昨日は学芸大学にあるアピア40でのライブだった。
ここ最近、体調を崩してはいたが、どうにか歌そうだと安堵はしていたものの、微かな不安は拭い去れることはなかった。
踏み切りで捕まり、一本電車を乗り過ごしてしまった南武線の駅のプラットホームでスマホを開くとメールの着信があった。
「こんにちは~ 東京に来ています。今夜ライブ観に行くわ~」と松本に住んでいる山田君からだった。
私はただただ嬉しかった。
山田君がライブに来てくれる、会うのはもう10以上ぶりになる、心の奥底から滲み出してくれるような喜びを感じた。
一本乗り過ごした電車だったが、すぐ五分後に快速電車が来ることも知り、私はとてもついていると思えた。
体調の微かな不安は山田君のメールを筆頭に、五分後に来る快速電車と繋がり、拭い去ることは可能だと思えて来た。
病は気から言うが、病は喜びで癒されるのも間違えではないと思えた。
この喜びを味わい、私は電車に乗り、再読していたドフトエフスキーの「二重人格」のラストシーンのなかに入って行った。
この世の中をどう見るか、どう捉えるか、身体的にはどうなのか、精神的にはどうなのか、私は私の体調の微かな不安を通して、また山田君に会える喜びを持って、それに向かい合いながら、学芸大学に着く前に読み終えた。
短い時間ではあったがなかなか良い時間を過ごせた。
ライブはいつもの通り楽しく歌えた。
しかし私の前の演奏者が津軽三味線を弾く山影さんだったこともあり、その空気と言うか、その後で歌うのにはプレッシャーもかなりあり、だが、仕方がない、私は歌いに来たのだと言うことを私自身に誇示し、私は一曲目のインドのグジャラートで覚えたグジャラート語の讃美歌を歌い始めた。
コードはGで始まるのだが、ゆっくりと祈りながら歌い始めると、Keyが外れていることに気が付いた。
このままゴリ押しして歌い切ることは辞めた方が良いと瞬時に思い、また津軽三味線のライブの後の空気を換えるためにもアカペラを歌うことにした。
アピアでアカペラで歌うのは初めてであったが、それはそれで良かったと思った。
ライブ後「てっちゃん、変わらないね~」と山田君はニコニコしながら言ってくれた。
「20年前の約束をやっと果たせたよ。てっちゃんのライブに行くってカルカッタで言ったもんね」
「1997~1998年だったから、もう21年前になるよ。早いね、時が経つのはさ」
私と山田君はカルカッタのマザーテレサのボランティアで会ったのは、まだお互いが若かりし頃だった。
その時、お互いの間の関わりは何も変わっていない、愛と喜びと感謝の関わりである、まったく有り難いことである。
この日、ライブには3年ぶりにヘアメイクしている康君も来てくれた。
康君とも8年前にカルカッタであったマザー繋がりの友達である。
康君も「テツさん、変わらないね」とニコニコしながら言ってくれた。
あと会うのは15年ぶり以上になる文化学院の友達のヒガシも来てくれた。
私の心を喜びに溢れた日にみんながしてくれた。