旧大野宿の中心鳳来館のある交差点から南へ100mほどの所に、洋風ファサードの昭和な商店があります。昭和初に建てられた溝口時計店で、通りに面したファサードは丸窓や幾何学模様の装飾など当時の表現主義風のモダンなデザインを取り入れています。
■旧大野宿の昭和戦前期を代表する商店建築
■看板建築風の洋風ファサードに意味不明の幾何学模様の装飾、丸窓とスクラッチタイルがたまりません。
JOE COOLさんからのご教授で、幾何学模様は五階菱(ごかいびし)という家紋と判明。
家紋をさりげなく装飾にしてしまうセンスに脱帽です。
■ショーウインドウには1986年のポスターが貼られたまま、30年前で時が止まっています
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いい意味で時代から取り残された結果ですが、現在は廃業している店舗がほとんどです。
どこの町でも、持ち主が亡くなったり高齢化で、空き家が増えているそうですが、昭和な町並みもこうやってどんどん消えていくのでしょうね。
溝口時計店、絵に描いたような看板建築。いいですね~。
僕が明治建築に感じる魅力が随所にみられます。
明治維新とともに西洋化の波が建築にも押し寄せて、皆こぞって一番モダンな西洋建築を作ろうとするんだけど、そこはそれ、職人さんたちは何十年と木造でやってきた大工さんだったり、漆喰塗ってきた左官屋さんだったりするもんだから、
いくら最先端の洋風建築を気取っても、そこかしこに日本人の伝統的様式が意図せず混じりこんじゃう。
でも、それが何とも愛おしい。これがあるから日本の明治建築って、日本にしかない西洋建築になりえていると思います。
明治村を楽しむ着眼点としても、この「完全洋風にしようと思ったんだけど、つい混ざっちゃった和風様式」を見つけて回るというのも楽しいです。
で、この溝口時計店。時計屋だけに「30年前で時が止まっています」って、shortwoodさん、ウマいこと言ってます(笑)。
この、入口のガラス戸に直接、金文字で店名を書き込む様式。これぞレトロ時計店の正統。
で、幾何学模様の装飾をどこかで見たことがあると思い、調べてみました。
家紋でした。「五階菱」(ごかいびし)というそうです。これまた、和ポイント! ますますこの建物が好きになりそう。
それではっ。( ⌒ー⌒)ノ゛゛゛゛
幾何学模様は家紋でしたか。
わたしの不勉強のため、溝口時計店さんには大変失礼しました。
日本独自の西洋建築の話しですが、わたしが本場ヨーロッパの西洋建築(表現が変ですが)にそれほどり魅力を感じない理由は、あまりにも完璧すぎて面白みに欠けるということがあるかもしれません。
日本の西洋建築は明治の擬洋風建築に代表されるように、ある意味すきだらけで突っ込みどころ満載ですが、その換骨奪胎具合が日本らしくていいですよね。
この辺のゆるさ加減が、また愛おしさひとしおです。
家紋のことが頭から離れず、さらに調べてみました。
慶長三年(1598)、豊臣秀吉の命により、会津に移転させられた上杉氏のあとに、越後新発田藩をまかされた初代藩主が溝口秀勝。
この秀勝が自らデザインした溝口家の家紋が五階菱であり、別名「溝口菱」とも呼ばれているそうです。
(↓旧新発田藩下屋敷庭園「清水園」HPから)
http://hoppou-bunka.com/shimizuen/shibata_history.html
(現在、新潟県新発田市の市章↓にも、この五階菱が使われています。)
http://www.city.shibata.niigata.jp/view.rbz?nd=73&ik=1&pnp=1580&pnp=35&pnp=73&cd=452
そののち幕末の世を迎えるまで、十二代にわたり溝口氏による新発田藩の治世は続いたということです。
この時計店のかたは、きっとその末裔にあたるんでしょう。
そんな予備知識を持って見ると、時計店を開業するに当たって店主がファサードに込めた溝口家代々の功績に対する誇りが胸に伝わって来ます。
建物って浪漫ですね!
それではっ。( ⌒ー⌒)ノ゛゛゛゛