナショナルスタイル。縦長の窓が並ぶデザインが印象的です。

 


現在の露橋下水処理場(撮影:2012/02/11)
施設はまだ工事中ですが、リニューアルされた水処理センターの管理棟の全景が確認できます。
 


東邦ガス本社の取り壊し物件(名古屋市熱田区)

2012-03-02 | 失われた建物の記憶

今回中川区から熱田区にかけての建築探訪で、数件の取り壊し物件を確認しました。
まずは熱田区桜田町にある東邦ガス本社の施設です。
敷地内に数棟の煉瓦造りの戦前物件がありましたが、全て取り壊されていました(2012/02/11日確認)





◆東邦ガス(株)供給技術部研修所(旧製造工場機械室)
 竣工:大正12年(1923)頃
 設計:鈴木禎次(伝承)
 構造:鉄骨煉瓦造平屋建



◆東邦ガス(株)東邦液化倉庫
 竣工:不詳
 設計:鈴木禎次(伝承)
 構造:煉瓦造平屋建



◆東邦ガス(株)機材課倉庫
 竣工:大正3年(1914)頃
 構造:煉瓦造平屋建
 撮影:2007/02/11




現在は戦前の事務所らしき建物だけが唯一遺されていました。
取り壊された後には煉瓦壁を模したモニュメントらしい建造物が建っています。(20142/02/11撮影)