黒川樋門は明治初期、矢田川の地下にトンネル(伏越)を掘り庄内用水から分岐して黒川(堀川)へ水を入れるための水量調整用の水門として設けられました。
明治末には石造りの樋門に改修されましたが、昭和53年取り壊されその後現在の形に復元されました。
ちなみに堀川の水源は庄内川ですが、流域で通称(呼び名)が異なっています。
一般的に河口~朝日橋までが堀川、朝日橋から黒川樋門までが黒川、黒川樋門~庄内用水元杁樋門までが庄内用水と呼ばれています。
◆黒川樋門/名古屋市北区辻町字古新田
竣工:明治末→昭和55年(1980)復元
構造:石造
撮影:2012/03/20
※名古屋市都市景観重要建築物等
■3連の石造の水門で、巻上機のある上屋は木造で復元され、樋門の上を人が通行できるよう手すりもついています