マザーのパネルは集合場所であったロビーの掲示物が貼ってあった壁を白の布で覆い、その上に飾ることになっていた。
ボランティアはたくさんいたので、最初はあたふたしていたがシスターの指示のもと、どうにかマザーのパネルは納まり良く飾ることが出来た。
そこに初めて会うシスターがいた。
一見インド人みたいにも見えたが流暢な日本語を話していたので、やはり日本人だと思っていた。
一段落して、私はそのシスターと少し会話をすると、彼女は「私はあなたと会ったことがある」と言い出した。
「えっ、そうですか、いつですか?」
「一緒にマザーハウスでチャイを飲みましたよ」
「えっ、名前は何て言います?」
「日本の名前ですか?・・・・ヨウコです。あなたにはドイツ人の彼女がいたでしょ?」
それを聞いた周りのボランティアは笑った。
彼女も笑っていた。
私は一同に笑われ、私はこんなところで言わなくても良いのに、それもみんなに聞こえるように、それにマザーのサリーを着ているシスターにそんなことを言われるなんて、と照れに照れた。
彼女が言ったドイツ人の女性とはベリーナなことで、それは1998年1月ぐらいのことであろう、実際は私の彼女ではなかったが、彼女のように見えたのだろう、私がステーションのボランティアを始めたばかりのことであった。
シスターの日本名は珍しい苗字だったので、記憶の奥底から軽く浮かび上がってきた。
「このサリーを着ていると分からなかった」と言うと、また彼女は笑っていた。
それから、私はマザーハウスで洗礼を受けたことなど、いろいろと話した。
彼女は「随分と時間が掛かりましたね」と言ったが「おめでとうございます」とも言ってくれた。
共通の知人の話しにもなり、私はシスターに「神の声を聞きました?」と聞くと、「いえ、そう言うものではなく、私は最初MCに入ろうとは思っていませんでした」と穏やかに答えた。
そのことはまたいつか書こうと思う。
このマザーの列聖を祝う日、一番最後までいた。
100人ぐらいはいただろう、ボランティアも10人くらいだった。
私たちはシスターやブラザーたちが車に乗るまで見送った。
そのシスターは別れ際に微笑みを浮かべ、友達に言うように、こう言った。
「またね」
「うん、またね」またいつか逢えるだろうと思った。