鎌倉 佐助の風街便り

陶芸、街歩き、クルマ、オーディオ・・。思いのまま徒然に

「ハレの日」に黒留袖を前にして、「昭和は遠くなりにけり」…

2017-11-20 21:52:05 | 日記

昨日の日曜日、陶芸教室を終えた夕刻にテレビのスイッチをオンにしてチャンネルをパシパシ押していたところ、今から約45年前の1970年(昭和45年)に公開された日米合作の戦争映画「トラ・トラ・トラ」が放映されていました。ビールのグラスを片手に、70年以上も前の日本海軍によるアメリカ・ハワイ真珠湾攻撃を描く名作品を前に目も心も釘付けになってしまったことは言うまでもありません。

惜しくも番組途中からの視聴となったのですが、コンピュータグラフィックなぞ無い時代の実写戦闘シーン満載の映画の造りに圧倒されてしまいます。

山本五十六役の山村聡さんは、じつに堂々としていました。

南雲海軍中将役の東野英次郎さんは渋く、源田実中佐役の三橋達也さんは若く、きりっと…。

真珠湾攻撃飛行隊長役の田村高廣さんは、緊迫した航空攻撃シーンを飄々と演じていい味出しています。

この映画には他にも、千田是也、島田正吾、内田春雄さんはじめ多くの名優がそろって出演していました。そして時を経て、みんな天に召されてしまっています。久しぶりに「トラ・トラ・トラ」を観賞し、あらためて「昭和は遠くなりにけり…」と感じ入ったひと時でした。

おりしも本日、ウチの二階に暮らす母の米寿のお祝いをささやかに開いたのですが、母も感謝の言葉に続いて「私の誕生日は12月8日なんだけど、何の日か判る?」と同席していたみんなに問いかけていました。私たちの親世代にとって、「真珠湾攻撃の日」からそれ以後の戦争体験は一生のうちで永遠に忘れることのできない記憶であるようです。

母いわく「女学校時代に東京大空襲に見舞われ、同級生や知り合いの大人の人もたくさん亡くなって。あなたたちは本当に良い時代に生まれ育ったのよ。それだけでも幸せですよ」云々、米寿を迎える年寄りの言葉はいちいち身に沁みます。同席していたみんなもうなずいていましたが、少々ご迷惑をかけたかも…。米寿のお祝いの席ですから、許してくれるでしょう。

母の米寿のお祝いは鎌倉駅近く、小町通り脇のフレンチのお店でのランチからスタート。

テーブルの左側に、普段から母を「お母さん、お元気ですか」と気にかけてくれているご近所のお店仲間「甘味処 こまめ」のかえさん、そしてその奥には本日の着付けをお願いした「伊と彦」の好江さんが並びます。テーブルの向かいにはウチの同居人さんとワタシの母、一番奥でワタシの叔父もお祝いしてくれています。

お祝いのテーブルは 勘八のカルパッチョ サラダ仕立て 有田みかんのヴィネグレット というお料理から始まって

スープ、メインのお肉料理、デザート、そしていろいろなワインまで、一同すっきり美味しく、きっちり完食しました。

お店のオーナーはお料理とワインの解説をしながら、頃合いを見てさりげなく「記念写真はいかがですか」と声をかけてくれて

恥ずかしながらの ワンショット。みんな少し酔っぱらっていい調子、間際…。

ランチを終え、かねてより「私のあの黒留袖を身にまとって記念写真を…」という母の希望に従って、「伊と彦」さんで衣装替え。

留袖を着付けてもらっている中、母は「伊と彦さんの着付けはとてもお上手ですね。身体にしっくりきて、とても楽」と、満足そうな笑顔を浮かべていました。

留袖がビシっと決まったところで、小町通りに古くからある写真館にて念願の記念撮影。

母から「米寿には黒留袖を着て記念写真を」と聞かされた時には「おいおい、そこまでは…」と思ったのですが、なるほど、これは確かにいいかも…、という感じもします。

母が、そしてお祝いの席をともにしたみんなが「いい一日だったね」と話ながら家に戻ると、ノワールが帰宅を待ちくたびれたようにリビングの床に寝転がっていました。


そこはかとなく、

ニャンと鳴く 黒留袖の 手足伸び…
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サッカー三昧の向こうに、楽しい計画が静々と進みます…

2017-11-15 22:20:01 | 日記

日本ではほとんど話題になっていませんが、来年に迫ったサッカーワールドカップ・ロシア大会の欧州地区最終予選(プレイオフ)がまさに最終盤を迎えています。ワタシがひそかに応援しているクロアチアは、このプレイオフを勝ち抜き なんとか本大会進出を決めてくれました。そしてこのたび昨14日は、今回の欧州予選で思わぬ苦戦を続けているイタリアの予選最終戦が行なわれました。

朝9時から陶芸作業をしながらテレビ観戦となりますが、ついつい青いユニホームのイタリアと黄色いユニホームのスウェーデンの熱戦に見入ってしまいます。


「イタリア、頑張れ!」「一人で観るのはもったいないなぁ…」などとつぶやきながら、激闘の末、ゲームは0対0の引き分け。その結果、スウェーデンがイタリアとのプレイオフで1勝1分けでワールドカップ進出を決め、イタリアはなんと予選敗退…。

イタリアがワールドカップに出られないのは、1958年(昭和33年)以来60年ぶりのことなのだそうで、さすがに新聞でも昨日の夕刊で「イタリア敗退」を大きめに伝えていました。なんとなく来年のロシア大会に向けて「華」が一つ欠けたように感じられます。

そして我が日本代表は本日早朝、強豪ベルギーと現地で対戦。昨日に続いての一人でテレビ観戦となりましたが、つい先日の国際強化試合初戦ブラジル戦での完敗に続いて今回も敗れてしまいました。

画面では「優勝候補ベルギー相手に惜敗」とのテロップが出ていましたが、ハリルホジッチ監督の表情も冴えません…。ワールドカップ・ロシア大会まであと7カ月ほどに迫りました。12月1日には対戦国抽選会が開かれます。早くも徐々に気分が高鳴る今日この頃。

今回対戦したベルギーの隣国オランダを母国とする友人ディルクが今月はじめにインドからまたやって来た折、我が家でささやかなバースデイパーティーを開いた時に偶然にも「ワールドカップ欧州予選オランダ敗退」が話題になりました。

特段のサッカーファンではないディルクですが、母国オランダの敗退に対しては「オーっ」「アッチュチュ…」と身ぶり手ぶりとともに無念の表情。そして「ニッポン、ダイジョウブです…」と、ワタシの肩をポンポン叩いて励まして!?くれました。何が「ダイジョウブ」なのか定かではありませんが、たぶん、来年ロシアでのワールドカップで「ニッポン、ダイジョウブ」という意味なのでしょう。

ディルクの還暦バースデーパーティーでの会話はサッカーやオランダに住む親族の話から始まり、彼が今住むインドでの暮らしや日本文化に至るまで、居合わせたみんなのあやふやな日本語と英語で交わされます。

ディルクは自身でも「今年、ニホンに来たのは4回目かな、5回目かな…!?」というくらいの親日の度を深めています。おりしも先日、知り合いの方から市内のちょっとかしこまった和食屋さんでの夕食の誘いを受け、ディルクも誘ってみたところ、驚いたことに彼は和服を身にまとって現れました。

和食屋さんでの皆さんとの会話と所作、そして味覚、いずれをとっても、もう立派な「日本人」になりつつあります。

そして和食屋さんからの帰り道、駅で電車を待つ間にディルクから「壮大な計画」!?を打ち明けられました。ディルクの計画が実現した折には、また一歩 彼は真の日本人に近づくものと思われます。

ちなみに今宵は、11月ディルクの鎌倉ラスト・ナイト。お馴染みのお店「六弥太」さんで、プチ送別会と相成りました。

間もなくディルクは日本を離れ、インドに戻ります。そして年末にはまた来日して日本でお正月を過ごすのだとか。新春の三が日、ディルクとおせち料理を食べながら「壮大な計画」をあれこれ練り進める時間が今から楽しみ…。
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紅葉の便りに乗せて、若宮の杜から始まる 姪っ子物語…

2017-11-06 10:02:41 | 日記



11月初めの3連休初日「文化の日」、夜明け前の闇に包まれた早朝4時半、愛車メガーヌをそっと駆り出して一路、進路を西へ取ります。相模川沿いに北へ伸びる圏央道から東名高速を経て新東名高速に入り、ほどなく朝6時過ぎには静岡県内へ。

新東名高速は設計速度時速140kmを担保した構造とのことで道幅も広くカーブも緩くてすっきりまったり!?、トンネル内もキラキラ明るく、とっても楽にドライブできます。静岡県内の一部区間はこの11月から最高速度が国内唯一の時速110kmにアップされ、ふと気がつくとメガーヌのスピードメーターとタコメーターの針はグングン上がり、真上よりもだいぶ右の方向に傾いています。

後ろから猛然と追いついて来たクルマはおそらく時速160kmは優に超えていたと思われます…。追いかけてランデブー走行したいところではありましたが、軽度のスピード恐怖症でもあるウチの同居人さんが助手席に座していることもあり、グッと我慢。おとなしく!? 追い越し車線を飛ばします…。

我が家から4時間弱のドライブにて到着した先は、愛知県名古屋市内の若宮八幡社。この神社は鎌倉時代以前に創建されたと伝わり、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康ともかかわりのある名古屋の総鎮守なのだとか。このたびウチの同居人さんの姪っ子がこの由緒ある神社で結婚式の運びとなった次第です。

七五三のお祝いで詣でる親子も多くて朝からごった返しているのだろうなと思っていたのですが、境内は思いのほか落ち着いた雰囲気を保っていました。

本殿での結婚式の前、姪っ子と新郎さんを囲んで両家親族が記念写真の場へ。

ふと傍らを見ると、同居人さんはわが子を見るように目を細めて、姪っ子の晴れ姿を見守っていました。

主役の二人の友人や職場の仲間の皆さんも、晴れやかな式をともに祝してくれます。


今から20年以上前に私達二人が結婚した時、この姪っ子はたしか幼稚園児だったように記憶しています。以来、会った回数は十数度ほどだと思いますが、きらりと光る大きな瞳と明るい笑顔がいつも印象に残っています。また、ウチの工房で体験陶芸に来た若い女性が偶然にもこの姪っ子の大学茶道部の2学年先輩で、みんなその偶然にビックリ! なんてこともあり、なんともいつも気になる姪っ子です…。

若宮八幡社での結婚式を経て、披露宴は名古屋駅近くのホテルにて。

新郎新婦を囲んでの約2時間半は晴れやかに和やかにアッという間に過ぎて行ったことは言うまでもありません。そして披露宴がお開きとなり、新郎新婦と両家の両親が出迎えの準備を進める間に、会場内ではこの日の若宮八幡社での結婚式とホテルでの披露宴の様子を約5分間にまとめて映像リプレーする趣向が用意されていました。

つい今しがたまで、新郎新婦の晴れの日をともにした人たちの喜びの表情を凝縮したシーンの連続とあって、会場の一同は宴を反芻しながら巧みに編集された映像に見入っています。そして、式に参列したみんなの名前が映画のエンドロールのテロップの如く流れていくのを見ているうちに、不覚にもワタシの目頭が熱く、そして鼻がグシュグシュ…。同居人さんは「なんでアナタが泣いてるの!?」と少々あきれてはいましたが、ワタシを見るその目にもうっすら涙…!?。

ふりかえればここ数年来めでたい宴からは少々遠ざかっていましたが、先月は陶芸教室会員さん、そして今月はこの姪っ子の祝宴が続きました。ウチの同居人さんは「先月は地元・佐助で色留袖、今月は名古屋で黒留袖。あと残るは、白装束を身に着けてあの世に行くだけかな…」と、笑顔でポツリ。「残るは 白装束…」は軽いジョークとしても、もはやワタシ達世代にとって「あの世」はあながち無縁ではないかも…。


留袖を着慣れた頃に宴跳ね 姪子の笑顔 瞼に揺れて…








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