かどの煙草屋までの旅 

路上散策で見つけた気になるものたち…
ちょっと昔の近代の風景に心惹かれます

ステンドグラス(6)~番外編

2014-03-08 | まちかどの20世紀遺産

ステンドグラスの番外編は、残念ながら諸般の事情により外からしか撮影できなかったステンドグラスを紹介します。本来のステンドグラスの美しさは望むべくもありませんが、そのデザインは外からでも一見の価値ありです。


旧久保田外科/昭和初期(岐阜県岐阜市)
シンプルなデザインながらオーナーのセンスの良さがうかがえます




中屋織物工業協同組合/昭和2年(岐阜県各務原市)
織物組合の事務所だけに糸巻をあしらったデザインが楽しい。
残念ながら建物は取り壊されたため、このステンドグラスを室内から見ることはかないませんでした。




岡崎市水道局六供浄水場ポンプ室/昭和8年(愛知県岡崎市)
一般の人が訪れることの少ない水道施設にも、ステンドグラスを設ける設計者のこだわりが伝わってきます




■帝国ホテル中央玄関/大正12年(愛知県犬山市明治村内)
日本でも多くの作品を手がけた20世紀建築界の巨匠フランク・ロイド・ライトですが、何と言っても帝国ホテルは圧巻です。
現在は玄関ホール部分が明治村に移築保存され、天才ライトが創造した唯一無二の世界が体験できます。



■小さな正方形をモチーフにしたシンプルなデザインのステンドグラスからもライトらしさがうかがえます。





■ホテル内に展示されているライトが手がけた住宅のステンドグラス
 


◆◇番外編おまけコーナー◇◆
帝国ホテルの玄関ホールはいつ来ても、ほんと、おちつくんですよねぇ~
天井が低く適度な暗さで、囲まれ感が良いみたいです。
わたし的には明治村のおすすめスポット、堂々の第1位です。
 

 


ステンドグラス(5)~公共建築編

2014-03-01 | まちかどの20世紀遺産

戦前の公共建築には随所にステンドグラスが設けられ、お固くなりがちな裁判所や学校の建物に花を添えています。
ステンドグラスからこぼれる柔らかな光は、訪れる人々に安らぎを与えてくれます。


名古屋市市政資料館(旧名古屋控訴院)/大正11年(名古屋市東区)



■花束と天秤が描かれた大階段のステンドグラス
天秤の皿には白と黒の玉が載り、無罪(白)か有罪(黒)?罪を秤にかけています



■大階段のヴォールト天井のステンドグラスと陪審法廷のステンドグラス
 



金城学院高等学校榮光館/昭和11年(名古屋市東区)



■階段に設けられた縦長の窓を飾る色ガラス





豊橋市公会堂/昭和6年(愛知県豊橋市)
ステンドグラスはもちろん、見どころ満載のまさに「近代建築の宝石箱や~」と叫びたくなる名建築
近代建築の醍醐味が堪能できる、必見の超おすすめ物件!


 




大正村役場(旧明智町役場)/明治39年岐阜県恵那市明智町1884-3



■植物をモチーフにした玄関のステンドグラス


ステンドグラス(4)~オフィス編

2014-02-27 | まちかどの20世紀遺産

 今回は戦前のオフィスのステンドグラスです。大正~昭和初めにかけて建てられた事務所、オフィスビルには結構ステンドグラスがあるものが多いようです。大正期は動植物や自然の風景をモチーフにしたアールヌーボー風、昭和に入ると表現主義などのモダニズムの影響でシンプルな幾何学模様が多くなるようです。映画やドラマではよくレトロなオフィスが舞台になっていますが、ステンドグラスがあるような年代物のオフィスで、優雅に仕事がしてみたいものです。


名古屋陶磁器会館/昭和8年(名古屋市東区)
映画「ALWAYS三丁目の夕日'64」で、茶川さんが連載している少年誌の出版社のオフィスとして使われていました。
外観も内部もまさに昭和レトロな雰囲気が漂うオフィスビルで、まだまだ現役で頑張っています。







石原美術(旧日下部合資会社事務所)/大正2年(岐阜市)
岐阜市内で唯一大正期のオフィスの姿をとどめる貴重な建物。



■武田五一のデザインともいわれていますが定かではありません。
竹のほかに燕に藤の花などをモチーフにした、数種類のステンドグラスが現存しているようです。
 


ステンドグラス(3)~洋館編/その2

2014-02-25 | まちかどの20世紀遺産

 前回に引き続き洋館のステンドグラスを紹介します。名古屋市東区橦木町にあるその名も橦木館は、大正~昭和期に見られる典型的な洋館+和館の邸宅で、現在は文化のみち橦木館として一般公開されています。橦木館の見どころは、邸内に保存展示されている多様なデザインのステンドグラスで、特に2階の欄間のトランプをモチーフにしたステンドグラスは、大正期のモダンな洋館を象徴する優れたデザインです。


橦木館/大正15年(名古屋市東区)




    



旧諸戸清六邸(六華苑)/大正2年(三重県桑名市)
有名な鹿鳴館を設計したコンドルが手がけた洋館で、国の重要文化財に指定されています。
広大な敷地に、和館と洋館が併設されていて、いかにも戦前の財閥の豪邸といったたたずまいです。



■邸内にステンドグラスは玄関の一か所だけで、外観に反して意外にシンプル。


 


ステンドグラス(2)~洋館編/その1

2014-02-22 | まちかどの20世紀遺産

 明治~昭和初期(戦前)の本格的洋館には、煙突(暖炉)とステンドグラスがつきものです。訪れた洋館で、本格的な暖炉と趣味の良いステンドグラスを見つけると、これぞまさに近代建築探訪冥利に尽きるというもので、もうそれだけで思わず顔がほころんでしまいます。戦前の本格的洋館建築は、維持するのが大変でどんどん取り壊されて行きますが、今回は地元の愛知県を中心に、一般公開されている内部見学が可能な洋館のステンドグラスを集めてみました。


芝川又右衛門邸/明治44年(愛知県犬山市明治村内)



■玄関脇にある花の図柄のステンドグラス。建物の設計者で、工芸意匠家としても知られる武田五一の作品か?





文化のみち二葉館(旧川上貞奴邸)/大正9年~平成17年現地に移築復元(名古屋市東区)



■館内には竣工当時の杉浦非水デザインのアール・ヌーヴォー調のステンドグラスが修復復原されています









ステンドグラス(1)~教会編

2014-02-16 | まちかどの20世紀遺産

 近代建築探訪の楽しみは、まず実際に現地に出かけ建物の外観をじっくり見ることから始まります。特に大きな建物は全体に目を奪われがちですが、屋根、壁、柱、玄関、窓など細部(ディテール)にこだわると、これが見どころ満載なのです。そこで「美の神」が宿る建築の細部に注目して、建築ウォッチングの見どころ(ツボ)を紹介して行きたいと思います。

 まず最初は建物の窓にスポットを当て、その美しい造形ををじっくり紹介します。近代建築は外観だけではなく、できれば内部も見たいところですが、個人住宅や現役で使用中の建物などは非公開のところがほとんどで、通常内部見学はできません。そこでおすすめなのが一般公開されている建物で、内装や照明、家具など細部に時間をかけじっくり見学できるので、近代建築探訪の楽しみも倍増です。

 特に建物の中に入らないと、まったくその美しさが分からないものにステンドグラスや色ガラスがあります。ガラスを通した外光が陰影をつくり、その美しさを際立たせるステンドグラスは、建物内部から見て初めてその素晴らしさが堪能できます。ステンドグラスと言えば、まず教会が頭に浮かびますが、わたしたち一般人がいきなり見学・撮影というわけにもいきません。

 そこで誰でも気軽に見学できる一般公開されている建物、愛知県犬山市にある明治村内の教会のステンドグラスを紹介します。村内には美しいステンドグラスがある教会が2棟移築されています。特に京都から移築された聖ザビエル天主堂のステンドグラスは、中世ヨーロッパのカトリック教会を思わせる本格派で、ゴッシク教会の荘厳な雰囲気が体験できます。


■聖ザビエル天主堂/明治23年(愛知県犬山市明治村内)



■ゴッシク様式の高い天井からは、ステンドグラスからの優しい外光が降り注ぎ、キリスト教徒でなくても荘厳な雰囲気に癒されます



■聖人像の上にはゴシック様式の尖頭アーチのステンドグラスがずらりと並ぶ





■正面入口上部には大きな円形のローズウィンドー(薔薇窓)が輝く





■建物両側面にある出入り口上部の薔薇窓



■側廊のステンドグラス
 





■聖ヨハネ教会堂/明治40年(愛知県犬山市明治村内)



■聖ザビエル天主堂と比べると落ち着いた色使いでデザインも繊細






主税町カトリック教会礼拝堂/明治37年頃(名古屋市東区)



■礼拝堂内の色ガラス~中央に十字架がデザインされています
 


日本放送協会桶狭間ラジオ放送所旧正門(名古屋市緑区)

2014-02-09 | まちかどの20世紀遺産

 5年ほど前に名古屋市緑区有松界隈を探訪した時に見つけた、日本放送協会桶狭間ラジオ放送所旧正門です。撮影当時、すでに建物はきれいさっぱり取り壊され、広大な敷地だけになっていました。かろうじて正門だけは残っていましたが、現在も残っているかどうかは未確認のため定かではありません。

 愛知県近代化遺産報告書には、現存当時の放送所の写真は掲載されていましたが、竣工年など詳細は一切不明になっています。建物は表現主義的なデザインで、竣工年は昭和一桁と言ったところでしょうか?正門のデザインはいたってシンプル、装飾などは一切ありませんが、角にアールを付けたデザインからは昭和初期のモダニズムの香りが漂ってくるようです。


■撮影当時門の中は更地でしたが、現在は宅地などに転用され門も取り壊されている可能性が高いと思われます。





(撮影:2009/06/09)


春日井市立郷土館・明治天皇下原新田御小休所跡(愛知県春日井市)

2014-01-27 | まちかどの20世紀遺産

春日井市立郷土館はJR春日井駅の北側、下街道沿いの鳥居松町にある江戸時代末期に建てられた木造の純和風建築です。実は昨年秋、すぐ向かいにある下見板張りの洋風建築、旧梶田医院(大正9年築)を訪れたのですが、残念ながら一歩及ばず、取り壊されたばかりの敷地には、ちょうど新築の住宅が建設中でした。

春日井市立郷土館の建物は、いわゆる明治以降の洋風近代建築ではないので、本来なら守備範囲外ですが、すぐ隣に「明治天皇下原新田御小休所跡」の石碑を見つけたので、一緒に紹介したいと思います。春日井市教育委員会の説明文によると、この建物は明治13年(1880)明治天皇御巡幸の際に休憩所としても使用され、市の文化財に指定されました。とにかく明治天皇は全国各地を御巡幸しているようで、その時の休憩所はほとんどが史跡となって現在に残されています。


◆春日井市立郷土館(旧飯田重蔵離れ)/愛知県春日井市鳥居松町7丁目5
 竣工:江戸末期
 構造:木造2階建
 撮影:2013/10/13


■郷土館と明治天皇下原新田御小休所跡の石碑





つちや俵町本店(岐阜県大垣市)

2014-01-17 | まちかどの20世紀遺産

近代洋風建築ではありませんが、旧美濃路を歩いていて見つけた俵町にある和菓子の「つちや」さんの店舗が、大変風情があり素晴らしいので紹介します。

柿羊羹で有名な「つちや」は、創業250年になる和菓子の老舗で、大垣市の俵町の店舗が本店になります。西濃名産の柿を使い、縦に半分に割った青竹に流し込んだ「柿羊羹」は大垣を代表する銘菓として知られています。柿羊羹を美味しくいただいた後は、青竹踏みに再利用するのが最もポピュラーですが、わたしは机の上に置いて筆記用具入れにして使っていました。

旧美濃路の街道沿いに建つ店舗は、歴史の重みを感じさせる塗り込め造りの町屋建築で、屋根の中央に鎮座する「柿羊羹」の大きな手彫りの木製看板からは、江戸時代から続く老舗の心意気が伝わってきます。


■旧美濃路沿いに建つ昔ながらの風情を残す店舗





■看板の周りの柿と竹の木彫細工はまさに芸術品



撮影:2013/11/23


大垣消防組員頌徳碑(岐阜県大垣市)

2014-01-15 | まちかどの20世紀遺産

大垣城に隣接する大垣公園内にある消防組員の頌徳碑です。イオニア式柱頭のエンタシスがぎっしりと隙間なく並び、上の石碑を支えている姿はなかなか壮観です。大垣市民のために身を挺して消防活動に従事してきた組員の功績をたたえるために昭和7年に建立されたもので、現在も公園の片隅で市民の安全を見守り続けています。


◆大垣消防組員頌徳碑/岐阜県大垣市新町2丁目
 竣工:昭和7年(1932)
 設計:藤井安蔵
 施工:藤井寅吉
 構造:石造
 撮影:2013/11/23

■12本のエンタシスが並ぶ姿は、神殿を思わせる荘厳さが漂います





明治天皇御駐輦跡(三重県四日市市)

2013-11-24 | まちかどの20世紀遺産

近鉄富田駅からアミカン本社へ向かい旧東海道を歩いていて、富田小学校の校門脇で「明治天皇御駐輦跡」という石碑を見つけました。天皇が一時その土地に滞在することを「御駐輦」と言いますが、石碑の横にある案内看板によると、明治元年(1868)旧東海道を明治天皇が京都から東京へ向かう際に、御休息されたのがこの場所ということです。

当時ここには広瀬五郎兵衛という人の屋敷があり、明治天皇が御休息の際、富田の焼き蛤をご賞味され、その後三重県に行幸の際には必ず立ち寄られ、4回にわたりこの場所で御休息されています。よっぽど富田の焼きはまぐりがお気に召されたのか、広瀬五郎兵衛さんにとっては大変名誉なことですが、なにせ明治天皇ですから、その接待たるや並大抵のことではなかったでしょう。

天皇が御駐輦になった場所は日本各地にあり、特に旧街道の宿場町などでは史蹟として記念碑が建っているのを良く見かけます。名門旅館やホテルなども、天皇が宿泊された部屋を特別室として当時のまま保存している例も多いようです。 


■旧東海道沿いに建つ記念碑



■すぐ脇にある富田小学校の校門(歩行者専用門)はレトロなデザインですが、竣工年代は不明です



(撮影:2013/11/17)


金沢監獄正門(愛知県犬山市明治村内)

2013-11-06 | まちかどの20世紀遺産

明治村には八高正門のほかにもう一つ煉瓦造の門が保存されています。明治40年に金沢監獄がつくられた時の正門で、赤煉瓦に白い花崗岩の帯状装飾は八高正門と同じ意匠で、東京駅を設計した建築家の辰野金吾が好んで用いたことから「辰野式」と呼ばれ、明治期の洋風建築の定番です。

金沢監獄の設計者は山下啓次郎。ジャズピアニストの山下洋輔はこの人の孫にあたり、明治時代の五大監獄と言われた、千葉、鹿児島、奈良、長崎、金沢監獄の設計に携わっています。監獄以外に手がけたものは2邸だけという、まさに最初で最後の監獄建築家というわけです。(参考:建築探偵東奔西走/藤森照信)
また村内には正門と一緒に、金沢監獄の中央看守所と監房の一部が移築されています。

◆金沢監獄正門/愛知県犬山市大字内山1番地明治村内
 竣工:明治40年(1907)
 設計:山下啓次郎
 構造:煉瓦造

■両脇に立派な2階建の看視塔を設けた外観は、西洋の城郭のようで、とても監獄の門とは思えない風格が漂う。




 

■金沢監獄中央看守所/明治40年(1907)



■八角形の中央看守所からは五つの舎房が放射状に配置されていたが、現在は第五舎房の一部だけが移築復元されている
 


第八高等学校正門(愛知県犬山市明治村内)

2013-11-03 | まちかどの20世紀遺産

旧制第八高等学校の門が犬山市にある博物館明治村の正門として保存されています。八高は明治41年(1908)設立、翌年現在の名古屋市立大学山の畑キャンパスのある名古屋市瑞穂区瑞穂町に移転開校されました。

当時の旧制高校は簡単に言うと現在の大学の教養課程にあたり、帝国大学入学者のための予科教育機関としての役割が大きかったようです。旧制高校の中でも、明治期に創設された一高~八高までは特に「ナンバースクール」と呼ばれ、いわゆる地域のエリート校として特別の存在だったようです。ちなみに八高は現在の名古屋大学教養部に相当します。


◆第八高等学校正門/愛知県犬山市大字内山1番地明治村内
 竣工:明治42年(1909)
 構造:煉瓦造
 撮影:2006/08/13 


■八高の正門は脇門も含め4本の門柱からなり、赤煉瓦に白い花崗岩を帯状に配した、明治洋風建築によく見られるデザイン






現在八高の施設で残っているのは、明治村に保存されている正門のみですが、大正期の校舎と正門の様子が下のサイトでご覧になれます。
大正時代の名古屋第八学校→http://network2010.org/article/714


四日市旧港防波堤/潮吹き防波堤(三重県四日市市)

2013-07-28 | まちかどの20世紀遺産

四日市港の北側に、明治初期に整備された四日市旧港があります。
半円形の輪郭を描く石造りの防波堤は、明治27年人造石工法で名高い服部長七の施工によって補修されたもので、「潮吹き防波堤」として知られています。

これは世界でも珍しい透過式防波堤で、前堤を乗り越えた波を受け止める後堤には49個の窓があけられ、波があたるとこの窓から海水が吹き上がり、波の勢いを減殺させる構造になっています。 
防波堤の設計は、当時四日市築港計画を作成したオランダ人土木技師ヨハネス・デ・レーケと言われていますが、名古屋港の護岸工事も人造石で手がけた、服部長七の設計施工ということも考えられるようです。

現在は防波堤の窓の奥がふさがれ海水が入らないため、潮吹きの光景は残念ながら見ることはできません。
近代の港湾施設として初めて重要文化財指定を受けた「潮吹き堤防」、その役目は終えましたが、ぜひ旧状を復元して、その名のとおり堤防の窓からいっせいに潮が吹き上がる様子を見てみたいものです。 


◆四日市旧港防波堤(潮吹き防波堤)/三重県四日市市大脇町1
 竣工:明治27年(1894)→昭和30年(1955)護岸化
 施工:服部長七
 構造:石造(服部人造石工法)
 撮影:2013/05/04
 ※国指定重要文化財 


■美しい石積みの堤防に等間隔に五角形の窓が並ぶ姿は、100年以上を経た現在も当時のまま保たれています。
あの窓から一斉に潮が噴き上がる光景はもう二度と見られないのでしょうか?残念です~



■石垣に穿たれたずらりと並ぶ窓は、近代の要塞を連想させるものがあります



■潮吹き防波堤を望む稲葉翁記念公園に建立された「稲葉三衛門君彰功碑」/明治36年
稲葉三衛門は明治初期、私財を投じて四日市旧港を建設し近代港湾の礎を築いた