カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは9月13日(金)です。また生配信があるので良かったら見てください。

ドイツ人の彼女。その3。

2016-09-29 11:58:32 | Weblog

 マザーのパネルは集合場所であったロビーの掲示物が貼ってあった壁を白の布で覆い、その上に飾ることになっていた。

 ボランティアはたくさんいたので、最初はあたふたしていたがシスターの指示のもと、どうにかマザーのパネルは納まり良く飾ることが出来た。

 そこに初めて会うシスターがいた。

 一見インド人みたいにも見えたが流暢な日本語を話していたので、やはり日本人だと思っていた。

 一段落して、私はそのシスターと少し会話をすると、彼女は「私はあなたと会ったことがある」と言い出した。

 「えっ、そうですか、いつですか?」

 「一緒にマザーハウスでチャイを飲みましたよ」

 「えっ、名前は何て言います?」

 「日本の名前ですか?・・・・ヨウコです。あなたにはドイツ人の彼女がいたでしょ?」

 それを聞いた周りのボランティアは笑った。

 彼女も笑っていた。

 私は一同に笑われ、私はこんなところで言わなくても良いのに、それもみんなに聞こえるように、それにマザーのサリーを着ているシスターにそんなことを言われるなんて、と照れに照れた。

 彼女が言ったドイツ人の女性とはベリーナなことで、それは1998年1月ぐらいのことであろう、実際は私の彼女ではなかったが、彼女のように見えたのだろう、私がステーションのボランティアを始めたばかりのことであった。

 シスターの日本名は珍しい苗字だったので、記憶の奥底から軽く浮かび上がってきた。

 「このサリーを着ていると分からなかった」と言うと、また彼女は笑っていた。

 それから、私はマザーハウスで洗礼を受けたことなど、いろいろと話した。

 彼女は「随分と時間が掛かりましたね」と言ったが「おめでとうございます」とも言ってくれた。

 共通の知人の話しにもなり、私はシスターに「神の声を聞きました?」と聞くと、「いえ、そう言うものではなく、私は最初MCに入ろうとは思っていませんでした」と穏やかに答えた。

 そのことはまたいつか書こうと思う。

 このマザーの列聖を祝う日、一番最後までいた。

 100人ぐらいはいただろう、ボランティアも10人くらいだった。

 私たちはシスターやブラザーたちが車に乗るまで見送った。

 そのシスターは別れ際に微笑みを浮かべ、友達に言うように、こう言った。

 「またね」

 「うん、またね」またいつか逢えるだろうと思った。

 
コメント
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