二葉鍼灸療院 院長のドタバタ活動日記

私が日頃行っている活動や、日々の鍼灸臨床で感じたことなどを綴っていきたいと思います。

志を立てるということ

2011年09月30日 | 言葉のちから 心のちから
9月から10月に移るこの時に、標題にあるような「志を立てる」ということについて考えてみました。

ブログでの報告は溜まっていますが、「今」書きたいと思ったことをブログの神様が降りてきましたので書きたいと思います。少々長くなるかもしれません。ご了承くださいませ


私の師匠(東洋医学研究所 所長 黒野保三 先生)の人生を一言にすると『真実の探求』。鍼灸医学、鍼灸医療とは何か、そして、国民に理解される鍼灸医療とは何かということを40年以上経過した今もなお、ぶれることなく、あふれる情熱と信念で基礎的に臨床的に研究されています。そして、その志を意気に感じた鍼灸師が内弟子、外弟子として集っています。
私もその一人ということです。

私は開業させて頂き14年目になりますが、時が経つにつれ師匠の偉大さを実感します。それは、師匠を離れさ、その環境を離れ、いろんな同業者や社会を目の当たりするからだろうと感じます。

特に差を感じるのは、その道(仕事)に対する志の質です。そこのところを昭和12年、13年くらいに教師養成学校いわゆる「師範学校」での修身の教鞭が記録として残っている、森 信三 先生の『修身教授録』から抜粋し、題材にして考えてみます。

 第34講 国民教育の眼目 

≪諸君はこれから二年たつと、少なくても資格の上では、立派に一人前の先生として教壇に立つわけですが、それは、教科書の内容を、型通り子どもたちに授けるということだけですむわけではないのです。

すなわち真の教育というものは、単に教科書を型通りに授けるだけにとどまらないで、すすんで相手の眠っている魂をゆり動かし、これを呼び醒ますところまで行かねばならぬのです。すなわち、それまではただぼんやりと過ごしてきた生徒たちが、はっきりと心の目を開いて、足取り確かに、自分の道を歩みだすという現象が起こってこなくてはならないのです。

しかしながら教師その人に、それだけの信念の力がなければならぬでしょう。すなわち生徒たちがその眠りから醒めて、自ら起こって自分の道を歩みだすためには、まず教師自身が、全力を挙げて自分の道を歩まねばならぬでしょう。≫



これは教師の部分を鍼灸師にしても通じるところがあります。
「相手の魂を揺り動かす」いい言葉です。相手を魂から動かすのは自分自身の信念の力のなせる業ということですね。


≪かくして今日教育の無力性は、これを他の方面から申せば結局「志」という根本の眼目がかけているということでしょう。なるほどいろいろな学科を型通りに習いはするし、また、型通りに試験も受けてはいます。しかし、肝腎の主人公たる魂そのもは眠っていて、何ら起ち上がろうとしないのです。

というのも志とは、これまでぼんやりと眠っていた一人の人間が、急に眼を見開いて起ち上がり、自己の道を歩き出すということだからです。今日わが国の教育上最も大きな欠陥は、結局生徒たちに、このような「志」が与えられていない点にあると言えるでしょう。何年、否十何年も学校に通いながら、生徒たちの魂は、ついにその眠りから醒めないままで、学校を卒業するのが大部分という有様です。

ですから、現在の学校教育は、まるで麻酔薬で眠りに陥っている人間に、相手かまわず、やたらに食物を食わせようとしているようなものです。人間は眠りから醒めれば、起つなと言っても起ち上がり、歩くなと言っても歩きださずにはいないものです。食物にしても、食うなと言っても貪り食わずにはいられなくなるのです。

しかるに今日の学校教育では、生徒はいつまでも眠っている。ところが、生徒たちの魂が眠っているとも気付かないで、色々なものを次から次へと、詰め込もうとする滑稽事をあえてしながら、しかもそれと気付かないのが、今日の教育界の実状です。それというのも私思うのですが、結局は、われわれ教師に真に志が立っていないからでしょう。すなわち、われわれ自身が、真に自分の生涯を貫く終生の目標を持たないからだと思うのです。

すなわち、この二度とない人生を、教師として生きる外ない運命に対して、真に志というものが立っていないところに、一切の根元があると思うのです。しかしそんなことで、どうして生徒たちに「志」を起こすことができましょう。それはちょうど、火のついていない炬火で、沢山の炬火に火をつけようとするようなもので、始めからできることではないのです。≫



自分もそうですが、そこに意識がないと、あるいはその道(仕事)に対して志というものがないと、周りから何を言われてもまったく耳に入ってこないですし、耳に入ってこないのですから、心に響くこともないですし、腑に落ちることもありません。
小さいころから夢というか、その楽しい夢を実現するための原動力である「志」を養う教育をすることは大切なことだと思いますね。その「志」があればこそ、自分自身の魂の力が発動され、見るもの、聞くもの、触れるもの、経験、すべてが素直に自分の勉強となり知恵となっていくのではないかと思いますね。

「魂を目醒めさせる」「志を立つ」いい言葉です。


≪諸君らは、今生徒としての現在において、やがて来るべき日の自分の姿にみじめさが見えるくらいでなくては、とうてい真の教師にはなれないでしょう。

すなわち「自分もいつまでもこんなことをしていたんでは、大した教師にはなれないだろう。一端の教育者となるには、何とかして現在のこの生温さを克服しなければならぬ」と、日夜思いつめるところがなくてはならぬのです。この思いつめる力そのものが、実は刻々に、自分に対して内面的な力を与え、それがやがてまた将来の飛躍への原動力となるのです。

このように教育の力は、何よりもまず教師自身の自覚の力に待つとしたら、さらに一歩すすめて「では、そのような教師の力は、一体どこから出てくるのか?」この点を明らかにしなくてはならぬでしょう。それには人によって、多少考え方の違いはありましょうが、結局それは、わが国の現状、並びに将来を考えるということが、その根本をなすでしょう。

すなわち国民教育者としての真の自覚は、何よりもまずわが国現下の国情について、深刻に憂えるところから来るのです。人間も、単に個人的な名利を求める動機から出る熱心さは、たいてい限度のあるものです。

かくして真に尽きせぬ努力というものは、結局私欲を越えて公に連なるところから初めて生まれると言えましょう。それはいわば普通の井戸と、掘りぬき井戸との違いのようなもので、普通の井戸ではいくら水が出ると言っても、そこには一定の限度があります。ところが掘り抜きの井戸となりますと、最後の岩盤が打ち抜かれた以上、昼夜をおかず滾々として湧く水には限りがありません。その上、普通の井戸のように、一々吸い上げる手間さえいらないのです。同様に人間も真に公ということが分かり出しますと、限りない努力をしながら、しかも疲れを覚えなくなるのです。≫



常に自分の現状に対して危機感を持って、その道に臨む。そして、常に自分の理想とする姿を思い描きながら、反面、今、生温い状態で妥協した時の自分の将来像をも自覚して、そうならないように「今」を大切に生きることが書かれているのかな、と思います。

そして、その志に根ざした努力というものは、ただ私利私欲のためではなく、他者のため、周囲の人のため、患者さんのため、地域医療のため、など公のためでなくては、本来の魂から湧き出てくる無尽蔵なパワーを得ることはできないとも話されています。教育界に限らず、私たちの業界も、日本のすべてにおいて、助け合う、お互いを思い合う、他利の精神という公を重視する心の大切さはこの文章の通りです。そして、私たちは未曽有の大災害の経験により日本人として、日本の精神文化としての心の在り方を再認識しています。


≪そこでどのような困難が来ようとも、いささかもだじろぐべきではないでしょう。同時に現下のこの国状が分かるなら、たとえお互いかすかたる存在にすぎないとしても、そこに自らの進むべき一路を開かなくてはならぬと思うのです。

同時にそれは諸君らにとっては、まさに生涯の道でなくてはならぬと思います。すなわち諸君らは、自分の進むべき方向を国家の運命に照らして見る時、そこには自分独自の角度から、自己を捧ぐべき途が見出されるわけであります。かくしてそこには、自分の生命に徹することが、やがて民族の生命と切り結ぶとも言えましょう。

同時にここまで来なければ、国のために尽くすなどと言っても、未だ十分なものとは言い難いでしょう。同時にその時、かような教師によって教えられる生徒たちも、またその光に照らされて、それぞれ自己の「道」を見出すこととなりましょう。国民教育の眼目と言っても、結局はこの外にないと思います。≫


『修身教授録』  森 信三 著



自分の仕事や行いを国家や公、現在は情報がグローバル化しているので世界も含めて全体の大きな視点から考え、そこに自分の今まで歩み、学んできたエッセンスからのものの見方を加え考える時、自分なりの世の中への貢献の道が見えてきます。そして、自分が充実し幸せだと思う道は、実は世の中の皆さまの幸せにも繋がっているのだと書かれていると私は感じます。

教育とは、その人の人生に夢や志を立て、公や思いやりなど他利の精神で道を捉え、そのように人生を実践として歩める精神力を形成することだと思いました。

このことは、自分の仕事である、鍼灸医療にも言えることです。置き換えると学ぶ点がたくさんあるんですよね。

私たちも含め、この国の未来を支える子どもたちを、教え育むためには、上記のようなことを実践し、精神として腹におさめている教師、師匠と出会うことなのでしょう。

これからさらに大きな変化を迎えるだろう世の中において、人の精神に流れる変わらない大切なものを教えて頂いたと思いましたので、長文となってしまいました。

最後までお読み頂きまして、ありがとうございます


二葉鍼灸療院 田中良和

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