雪月花 季節を感じて

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光琳の櫛

2006年09月04日 | 雪月花のつぼ ‥美との邂逅
 
 先月末、関東地方は夏から秋へ大気が入れ替わりました。日中はまだ30℃を越える毎日ですが、風がちがうのです。さらりとしていて、木蔭に入りますととても涼しいのです。すすきの穂も顔を出して、さやさやと風にゆれています。


 九月四日は「くし(櫛)の日」です。古くから、櫛は女性の大切な持ちものでした。

 君なくばなぞ身装はむ櫛笥(くしげ)なる
              黄楊(つげ)の小櫛(をぐし)も取らむとも思はず

 あなたがいないのに、どうして装う必要がありましょうか。黄楊の櫛をとる気にもなれません。
 (『万葉集』 播磨娘子)

 母から折あるごとに黄楊の櫛をもらいました。「櫛を粗末にしてはいけない」と聞かされて、子どもごころにうす気味の悪い思いがしたものです。といって、櫛は「苦死」を想像させますからなおざりにできなくて、なおさら厄介なもののように思われました。ところが、光琳の櫛(上の絵)に出合った日から、わたしは長い間日本女性の黒髪を飾ってきた櫛というものを見つめなおしました。


 江戸元禄期に活躍した京琳派の代表、尾形光琳の「鷺文様蒔絵櫛(さぎもんようまきえぐし)」は、東京青梅(おうめ)市にある「櫛かんざし美術館(※)」の所蔵品です。これまで光琳の印籠(いんろう)は数点見つかっているそうですが、櫛は現在のところこの一点だけではないでしょうか。この櫛のことを知ったのは、知人のIさんから紹介していただいた小説がきっかけでした。

芝木好子著 『光琳の櫛』 (新潮社刊、絶版)
 江戸時代から現代までに製作された櫛、笄(こうがい)、かんざしばかり、一時はおよそ二万点も所有していたという経歴と美しい黒髪をもつ料亭の女将、園(その)が主人公です。物語に登場するひとつひとつの櫛の卓越した意匠や美しさのみならず、それらにこもる、かつての持ち主だった女性たちの情念にとり憑かれている園は、ある日知人を介して光琳の蒔絵櫛と出合います。園は、自分の人生そのものである櫛やかんざしのコレクションを一冊の図録にまとめるために奔走しながら、図録の巻頭をその光琳の櫛で飾ることを決意します。そのときから、それまで他人のものだった光琳の櫛は、女性蒐集家の底知れない執念のからんだ糸に手繰り寄せられるかのように、園のもとへやってきます。

 園のモデルは、岡崎智代さんという、若いころは京都の舞妓さんだったという女性です。女史が蒐集した約三千点に及ぶ櫛やかんざしは、すべて青梅の美術館に収められていますが、中でも江戸期のもの(羊遊斎、酒井抱一、梶川、古満など)に多く佳品があります。著者の芝木好子と女史は交流があったらしく、小説はあながち虚構ではないと思われます。

 あるとき、この小説をすすめてくださったIさんから、小説の光琳の蒔絵櫛が東京にあると聞かされてあわてました。光琳の櫛があるなんて初耳だったからです。それも、当時のわたしの住まいから車で一時間もかからない場所にある美術館でしたからなおさらでした。時をおかず、「櫛かんざし美術館」へ車を走らせたことは言うまでもありません。わたしは、光琳の櫛「鷺文様蒔絵櫛」を、この目でしかと確かめました。
 小ぶりのまろやかな半楕円形の櫛全体に、つやの消された金が施され、中央に鋭い眼光と嘴で獲物を狙う姿の鷺が一羽、うるし錆でふっくらと描かれています。小説の一節を借りるなら、「絵師(光琳)と塗師は、一体になっている」みごとな作品です。そして、この鷺の姿は、小説の中でこの櫛を狙う女性蒐集家、園の姿そのものだったのです。

図録 『櫛かんざし』 (紫紅社刊)
 小説と光琳の櫛の存在を教えてくださったIさんは、東京の染司「よしおか」(本店は京都の新門前通)に長い間勤めておられました。江戸の文政年間から続くこの店の五代目が、岡崎女史のコレクションを『櫛かんざし』という図録にまとめており、図録をひらくと、小説の主人公・園の意志そのままに、光琳の櫛が巻頭を飾っています。のちに、芝木好子が、店の先代(四代目)の貴重な染色の仕事の記録にもとづく小説(河出書房新社刊 『貝紫幻想』、絶版)も書いていたことを知ったのですが、そんな染色家と作家の縁からも、五代目が小説にもとづいてこの図録を製作したことは容易に推測できます。

「鷺文様蒔絵櫛」
 「この櫛のよさは形に尽きる。小ぶりだが、まるみが調って、瀟洒で、まさに元禄櫛です。鷺の姿も申分ない。一羽の鷺は一筆描きのように簡潔で、この文様は『光琳百図』に確かにある。箆(へら)を使ってうるし錆を盛り上げた造型のうまさ。光琳自身が気を入れて蒔絵師と一体になって作ったものでしょう。絶品です」(『光琳の櫛』より)
 上記のとおり、光琳にしかできない仕事なのです。ひと目実物を見て雷に打たれたようになったわたしは、東京郊外の、杉木立につつまれた瀟洒な美術館の一室にひっそりと展示されていたこの櫛の前から動けなくなりました。背後には園の亡霊がいる‥、そんな気がしたのは、この櫛に憑かれたわたし自身もまた、園と、この櫛をその黒髪に挿したであろう江戸の豪商・冬木家の妻女や、櫛やかんざしに秘められた多くのむかしの女と同じ業を持っている─ そういうことなのでしょう。

 それ以来、「光琳の櫛」は、わたしから離れないのです。


 * * * * * * *

 「櫛簪(くしかんざし)」 坂東玉三郎

 小さな かわいい櫛簪
 よく見ると
 こまかい細工がほどこしてあって
 このうえもなく
 美しくしあげてある。

 静かにながめていると
 おんなたちの
 せめてもの祈りが
 ささやかな夢が
 せつなくつたわってくる。

 言いたいことも言えず
 したいこともできなかった
 昔の人の
 つらい思いが
 かなしい心が
 そして いつしか うらみごとが
 私の背すじに
 感じられる。

 我が身につける 小さなものに
 あこがれの世界を描き
 たんねんにみがき
 じっと見つめて
 結いあげたばかりの髷にさす時
 小さくて広いはるかなくにが
 頭の上にのっかって
 おんなたちの心は
 春になったのかもしれない。

 昔のおんなたちの
 胸に秘めていた
 はかない夢が
 叶へられなかったのならば
 どうにか叶へられるよう
 舞台のうえで
 私は 身につけてしまう。
 

※ 美術館までお出かけの際は、事前に「光琳の櫛」が展示されているかどうかをお確かめの上、お出かけください。
 

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16 コメント

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黄揚の櫛 (花ひとひら)
2006-09-04 18:26:39
雪月花さま。こちらも薄の穂が顔を見せ始めました。枯れ薄と違い、出始めの薄はやはり「若い!」(当たり前ですが)。陽を受けてきらきらしているのを見ると、なんだか心躍ります。まだ秋の寂しさを感じない今の時期が、一番面白いかも知れません。萩も花をのせ始めましたし・・・。桔梗に、吾亦紅、女郎花、秋に模様変えですね。とても新鮮です。

さて櫛のお話。これは女の専売特許?でしょうか。ついついお喋りになることを、お許し下さい。京都清水三年坂美術館でも「櫛・かんざし展」をやっています。どんな女人の御髪を飾ったのかと、ため息が出ます。

私は、もっぱら黄揚の櫛。それも興ざめなことを話しますが、これを畳でこすって目バチコ(と言ったら、「もっとたくさん出来るのでメエボと言いなさい」と言われた物ですが)に当てると、おまじないで治るのです。

黄揚の櫛でないと駄目なのです。あの目に当たる熱い感触が思い出されます。母親に、櫛で髪を梳いて貰うことは出来ませんでしたが、娘の髪を梳いて、小さい時はリボンを毎日変え、(そのときの櫛はキイテイちゃんの櫛でした)すこし大きくなると三つ網にしたりと、朝どんなに忙しくっても髪を梳いてやりました。そのうち私の白髪を黄揚の櫛で染めてくれるようになりました。今はもう誰も染めてくれませんが。櫛を使うことも少なくなり、今は、柔らかいブラシです。久しぶりに櫛を思い出しました。女は色々とおしゃれを楽しめますね。嬉しいです。綺麗な櫛、見るだけでも心のおしゃれになるし。(アールヌボーの櫛と、どの国の女性もおしゃれですね)。

高価な櫛がない田舎娘は手櫛で野の花一輪。これも大好きですよ。(田舎娘の部分だけ私と同じですが・・・)。
前に挿したる花櫛の・・・。 (道草)
2006-09-04 22:17:05
 やっと一人で外へ遊びに行けるようになった頃。家の斜め前に智恵光院があって、その横に公園がありました。紅殻格子の軒端が触れ合いそうなほども狭い地道を横切れば、公園は自分の家の庭のようなもの。戦争で金属は供出されたのか、滑り台もブランコも無い公園は砂場だけが子供の遊び場所です。私は、鏡台の前にあった母の櫛を、玩具のバケツに入れて持ち出しました。セルロイドの艶々した櫛には、紅い花の絵が浮かんでいました。何の花だったかなぁ。砂場の砂を平らにしてその上を櫛で線を引くと、一度に何十本もの綺麗な線が、流れる様に現れました。私は夢中になって砂場一面に真っ直ぐな線や曲がった線を引いて、陽が落ちるまで飽きることなく遊びました。その日は、米屋の雅年君やがき大将の利一君も誰も来なかったんだ。明日も遊びの続きをしようと、夢模様の砂場に名残りを惜しみつつ家へ帰りました。

 砂だらけになった櫛を見た母に、私は叱られました。そんなにきつく叱られたわけではないのですが、その櫛が母の大切な嫁入りの記念だと分かって私は泣き出し、そしていつの間にか眠っていました。私が泣いたのでその夜は雨になり、明くる朝雨上がりの公園へ走って行くと、砂場の線はほとんど消えていました。セルロイドだと思った櫛は鼈甲の櫛だったようです。あの櫛はそれからどうなったのか。母は大切にしていたはずですが、今は母もこの世に居ないし、砂場に描いた線はとうに消えてしまって、私の記憶からもそれらが少しずつ薄れてゆくようです。



「花櫛」   横瀬夜雨



髪にかざせる

    花櫛の

花の影さへ

    静かなる

軽(かろ)き小舟を

    とばの江の

水にうかべて

    漂はむ



カトリン海に

    かひとりし

エレンの君が

    俤(おもかげ)は

つゆもわが身に

    備へども



さぎりこめゆく

    筑波根の

尾の上(へ)を照らす

    夕月を

痛めたるむねに

    宿さまし



山影おつる

    湖の

なみまの月に

    棹さゝば

うきねの夢は

    ゆらるゝも

まだ卵焼きが・・・ (たそがれ清兵衛)
2006-09-05 02:55:13
上手く、形にできないうちに、この「美しいブログ」は「櫛の櫛」へと滑りゆくのか…。(それはそうだよなあ…)(苦笑)



今日、新宿駅で「東京愛らんど」という東京都に属する島々の紹介イベントをやってました。(東京都は219の島を有してるって、知ってました?)(ビックリです!)



そのなかの「御蔵島」(三宅島の隣の島で約60分の距離)は江戸時代に大奥の「つげ」の櫛のご用達の島だったという。今は印鑑の最高級つげ材らしいです。(東京竹芝桟橋から、東海汽船で455分かかる)イルカが暮らす、東京から200KMの島です。



私、東京島民になりたい…。(憧)
秋草の櫛 (SAKURA)
2006-09-05 13:45:03
SAKURAのyayaです。

雪月花さまからトラックバックを頂きました。ありがとうございます。

私も母の鼈甲の櫛をアップしたのですが内容がないのでこちらへのトラックバックは控えております。よろしければ秋草の櫛、ご覧下されば嬉しいです。萩と菊が象嵌されたとても細かな細工のものです。母との思い出がつまっております。

 

 花ひとひらさんのコメントを読んで私も昔を思い出しました。やはり祖母はものもらいが出来るとそうしてくれました。とても懐かしく思いコメントを致しました。

鬢出しや梳き櫛など、柘植の櫛もまだ艶よく残っております。牡丹刷毛なども~



 SAKURAは今月は花紋折をテーマと致します。多角形の畳紙のようなものですがこれも先月の「折形」と同じようにあまり目にしないものをお目にかけたいと準備しております。お立ち寄り頂ければ嬉しく思います。http://purple.ap.teacup.com/yaya/

江戸の粋 (雪月花)
2006-09-05 14:39:39
およそ一万年前の石器時代から装身具として存在していた櫛やかんざしは、女性の持ちものと決まっていますけれども、江戸時代にはすぐれた意匠の印籠(いんろう)が流行し、恋仲の男女が揃いのデザインの印籠と櫛を携帯する、ということがあったようです。たとえば、江戸末期に活躍した江戸琳派の酒井抱一の下絵に、蒔絵師の羊遊斎(ようゆうさい)が絵付けをしたものに佳品があり、女性は秋草の意匠の櫛、男性は殿上人が秋草を分け入って(女性を)訪なう図を描いた印籠、といった具合です。つまり、櫛と印籠を合わせてひとつの情景をつくっているのです。さながら『源氏物語』宇治十帖の「橋姫」の世界ですね。櫛も印籠も、身につけてしまえば意匠は隠れて見えなくなりますから、それがまた粋な江戸っ子にはたまらない“秘めごとのような遊びごころ”だったのかもしれません。



東京青梅の「櫛かんざし美術館」では、10月13日から「櫛まつり」が開催され、その日から12月3日まで光琳の「鷺文様蒔絵櫛」が展示されるようです。ご興味のある方は、ぜひお出かけくださいね。



> 花ひとひらさん、こんにちは。

八月中はお忙しい日々を送られていたことと思いますが、お元気そうで何よりです。黄楊の櫛がものもらいに効くとは初耳でした。そんな習慣があったのですね。のちほど母に聞いてみます。

そう、いまはブラシですけれども、むかしは櫛を使っておりましたね。黄楊の櫛は使いこむと良いツヤが出て、櫛のとおりもすべらかになったものでした。わたしも、子どものころは毎朝母に櫛で髪を「お椀結び」に結ってもらいました。「お椀結び」は、頭の上部の髪を櫛ですくい、お椀をかぶせたような形にまとめて、後頭部で束ねてリボンをかけるのです。櫛の意匠がどんなものだったのか、いまでは忘れてしまいましたけれども‥。花ひとひらさんのお嬢さまも、お母さんが毎日髪をていねいに梳いてくれたことを、たいせつに思っていらっしゃると思います ^^

わたしは櫛を使わなくなった代わりに、ちいさな櫛の根付で遊んでいます。秋の根付の櫛は、すすきに月の図です。



> 道草さん、

道草少年は、美しい鼈甲の櫛に惹かれたのですね。嫁入り道具の櫛は「別れの櫛」とされて、二度と実家に帰らないように‥ という意味をこめたのだそうですね。

わたしにも似たような思い出があります。わたしにとって、母の愛用の三面鏡は宝箱のようなものでした。母の留守中に三面鏡の前に座り、どきどきしながらこっそりと抽斗を開けますと、中にたくさんの美しいものが納められていてワクワクしたものです。綺麗なケースに入った口紅やクリーム、意匠の美しい髪留めや帯留め、宝石、時計などの装身具。抽斗の中は、おとなの女性の世界でした。母に見つかっていたら、叱られていたでしょう。いえ、もしかすると、母はわたしが抽斗の中を盗み見ていたことを知っていたかもしれません。なつかしい思い出です。

「花櫛」の詩は、竹久夢二の描くきもの姿の女性の黒髪に似合いそう ^^ 有難うございました。



> たそがれ清兵衛さん、

卵焼きと格闘中ですね、がんばってください! 応援しています。

えっ、東京に219もの島があるのですか? イルカの暮らす、黄楊の産地の「御蔵島」が江戸期の大奥の御用達だったなんて‥、何もかも初めて聞きました。こちらこそビックリです。大奥って、数百人、最盛期には千人以上の女性がいたのですよね。大奥専門の装身具や小物などをつくる職人もたくさん抱えていたでしょうから、そんな時代に櫛やかんざしの意匠も高度に洗練されたのでしょうね。

知人に、小笠原の父島に一時住んでいた方がおりますが、ちいさな村の暮らしは想像以上にたいへんだったそうです。(暮らしになじめず、島を離れたそうです) 島で釣った魚(カンパチでした)をごちそうになったことがありますが、夕飯はいつも近くの海辺でとれた魚やイカだったそうです。



> yayaさん、

お母さまの秋草の櫛、拝見いたしました。鼈甲ですね、とても繊細な意匠で、美しいです。使いこまれたツヤが出ているようですし、お母さまが日ごろからきちんと手入れをされて、たいせつに使われていたのでしょう。

櫛も結びも折形も、むかしの人の遊びごころには学ぶべきものが多くあります。お母さまからたくさんの日本の良いもの、美しいものを受け継がれて、それらをブログをとおして後世に伝えていらっしゃるyayaさんもすてきです ^^ 「花紋折」も楽しみにしていますね。
はじめまして (夕ひばり)
2006-09-05 16:49:22
雪月花さま

はじめまして。以前、紫陽花のことでTBをいただいた夕ひばりと申します。

こちらには、時々訪問させていただき、美しい絵や文章などを拝見していました。



今回「櫛かんざし美術館」について書かれていましたので、思い切ってご挨拶に伺いました。私は青梅で暮らしていますので・・・勝手に、呼んでいただいたような気がしまして(笑)

「櫛かんざし美術館」随分長いことご無沙汰していましたが、涼しくなりましたら訪れたいと思います。
RE: はじめまして (雪月花)
2006-09-05 20:13:46
> 夕ひばりさん、

はじめまして、こんにちは。青梅からようこそお越しくださいました。トラックバックを送らせていただいたのは紫陽花のころだったのですね。青梅でしたら、塩船観音の紫陽花がみごとですね。わたしは数年ほど青梅のお隣の羽村市に、そして夫は青梅に住んでおりました。いまも、羽村や青梅のゆたかな自然を愛しています ^^

光琳の櫛は、「櫛かんざし美術館」の櫛まつりが始まる10月13日から展示されるようなので、わたしも久しぶりに出かけようと思います。周辺には美味しいお店もたくさんありますから、いまから楽しみです♪

さっそくそちらへうかがって、青梅のお話をいたしましょう。
ただいま~ (みい)
2006-09-06 22:19:03
雪月花さん こんばんは!

 四国も、朝晩肌寒く、虫たちが大合唱しています。秋ですねえ。

旅から帰ってこのブログを訪れ、嬉しくなりました。日本の良さを再確認しています。

櫛と簪、3000点にも及ぶコレクション、圧巻です。近くならば絶対観にいきますのに・・・憧れの世界です。

光琳の櫛、見たいです^^
おかえりなさい (雪月花)
2006-09-07 11:35:07
> みいさん、おかえりなさい ^^

北ドイツの旅紀行、楽しく拝見しています。ちょっと留守をしている間に季節がうつろうのが日本ですよねぇ。

「櫛かんざし美術館」は東京の秘境(?)にあるため、気軽にお出かけください、と言えないのが残念です。ほんとうに驚くほど繊細で贅沢な意匠を施した逸品ぞろいなんですよ。

来月になりましたら、墓参で十数年ぶりに四国へまいります。
光琳の櫛 (こはる)
2006-09-07 12:32:20
 櫛の日にちなんだ素敵な文章、楽しませていただきました。

 梅の季節にお聞きして以来、この「かんざし美術館」訪れてみたい場所のひとつです。やはり願わくは光琳の櫛に出会いたいです。

 最近、ちょっと近くなった木曽地方には「お六櫛」があります。ヒノキの桶や漆器類なども含めて以前よりぐっと親しみがわいている今日この頃です。