鎌倉 佐助の風街便り

陶芸、街歩き、クルマ、オーディオ・・。思いのまま徒然に

鎌倉薪能の夜空の下、ふと耳元にひびいてきたあの曲…

2023-10-14 08:55:13 | 日記
それは今から一週間ほど前の先週金曜日のこととなりますが、当地を代表する神社のひとつで二階堂に位置する鎌倉宮で開催された鎌倉薪能を観賞する機会に恵まれました。鎌倉在住の陶芸教室会員さん夫妻からお誘いを受け、ウチの同居人さんとともに秋の夜長のじつに情緒あふれる夜長を過ごさせていただきました。


森に囲まれた境内には、この薪能に向けてこの日限りの舞台が設えられ

お集りの方々は開演を静かに見守っていました。

鎌倉宮での「鎌倉薪能」は1959(昭和34)年の初開催以来、半世紀以上続くそれなりに歴史ある公演とのことです。かのコロナ禍の影響により、この鎌倉宮での薪能は一部の協賛者のみを招待して実施していた後、今回は5年ぶりに特設舞台を設置して観客を入れての開催です。

このたびの主なる演目は

素謡「翁」金春憲和(シテ方 金春流81世宗家)

狂言「六地蔵」野村萬斎(狂言方 和泉流)

能「放下僧」金春安明(シテ方 金春流80世) 

私達にあてがわれた席は舞台中央、しかも前から2番目というまさにこれ以上の良い席は無いくらいのとても恵まれた位置でした。

私自身、能や狂言の分野とのかかわりといえば、今を去ること45年ほど前に叔母が謡いをちょこっと学んでいた折に東京・目黒の喜多能楽堂に何度か出入りした程度です。そのような極めて浅い知識ながらも、約3時間にならんとする伝統あふれる公演の中、狂言「六地蔵」の中で熱演してくれた野村萬斎さんがひときわ輝いて見えました。演目をとおして飄々と、そして時に眼光鋭い表情も併せて、約40分間を通じて片時も目を離させない実に魅力あふれる舞台でした。

兄弟が敵討ちを果たす能「放下僧」は、鎌倉のかつての外港・金沢六浦の瀬戸神社が舞台ということで、瀬戸神社や神社の前に広がる平潟湾を思い浮かべて、イメージがさらに広がります。萬斎さんの子息・裕基さんもこの「放下僧」にて若々しい演技を披露してくれました。。

ちなみにこの薪能の様子は10月13日発行の「タウンニュース」鎌倉版にも掲載されていました。


今回の薪能を観ている最中、なんとも不思議な感覚に見舞われました。秋の夜長、舞台の傍らで燃やされる薪の炎に照らされる杜と役者さんの姿を見ているうちに、ふと耳元に♪月のまなざしの…という歌詞から始まる荒井由実さんの「空と海の輝きに向けて」という楽曲が響いていました。この楽曲は今からちょうど50前の1973年にリリースされた荒井由実さんのデビューアルバム「ひこうき雲」に収められています。


この「ひこうき雲」から始まって荒井由実さんは「ミスリム」「コバルトアワー 」「14番目の月」に至る、まさに日本の音楽シーンの歴史に残る傑作を次々生み出してきました。それぞれのアルバムのバックをサポートした松任谷正隆さん、細野晴臣さんをはじめとするティン・パン・アレーのキレキレのアレンジと演奏はまさに「奇跡的」ではないかと思っています。とりわけワタシは、鈴木茂さんのギターの響きに今もメロメロです…。

この薪能が開催された先週の金曜日の夜から急に秋めき、そして夜空も澄みわたる中、「なんと心地良いひと時か…」と思う反面、ふと、遠く西方のヨーロッパのウクライナで続く紛争が頭をよぎり、なんとも複雑な気持ちに陥っていました。そしてまた、新たに中東の地がにわかに騒がしくなって来ています。

あの薪能の際にふと耳元に響いてきた曲のタイトル「空と海の輝きに向けて」の、なんとも素敵なことか。ひるがえって、世界の各地で戦火が広がりつつある今、「空と海が悲しみに尽きて」とならぬよう、せめても願う今日この頃です…
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