白髭橋のカレーの炊き出しに来るおじさんたちのなかにびっこを引いたおじさんがいる。
彼はびっこなので早くは到底歩けない。
いつもカレーの列の最初の方にいる彼は11時から配られるカレーを随分前から待っているのだろう。
それは余った二度目のカレーをもらうために他ならない。
炊き出しのカレーは余った場合、二度目のカレーを配ることになっている。
それは一度目の列の後ろに並ばなくてはならないが、彼の場合、びっこを引いているので急いで二度目のカレーをもらおうとするおじさんたちに何人かに抜かれてしまう。
彼はただひたすらに痛むであろうと足を引きずりながら、彼の全力を使い、この二度目のカレーの列に並ぶのである。
私は彼がどうにか二度目のカレーをもらえた時は、胸をなでおろし、彼に「良かったね」と声を掛ける。
だが、いつもその間、私は悩んでいる。
彼の代わりにカレーの列に並ぼうか、彼のために一つカレーを用意していようか、特別扱いしても良いのではないか、いや、彼はそれを喜ぶのか、誰かに嫉妬されはしないか、えこひいきと陰口は言われないだろうか、などなど、私は彼を案じる。
彼は誰かに追い抜かれても、わざわざ並んだ二度目のカレーをもらえなくても、私が話しかけると、不平不満は絶対に言わない、いつも穏やかに私を見上げて微笑んでくれる。
彼のびっこを引き歩く姿は十字架を担いだイエスのように私には見えるのである。
神さまは私を通して、彼を愛していると感じずにはいられないのである。
マザーテレサの言葉。
「私たちは、貧しい人たちの中でもっとも貧しく惨めな姿に変容されたイエスを二十四時間見て、愛し、奉仕しながら、世界の真っただ中で観想者なのです」