背の低い小さいセバスチャンは聖書に出て来るイエスの衣に触れる長血の女性のようにマザーの棺に触れていたようだった。
それを私が言うとみんなは笑った。
マザーの棺を担ぐ役目は最初六人選ばれたそうだ、その一人がセバスチャンだった。
しかし実際にマザーの棺を運ぶ段階になると、誰もその役目をしたいと思ったのだろう、近くにいた人たちは集まり、マザーの棺の周りには倍の数の人数が集まっていた。
でも、イエスの衣にそっとしか触れることが出来なかった長血の女性の思いをしっかりとイエスは分かり、また癒したように、マザーも同じようにセバスチャンを思っただろうと思い、セバスチャンに言った。
「良かったね。ほんとうに良かったね。その時、そこにいれて」
セバスチャンは嬉しそうに笑い、その数日前のことを話してくれた。
マザーの最期の誕生日は亡くなる十日前ほどだった。
その日セバスチャンたち最終誓願者十九名はタングラ{シャンティ・ダンの敷地のなかにあるブラザーの施設、タングラは施設の名前ではなく、土地の名前であるが、ブラザーたちはその施設をタングラと呼ぶ・最終誓願の準備する場所}からマザーハウスにマザーの誕生日を祝いに向かった。
マザーは車椅子に乗ったまま、彼らに会い、こう話した。
マザーが一番と言っていいほど、たくさんの人に話し続けた五本の指の祈りであった。
セバスチャンはまず右手で左手の小指を折り、「You」と言い、次に薬指を折り、「did」と言い、次に中指を折り、「it」と言い、人差し指を折り、「to」と言い、親指を折って「me」と言った。
だけど、これは指の折り方が違った。
マザーはいつも親指から降り、「You did it to me」と言っていたので、「それは違うよ、親指からだよ」と言うと、セバスチャンは笑っていた。
それから右手の五本指の祈りを思い出そうと必死になっていた。
右手の五本指の祈りはこうである「I will, I want, with God's blessing, be, holy」
すぐに五本指の祈りが思い出せなくても、セバスチャンはマザーの愛する息子であることに違いないと思えるのは私だけでないだろう。
セバスチャンは幼子のように純朴であり、貧しい人たちを愛する人であり、ユーモアがあり、笑顔を絶やさない男である。
しかしセバスチャンもその日がマザーと会う最後になるとは考えもしなかっただろう。
マザーはその後ダイアナの死についてコメントをした日が公的会見の最後だった。
そして9月5日マザーの心臓は動くことを止めた。
それから19年後今年9月5日最初のカルカッタの聖テレサの祝日を迎えた。