続いて、「書状 今内様宛・今民様宛」(江戸時代、本阿弥光悦筆、紙
本墨書、29/926cm、一巻、東京・前田育徳会所蔵)は、加賀藩重臣・
今枝内記重直とその養子・民部直恒に宛てた書状23通(今内宛19通、
今民宛4通)を一巻に仕立てたもの。
この書状は、加賀藩前田家の家臣や数奇者たちとの進行の様子を伝
えるだけでなく、光悦の業績と結びつけられてきた嵯峨本についても
記述がある。“かなたの事”や“小鼓ノ筒ノ金具之事”など刀剣や蒔絵に
関する記述もある中、多くは謡曲に関する内容だ。
書状の年代のなかで、“宗半”とは前田家家臣・中川光重の引退後の
号であるとされたが(慶長16〜18年・1611〜13)、その引退以前にも
号を用いた文書が存在している。また、駿府城普請が行われた(慶長
12〜13年)の書状もある。このあたりの年代は「光悦謡本」の刊行
時期と重なっている。
TNM(台東区上野公園13-9)
本墨書、29/926cm、一巻、東京・前田育徳会所蔵)は、加賀藩重臣・
今枝内記重直とその養子・民部直恒に宛てた書状23通(今内宛19通、
今民宛4通)を一巻に仕立てたもの。
この書状は、加賀藩前田家の家臣や数奇者たちとの進行の様子を伝
えるだけでなく、光悦の業績と結びつけられてきた嵯峨本についても
記述がある。“かなたの事”や“小鼓ノ筒ノ金具之事”など刀剣や蒔絵に
関する記述もある中、多くは謡曲に関する内容だ。
書状の年代のなかで、“宗半”とは前田家家臣・中川光重の引退後の
号であるとされたが(慶長16〜18年・1611〜13)、その引退以前にも
号を用いた文書が存在している。また、駿府城普請が行われた(慶長
12〜13年)の書状もある。このあたりの年代は「光悦謡本」の刊行
時期と重なっている。
TNM(台東区上野公園13-9)