かどの煙草屋までの旅 

路上散策で見つけた気になるものたち…
ちょっと昔の近代の風景に心惹かれます

柳原橋(岐阜県羽島郡笠松町)

2012-07-23 | 近代橋めぐり

 岐阜市と愛知県稲沢市を結ぶ県道14号岐阜稲沢線が笠松町と一宮市に架かる木曽川橋周辺を岐阜街道と呼びます。笠松町を通る岐阜街道が、木曽川橋に向かって上り坂になるあたりに柳原橋という小さな高架橋があります。
 私はたまたま高架下を自転車で通ったのですが、上を見上げると小さいながらも戦前特有のモダンな親柱と連続アーチの高欄が目に入り、思わず自転車を止めて見入ってしまいました。親柱の表現主義風デザインから昭和初期の竣工と当たりをつけ、近くによって親柱の年号を見ると、「昭和十三年八月竣功」の銘がばっちり入っていました。
 岐阜街道は古くから交通の要所で、木曽川橋の架橋以前は渡し船や木造の橋が設置されていました。木曽川橋竣工(昭和12年)の翌年に架けられた小さな柳原橋ですが、当時の人々の新しい橋と道路にかける思いが伝わってくる力の入ったデザインです。

◆柳原橋(やなぎはら)岐阜県羽島郡笠松町朝日町
 竣工:昭和13年(1938)
 撮影:2012/05/05




 


木曽川橋/木曽川(岐阜県羽島郡笠松町~愛知県一宮市)

2012-07-22 | 近代橋めぐり

 木曽川橋は木曽川にかかる県道岐阜稲沢線の車道橋で、現在の名岐バイパスができるまで、名古屋市と岐阜市を結ぶ主要国道(22号)でした。この橋の架かる場所は古来より交通の要所で、すぐ上流には笠松渡船場や木造の橋も設けられていましたが、昭和12年に国道12号の木曽川の永久橋として開通、その後昭和37年には国道22号(岐阜市~名古屋市)の橋になりました。
 橋の構造は鋼ブレーストリブ・タイドアーチと呼ばれるもので、7連のアーチがリズミカルな美しい景観をつくり出しています。


◆木曽川橋(きそがわ)木曽川/岐阜県羽島郡笠松町藤掛~愛知県一宮市
 竣工:昭和12年(1937)
 設計:増田淳
 構造:鋼ブレストリブ・タイドアーチ(下路)
 撮影:2012/05/05 


■右岸上流側(岐阜県笠松町)より望む




■西橋詰(岐阜県笠松町)



■東橋詰(愛知県一宮市)撮影:2006/10/08
 


天満水道橋(名古屋市千種区)

2012-06-10 | 近代橋めぐり

鍋屋上野浄水場の前の道路(県道30号線)を南へ向かうと長い上り坂になります。
坂を登り切ったあたりが覚王山の頂になり、その頂の道路の両側に東山配水場が広がっています。
配水場の南側には覚王山日泰寺、地下鉄覚王山駅があり、末盛通につながる県道30号線(天満通~姫池通)が配水場を東西に分割した格好になっています。

東西の配水場は天満水道橋という連絡橋でつながっています。
以前は配水池の上を公園にして市民に解放し、天満通を挟んで水道橋で東西の公園が自由に行き来できた時期もあったようですが、現在は配水場への出入り口の門はしっかり施錠され閉鎖されているため、水道橋だけが歩道橋として一般解放されている状態です。
市民の健康に直結する水道施設なので、現在ほとんどの浄水場、配水場は立ち入り禁止になっており、年に数回日時を限定して(6月の水道週間など)の公開になっています。
以前は時代もおおらかで水道施設の公園を解放しても特に問題はなかったようですが、時代とともにリスク管理の重要性が増し、立ち入り禁止の施設がどんどん増えていくのは、しょうがないとは言え、やはり寂しいですね。

 
■水道橋の上から道路東側配水場を望む~橋の突き当りが配水場の入り口ですが、現在閉鎖中です



■天満通の東側歩道脇に配水場(向かって左側)と水道橋(右側)の門が設置されています
 現在水道橋から配水場へ向かう門は閉鎖されているので、右側の門は歩道橋専用の門になります



■配水場の門の外から配水池に続く階段や外壁が見えます(全体のデザインからすると創建当時のものか?)



■橋の欄干に設置された銘板



■道路西側水道橋袂に設置された公衆トイレ(現在閉鎖中)
 戦後の建設と思われますが、外壁のうねるような曲線が昭和のモダニズム建築を思わせます



■水道橋から配水場西側、東山給水塔を望む


◆天満水道橋/名古屋市千種区下方町
 竣工:昭和11年(1936)→昭和59年(1984)改修
 撮影:2012/06/03

 


殿橋/乙川(愛知県岡崎市)

2012-05-26 | 近代橋めぐり

殿橋は岡崎市内を東西に流れる乙川に架かる橋で、岡崎城がある岡崎公園の上流、県道483号線に設けられています。
多数の橋脚を持つ多柱式橋脚と言われるタイプで、列柱が美しい姿を見せてくれます。
すぐ下流には昭和12年架橋の明大橋(みょうだいばし)も現存しています。

◆殿橋(とのはし/乙川)愛知県岡崎市厚生通南~明大寺本町
 竣工:昭和2年(1927)→平成1年(1989)修景・高欄改修
 構造:RC桁
 撮影:2012/04/29






 


■親柱には家康公ゆかりの葵の御紋が入っています


 


小栗橋/中川運河(中川区)

2012-04-07 | 近代橋めぐり

中川運河と堀川をつなぐ東支線の分岐点のすぐ下流にあるのが小栗橋です。
上流の運河橋より古い昭和4年竣工で、幾何学模様の鉄製高欄や鋳鉄製の装飾を持つ親柱などが当時の面影を残しています。


◆小栗橋(おぐりはし)/名古屋市中川区月島町(右岸)~中川区広川町(左岸)
 竣工:昭和4年(1929)
 構造:鋼PG(プレートガーダー)
 撮影:2012/02/26


■右岸下流側(月島町)より撮影



■東橋詰(広川町側)



■鉄製高欄に施された立体的な幾何学模様



■西橋詰のコンクリート壁


 
■鋳鉄製の装飾が施された石造りの親柱 


運河橋/中川運河(名古屋市中川区)

2012-04-05 | 近代橋めぐり

堀川の西側を並行して流れる中川運河は、名古屋港と笹島貨物駅(現:あおなみ線ささしまライブ駅)を結ぶために掘られた運河で、昭和5年(1930)に竣工しました。
中川運河の竣工により鉄道で運ばれた貨物を船によって名古屋港に運び、同時に松重閘門(現在は使用停止)を設けて堀川とも行き来が可能になりました。
近代の名古屋の物資輸送の要として経済の発展に貢献してきた中川運河も、昭和30年代からは輸送手段が陸路に変わり、現在は忘れ去られた存在になっています。
運河橋は中川運河の最も上流に架かる橋で、多くの船舶が橋の下を往来した戦前の頃の面影を今も残しています。


◆運河橋(うんがはし)/名古屋市中川区月島町(右岸)~中川区運河通1(左岸)
 竣工:昭和6年(1931)
 構造:RC
 撮影:2012/02/26



■下流の猿子橋より撮影~後ろの高架道路は名古屋高速5号万場線



■西橋詰(下流側)~橋の四隅には立派な石造の親柱、欄干の中央には背の高い橋灯も設置されています



■東橋詰(下流側)



■親柱は当時流行の表現主義風のデザイン
 


向野跨線橋(名古屋市中村区~中川区)

2012-04-03 | 近代橋めぐり

名古屋駅の南西にJR東海の関西線と名古屋車両区をまたぐ、いかにもクラッシクな跨線橋が残っています。
この鉄橋は名古屋で現存する最も古い橋で、明治19年京都鉄道(現JR山陰本線)の保津川鉄橋として米国で造られたものを道路橋として転用、昭和5年現在地に向野跨線橋として架橋されました。
当時は鉄の長いトラス橋は貴重で、撤去後もスクラップにはせず道路橋や跨線橋などに再利用されるのが普通でした。
当初の役目である保津川の鉄橋としては30年と短命でしたが、その後名古屋の地で第2の長い余生を送ることになり、現在でも110歳を超えてなお現役バリバリで頑張っています。
現在は老朽化により車両の通行は禁止されていますが、地域の生活に密着した身近な橋として人々に親しまれています。


◆向野跨線橋(こうやこせんきょう)/名古屋市中村区長戸井町~中川区百船町
 竣工:明治32年(1899)製造→昭和5年(1930)転用 
 製作:A&Pロバーツ社ペンコイド工場(米国)
 構造:鋼プラットトラス
 撮影:2012/02/26



■中川区百船町側より撮影



■中村区長戸井町側より撮影



■跨線橋からはJR東海の名古屋車両区が見渡せ、電車ウォッチングのスポットとして絶好です



■名古屋駅周辺の高層ビル群も見渡せます



■「昭和五年六月竣工」の銘板があるコンクリート製のシンプルな親柱


 


堀川の橋(15)~住吉橋(名古屋市中川区~熱田区)

2012-04-02 | 近代橋めぐり

堀川の近代橋めぐりもいよいよ最後、日置橋から松重橋、山王橋、古渡橋、尾頭橋と堀川を下り、金山駅の南西、県道中川~中村線に設けられた住吉橋です。
上流の古渡橋、尾頭橋は堀川七橋の一つですが、戦前の橋は架け替えられ当時の面影は残っていません。
住吉橋は堀川最下流に位置する戦前の面影を留める橋で、架橋時と変わらぬ三連アーチの外観が美しい表情を見せてくれます。

関東大震災の復興に際し、橋梁や小学校などの公共建造物に震災復興モデルが採用され、住吉橋にも震災復興デザインが取り入れられています。
学校建築でも、昭和初めに建てられた都市部の小学校には、耐火耐震を重視したRC造の復興小学校建築が採用されました。
名古屋市でもRC造の復興小学校が建てられましたがほとんど姿を消し、現在では筒井小学校だけが当時の姿をとどめています。


◆住吉橋(すみよしはし)/愛知県名古屋市中川区柳川町・八熊1(右岸)~熱田区新尾頭1、2(左岸)
 竣工:昭和12年(1937)、昭和59年高欄改修
 構造:鋼ソリッドリブ・アーチ(上路)、ラーメン橋台
 撮影:2011/02/11 



■下流左岸側(熱田区新尾頭)より撮影~中央の大きな鋼製アーチの両脇にコンクリート製アーチがあるので三連アーチに見える



■上流左岸より撮影~橋の四隅にかなり立派な橋灯付親柱が設置されています~





■下流東詰の親柱と橋灯~昭和モダンな雰囲気が漂う





■幾何学模様が美しい金属製の欄干


 

堀川の橋(14)~日置橋(名古屋市中川区~中区)

2012-04-01 | 近代橋めぐり

岩井橋をさらに下ると堀川七橋の一つ日置橋です。
日置橋界隈は江戸時代花見の名所として賑わったところで、当時の様子が『名古屋名所団扇絵集』や『尾張名所図会』に描かれています。
橋の外観は五条橋と同様和風のデザインで、石造りの擬宝珠を載せた親柱と高欄は当時のままで、両脇に和風の欄干で統一した歩道を新設しています。


◆日置橋(ひおきはし)/名古屋市中川区松重町3、4(右岸)~中区松原1、2(左岸)
 竣工:昭和13年(1938)
 構造:RCラーメン
 撮影:2012/02/26


■下流右岸側(中川区松重町)より撮影



■西橋詰(中川区松重町)~西日置商店街から続く通りですが、行きかう人も少なく静かな佇まい



■西詰の親柱~「明治十四年九月」と「昭和十三年九月改築」の銘があります
 明治期の親柱を昭和の改築時に再利用したものと思われます





■橋のたもとに『堀川花盛』と題して、江戸時代の日置橋の賑わいを紹介したプレートが設置してあります


堀川の橋(13)~岩井橋(名古屋市中村区・中川区~中区)

2012-03-31 | 近代橋めぐり

洲崎橋のすぐ下流、大須通に設けられた岩井橋は、納屋橋ほどの知名度はありませんが、大正期の橋梁技術とデザイン様式を伝える近代土木遺産としては堀川の橋のベスト1にあげられます。
現存する大正期の橋としては中橋(大正6年)が架橋時の姿を留める最も古い橋ですが、岩井橋は中橋と比較すると幹線道路の大須通にあり、交通量が比較にならないほど多いので、90年後の現在まで拡幅工事による架け替えもなく現役で使用されているのは、当時の設計と技術の優秀さを証明しています。

岩井橋の近代土木遺産としての優れた特徴は、
1.国内に現存する鋼製アーチ橋としては大阪の本町橋に次ぐ2番目に古い橋
2.大正12年竣工以来90年、架け替えられることなく現在もほぼ当時の構造と外観を保っている
3.現存する戦前の橋で飾り板を有する唯一の存在
4.橋詰の4か所に設けられた親水階段
などがあげられまが、当時国内トップの橋梁技術者関場茂樹(設計)と日本を代表する建築家武田五一(意匠)のコラボレーションによって、100年先を見据えた先端の技術とデザインが融合し、現在も竣工当時と変わらぬ美しい姿は全く古さを感じさせません。

岩井橋は知名度の高い納屋橋の陰に隠れてあまり注目されることもない地味な存在ですが、大正期の先端技術とデザインを受け継ぎ、現在も色褪せることなく現役で活躍する堀川唯一の近代の橋として文化財的価値も高く、これからの保存有効活用が望まれます。


◆岩井橋(いわいはし)/名古屋市中村区名駅南3、中川区松重町~中区大須1、松原1
 竣工:大正12年(1923)
 構造:鋼ソリッドリブ・アーチ
 設計:関場茂樹
 意匠:武田五一
 製作:日本橋梁
 撮影:2012/02/26
 ※土木学会選奨土木遺産

■武田五一について~
岐阜の近代建築探訪でも紹介しましたが、武田五一は東海地方に縁が深く、大正7年~9年にかけて名古屋高等工業学校(現在の名古屋工業大学)の校長を務め、名古屋の都市計画事業にもかかわりました。その時に建築家として岩井橋のほか記念橋(新堀川)の意匠設計を手がけていますが、記念橋は昭和52年に拡幅工事のため架け替えられました。



■岩井橋全景(下流日置橋より撮影)
 アーチの曲線が水辺の都市景観に安らぎを与えます(背景に見える直線の高架道路とは対照的です)



■東詰下流側親水階段より撮影



■橋の側面に取り付けられた飾り板~三連の飾りアーチの端は渦巻き状に巻かれ、アーチの間には四角錐状の装飾が施される



■御影石で造られた親水階段(東詰下流側)~橋詰の四隅に船の荷揚げ用に設けられた



■1999年老朽化に伴う床板改修工事が行われましたが、オリジナルの構造はそのまま保たれています



■西詰下流側のアーチに取り付けられた銘板~『大正十一年 日本橋梁株式会社 製作 大阪』



■大正12年9月竣功の銘が入る親柱~橋灯は竣工時のものではなく新設されています


堀川の橋(12)~洲崎橋(名古屋市中村区~中区)

2012-03-28 | 近代橋めぐり

堀川の橋めぐりも納屋橋を過ぎると残る橋もあとわずか、名古屋高速の下をくぐると州崎橋です。
すぐ北側を新洲崎橋のある若宮大通が通りますが、洲崎橋の通りは一方通行で道路幅も狭く、昭和10年架橋当時の面影を残しています。

◆洲崎橋(すざきはし)/名古屋市中村区名駅南3~中区大須1
 竣工:昭和10年(1935)、昭和61年(1986)改築
 構造:RC
 撮影:2012/02/26



■上流の新州崎橋より撮影~橋脚上部に扇形の装飾が施され橋灯や高欄も和風デザインで統一されている



■下流右岸(中村区)より撮影~すぐ上流は新州崎橋、上には名古屋高速2号東山線の高架道路が通る



■東詰(左岸中区側)



■昭和10年架橋の銘が入った親柱の上には立派な和風の橋灯が載る


堀川の橋(11)~納屋橋(名古屋市中村区~中区)

2012-03-26 | 近代橋めぐり

いよいよ堀川の橋めぐりも錦橋を過ぎ、名古屋の古くからのメインストリート広小路通にある納屋橋です。
名古屋で一番有名な橋と言えばなんといっても納屋橋です。(そのものずばり納屋橋まんじゅうは、名古屋の老舗の銘菓です)
愛知県民なら誰でも知っている納屋橋ですが、堀川開削時はすぐ上流に架かる美濃街道の通る伝馬橋のほうが人の往来が多くにぎやかでした。

江戸から明治に時代は移り、東海道線全線開通(明治22年)にあわせ広小路通が名古屋駅まで延伸されたのを機に、大正2年(1913)納屋橋は近代的な鉄製のアーチ橋として架けかえられました。
現在の橋は昭和56年に老朽化と拡幅のため架けかえられたものですが、橋の外側にアーチを取り付け、青銅鋳鉄の欄干(再利用)や橋灯(復元)も大正期の姿を再現しています。

厳密に言えば戦後架けかえられたため、近代の橋ではありませんが、戦前の納屋橋の景観を残すため、外観はオリジナルに近い姿に再現されているので、堀川の近代の姿を伝える橋のひとつとして紹介することにしました。


◆納屋橋(なやばし)/名古屋市中村区名駅南1、2(右岸)~中区錦1(左岸)
 竣工:大正2年(1913)→昭和56年(1981)拡幅・構造変更
 構造:鋼ソリッドリブ・アーチ→アーチ風飾り桁
 設計:吉町太郎一(伝承)
 撮影:2012/02/26



■上流右岸(中村区側)より東詰を撮影~納屋橋と旧加藤商会ビル(昭和6年築)



■下流右岸より撮影~橋の下のアーチは装飾で、構造上はなくても支障がありません



■中央部のテラスの欄干には、堀川開削を行った福島正則の紋と三英傑(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)の紋が入っています


 
■親柱と橋灯(西詰下流側)~背の高い石造りの重厚な親柱、橋灯も立派です 


堀川の橋(10)~錦橋(名古屋市中村区~中区)

2012-03-25 | 近代橋めぐり

今回探訪の堀川の橋に限らず竣工年の古い橋は、老朽化や交通事情の変化で、その後拡幅や改修を受けているものが少なくありません。
伝馬橋のすぐ下流にある錦橋も、昭和62年に錦通を拡幅した際大規模な改修を受けた模様で、親柱には当初の竣工年ではなく「昭和62年9月拡幅」の銘が入っています。
愛知県や名古屋市の近代化遺産の調査書によると、当初の竣工は昭和11年になっていますが、拡幅工事によってオリジナルの構造や外観がどの程度保たれているのか定かではありません。
すぐ下流の納屋橋も昭和56年の拡幅工事により架け替えられましたが、外観はオリジナルの姿が再現されていますので、錦橋も親柱や橋灯、高欄などは当時の景観を残していると思われます。


◆錦橋(にしきはし)/名古屋市中村区名駅5~中区錦1
 竣工:昭和11年(1936)→昭和62年(1987)拡幅(どこまでオリジナルか不明)
 構造:RC桁
 撮影:2012/02/26



■下流の納屋橋より撮影




 
■昭和62年9月拡幅の銘が入った親柱~親柱や欄干はオリジナルと思われます

 


堀川の橋(9)~伝馬橋(名古屋市中村区~中区)

2012-03-23 | 近代橋めぐり

桜橋の下流50mにある伝馬橋は、上流の五条橋、中橋とともに堀川七橋の一つで、中部地方で現存する最古期のRCアーチ橋です。
五条橋や中橋と同じように幹線道路とつながっていないため、比較的交通量が少なく、道路の拡幅や大規模な改修をまぬがれ、当初の面影をよく残しています。
昭和63年の修景で、高欄や橋灯はリニューアルされているようです。


◆伝馬橋(てんまはし)/名古屋市中村区名駅5(右岸)~中区錦1(左岸)
 竣工:大正9年(1920)、昭和63年修景(1988)
 構造:RCアーチ
 撮影:2012/02/26



■上流の桜橋より撮影



■右岸(中村区側)より撮影~道路幅も狭く、幹線道路の桜通と錦通に挟まれ、行きかう車も少なく閑散としています



■親柱の銘板や橋灯は新しく、昭和63年修景時のものと思われます

 


堀川の橋(8)~桜橋(名古屋市中村区~中区)

2012-03-22 | 近代橋めぐり

中橋から100mほど堀川を下ると桜橋です。
桜橋は名古屋駅の正面から東へ延びる桜通りの橋で、昭和12年名古屋汎太平洋平和博覧会開催時に桜通り開通とともに架橋されました。
名古屋の玄関から栄へ延びるメインストリートに架かる石積風のアーチ橋は、名古屋の近代化を物語るように歴史の重みを街の景観に与えています。
桜橋の名の通り、親柱や橋灯、高欄などに桜をモチーフにした装飾が施されているのも見どころです。


◆桜橋(さくらはし)/名古屋市中村区名駅5、那古野1(右岸)~中区錦1、丸の内1(左岸)
 竣工:昭和12年(1937)
 構造:RCアーチ
 撮影:2012/02/26


■下流の中橋から撮影



■上流の伝馬橋から撮影



■アーチ中央部の装飾




 
■親柱と橋灯~照明の桜の透かし彫りが和風の雰囲気です。橋の中央部の大きな照明は桜の木をあらわしているのでしょうか?



■欄干の装飾



■親柱に埋め込まれた金属製の桜のレリーフ


 
■銘板にもさりげなく桜の花びらが