鎌倉 佐助の風街便り

陶芸、街歩き、クルマ、オーディオ・・。思いのまま徒然に

東京都民から神奈川県民へ転じて17年。「巡礼の旅」今いずこ…

2016-01-27 23:04:58 | 日記


ワタシと同居人さんにとって、新春1月における欠かせない行事のひとつとして八方除、ならびに厄払いの場としてつとに有名な相模国一之宮・寒川神社へのお参りがあります。今から17年前、東京から神奈川県に移り住んできた時を契機に毎年1月にこの神社へ参詣しています。

ふと振り返ると、昨年の1月はこの寒川神社にお参りできずに1年が過ぎていました。そのためかどうかはともかく、昨年秋にウチの同居人さんが左足首を「グニャッ!」と捻挫しましたっけ。そして今年も「いつ寒川に行こうかなぁ?」とグズグズしているうちにワタシが左ヒジを強打するに及び、「万難を排してでも…?」という感じで、ワタシと同居人さん、そして昨年 肺炎を患った我が母の三名そろって寒川神社へ。

時は「大寒」を少し過ぎた寒い朝。県内・寒川へ向かう道すがら、相模湾から望む富士山がいやに大きく見えます。

見慣れた光景とはいえ、あらためて神々しい富士山の雄姿がココロに沁みます…。

愛車メガーヌを駆ること小一時間。寒川神社では単にお参りするのではなく、本殿にて神官の方に祝詞をあげてもらってしっかりと八方除と厄払いをとり行なってもらいます。今年、ワタシは満60歳ということで「還暦」を迎えるのですが、同時にこの60歳は「本厄」にもあたるのだとか。知ってしまった以上、「慎重に、慎重に…」ということで、寒川詣では「必須」でもありました。

常日頃、神様や仏様の存在は程ほどに感じながら日々淡々とした関係を保っていますが、人生の節目節目では神様 仏様としっかりおつき合いさせていただくような心構えが徐々に身についているように思います。

神道や仏教の難しい教えはさておき、寺社仏閣を訪れた際の独特の清々しさは言葉では言い尽くせないように思います。

参詣を済ませてあらためて寒川神社に手を合わせ、慌ただしく横浜市は青葉台の家具屋さん「ウッデイハ-ト」に新年の挨拶、ならびに納品へ。

道中、以前10年ほど暮らしていた県内綾瀬市を巡ります。かつて住んでいた家からクルマで約5分ほどの所には、この米海軍厚木基地があります。

上空ではこの厚木基地から離陸した米軍の戦闘機がすさまじい爆音を響かせながら訓練飛行を繰りひろげています。巷では沖縄・米軍普天間基地の危険性が叫ばれていますが、横浜駅から相鉄線で約20分ほどの「相模大塚」駅から徒歩圏内のここ厚木基地も周辺部に住む約300万人が米軍機墜落の危険性と隣り合わせで暮らしています。かつてこの基地の近くで米軍の戦闘機の爆音に悩みながら暮らしていたこともあり、基地を巡るさまざまな思いがアタマの中をよぎります。

そしてこの綾瀬市や大和市界隈は、今 世の中を騒がせているこのセンセイの「地元」選挙区でもあります。

ワタシは政治信条的には「不偏不党」の立場ではありますが、かつて住んでいた地の自治会運動会等の際にこのセンセイとは親しく会話させていただいたこともあり、今回の「疑惑」を見るにつけ、なんとも複雑な心境でもあります。メガーヌで走る街角街角、センセイの顏写真とともに「経済で 、結果を出す。」というコピーが冠されたポスターがやたら目に入ります。ちなみに良くよく調べてみるとこの「経済で、結果を出す。」というコピーは現在の自民党全体のスローガンということが判明しました。聞くところでは、28日午後、今回の疑惑に関してセンセイは会見を行なう予定なのだとか。このセンセイの今回の問題に関し、「経済」は「軽罪」に転じるのか、「結果」はいかに…。

かつて暮らしていた当時のさまざまな出来事を同居人さんとともに思い返しているうちに、横浜・青葉台の「ウッデイハート」に到着し、社長の木村さんと約一カ月ぶりのご対面。

一緒に来た母は「なんて広いお店! 木村さん、頑張ってるのねぇ。素晴らしい」とただただ、感嘆しています。蛇足ながら、ワタシ自身、この母から誉められた記憶はほとんど無いような感じです。あらためて情けない息子です、トホホ…?。

「ウッディ」を後にし、続いて青葉台の「お定まり」は、美味しいパン屋さん「COPPE」と、香ばしい干物屋さんの「魚敬」。

この両店は、青葉台を訪れた時には「外せない」ワタシの名店です。

青葉台に来たからには、ワタシにとっては「人生の、そしてオーディオの師匠」でもある あの人にも会いたいところなのですが、慌ただしい道中につき涙を呑んで帰途に、ということになります…。

帰り道、横浜・瀬谷区の海軍道路の桜並木をゆっくりとメガーヌを駆ります。

春ともなれば、この桜並木は満開のピンク色に染まり大勢の花見客で大賑わいとなります。助手席の同居人さんも「あぁ、この桜並木 懐かしい‥」としばし、感慨に浸っていました。

帰宅後、昼間に綾瀬市の高座豚のお店で買ったお肉、コロッケ、パン等を並べて夕食のテーブル。

このお店もワタシの「とっておき」のスポットのひとつ。この日は、さながらワタシにとっての「ココロのお店」巡りの日にもなりました。

そして、夕刻から深夜までは「錦織」から「五輪」まで、たっぷりと「体育の日」。

「完敗」のテニスから気を取り直して「歓勝」のサッカーを経て、「ワタシのそこそこ長い一日」が静々とその幕を閉じました。

日頃 暮らしを営むこの街から県央の横浜・青葉台を巡る走行距離約200キロはワタシにとってさながら「神奈川居住暦17年」の「巡礼」のようでもありました。

おりしも、ウチの同居人さんも「なんだか、巡礼の旅のような一日でした…」とポツリ。

今、わが家のリビングには寒川神社で買い求めた黒い招き猫が鎮座しています。

この招き猫はどことなく、昨夏亡くなったウチの黒猫・チー坊に似ています。

チー坊も今頃、そっと静かに「巡礼の旅」に出ているのかなぁ…。






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来たるべき大寒波の向こう側、春の気配がStep by Step…

2016-01-22 20:09:06 | 日記


ふと気がつくと、暦の上では一年のうちで最も寒さが厳しい頃…といわれる「大寒」を迎えていました。大寒の未明、窯焚きしながらふと夜空を見上げると天頂よりもやや西の方角に青白い月が冷めざめと輝いていました。「なんて綺麗なんだろうか…」と息をのみながら月に向けてカメラのシャッターを「パシャ」としてみたのですが、写った画像は「???…」の結果の連続です。

何度シャッターを切っても、同じような画像ばかりで終始する始末に及び、「昨日から、なんだかツイてないなぁ…」と、ため息交じりの「大寒」の午前2時。

思えば「大寒」前日の20日 水曜日。午前中の作陶の最中、ふとしたハズミで左ヒジを強打するアクシデントに。幸いなことに骨折には至らぬも関節に重度の内出血が生じ、昨日は痛みが「ビリりッ」、寒さに「ブルブル」と震えっぱなしの「大寒」となってしまいました。トホホ。

そしてこの日には、さらにもうひとつ…。

朝、外出のために玄関を出たウチの同居人さんがあわてて戻ってきて「ねえねえ、こっち」と手招きされた先には、このような光景が。

隣のお宅の塀が何者かによって破壊? されてしまっていました。「そういえば前の晩、夕食時に外でグシャッて音がしてたよね…」なんて話しているうちにご近所さんが集まり、ひいては鎌倉警察署のお巡りさんまでやってきてワイワイガヤガヤと「推理ゲーム」が延々と…。

なにはともあれ戸締りに関する意識を再確認しつつ、ややあってお巡りさんからのこのようなお知らせを郵便受けに発見。

聞くところによると、今後も定期的にご近所を廻ってくれるのだとか。日頃、お巡りさんとはあまり馴染みがありませんが、ありがたい限りです。

おりしもこの日は、CHi-BOU NOIRの文字を描き込んだ陶板の試し焼きが出来上がってきた日でもありました。

「あの壊れた塀の近くにはチー坊たちのお墓があるし。きっと、チー坊たちが災難から守ってくれたのかなぁ」などとワケのわからぬ分析をしていたところ、翌日の「大寒」にわが家の二階に住む母が「大難は小難に…ということね」となんともタイミングの良い解説を…。

嬉しいことに「厄落としに行こう」と言ってくれて、駅西口の「銀座アスター」さんで窓の向こうに走り過ぎる横須賀線を眺めながら、ビールと中国料理を奢ってもらってしまうことになりました。

それにしても、還暦目前にして80歳をとうに過ぎた母に御馳走になるワタシと同居人。なんとも罪深いような気分もチョピット…。

「大寒」の夜、駅前で食事を済ませての帰途、まだ8時前だというのに佐助の街には人影はまばら。というか、ワタシ達3人しか見当たりません。そのためか、夜風がひときわ身に沁みるようにも…。


洩れ伝え聞くところでは、明日からの土曜、日曜は「十年来、もしくは数十年に一度の大寒波がやって来る…」のだとか。なんと、「沖縄で小雪が舞うかも…」なんてことも予想されているようです。ワタシも明日以降、寒さとヒジの痛みに「ブルブル」という日が続くのでしょうか…。

二十四節気の第一 「立春」まであと約2週間。寒さ越え、指折り数えて待つ春の息吹き 恋しき寒の宵…




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新春の一日、荘厳なる時の中に身を置いてあらためて「日々を新たに」

2016-01-13 22:28:32 | 日記



毎年、松が開けてから「成人の日」がらみの3連休は、日本中どこもかしこも成人式や観光に出かける人で大賑わいとなります。そして3連休の真ん中の日曜日はワタシにとって「お正月・松の〆」とも言うべき日でもあり、起きぬけから「襟を正す」ような気持ちで身繕いを整えて朝9時前に愛車メガーヌに乗りこみ、いざ、東京へ。

向かった先は東京・新小岩からほど近くに位置する 日蓮宗秋田県妙倉寺東京布教所。このお寺で新春に行なわれる「正月祭礼」、そして午後からの市川・中山法華経寺大荒行堂参詣へと向かいます。妙倉寺東京布教所の山田恵大僧侶、、ならびに中山法華経寺大荒行堂での荒行等に関しては昨年のこちらのブログをご覧いただければ幸いです。あらためて自らが記したブログを読み返してみましたが、日蓮宗の同寺にて行われる100日間に及ぶ荒行はまさに「すさまじい…」のひと言に尽きるように思います。蛇足ながら、大荒行堂にて修行中の大勢の若い僧侶さんが唱えるお経の渦の中に身をゆだねる約5分間はまさに「時空を超えた」不思議な一瞬です。

午前11時から始まる妙倉寺東京布教所での祭礼を経て、総勢約100名が日蓮宗中山法華経寺へ。新春の午後の陽射しが石碑に刻まれた「日蓮宗大荒行堂」の文字をクッキリと浮かび上がらせています。

毎年1月、この中山法華経寺に来るたびに「一年の始まりだ。そして、時の流れは本当に速なぁ…」との感慨に浸ってしまいます。

例年、大荒行堂への入室に際しては、境内にあるこの鬼子母大尊神堂の奥にある大部屋にて控えることになっています。


されど今年は、このお堂から廊下をたどったところにある「常修殿」という部屋が用意されていました。


こちらが「常修殿」。

大荒行堂への入室を待つ間に山田恵大さんが「私がこのお寺で100日間の荒行に臨んでいた時、この部屋は食事を摂る場所でした」と、修行時の様子を感慨深げに披歴。ワタシとしては思わず「えっ、そのような神聖な場所に入らせてくれて…」と、部屋の天井、壁、戸板の隅から隅までジッと見入ってしまいました。


「常修殿」前の廊下には、山田恵大さんの兄で秋田県妙倉寺僧侶・山田恵祥上人が窓の外に広がる境内の様子を眺めていました。

毎年、新小岩での「正月際礼」に際して、恵翔上人は雪深い秋田から必ず赴いて来てくれます。そして、瞳と瞳が合うたびに「ありがとうございます」とも言っているかのように軽く会釈する恵翔上人の姿が印象的です。

大荒行堂にて若い修行僧さん達のお経に身をゆだねる直前、堂の前にしつらえられた祭壇のお花と盛り塩の「平穏なる佇まい」に、目を惹かれていました…。


日蓮宗秋田県妙倉寺東京布教所の「正月際礼」、そして中山法華経寺大荒行堂参詣を経て、信徒さんやワタシたち悩み多き者たちとの挨拶を交わす山田恵大上人の顔はいつも以上に笑顔に満ちていました。








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素敵なお宅で活かされる拙作を前に、作り手冥利の午後のひととき

2016-01-09 13:29:24 | 日記

いやはやなんとも…。ほんの少し前に新たなる年を迎えたと思っていたら一昨日の7日には「松」も開けて松飾りも外し、ふと指折り数えてみれば今年も早や 50分の1ほどが過ぎてしまいました。たしか今年の元旦、「還暦を迎える今年こそ、少しはゆったりとしたスピードと心持ちで日々を送れたら…」と拙い希望をいだいたような記憶があります。されど、年末年始からの納品やご挨拶、そして陶芸教室やほどほどにお声がかかる宴席に臨みつつ、「やっぱり、お声がかかるうちが華」と、気持ちをきっちりリセット!!、できるかなぁ…。

などと ひとり訳のわからぬことを考えながらの昨日、江ノ電に乗って海沿いのお宅へ作品の納品、です。向かう先はうちの同居人さんも懇意にしているお宅ということもあり、珍しく二人揃って「電車でGO!」。

普段、電車に乗る機会はほとんど無い故、江ノ電鎌倉駅プラットホームで見る光景全てが新鮮です。ふと
駅表示版を見ると、「鎌倉」という駅名がさまざまな国の文字で表記されています。

中国語表記「鎌倉」では「倉」の字が「厄」という文字にどことなく似ています。

その文字を見たウチの同居人さんは「なんだか、厄介者が家の中にいるような感じ、だね。ウチの名字にも『倉』が入ってるし…」と、クールな笑顔を浮かべつつ、ワタシの顔をチラリ…。それはもう、コワくて返す言葉もありません。

程なくやって来た江ノ電に乗って、いにしえの町並みが広がる沿線風景を眺めつつ、ふとホームに降り立った途中駅。

江ノ電と、京都・嵐電姉妹提携5周年記念「京紫色電車」をワンショット。なんとなく「撮り鉄」になった一瞬です…。

鎌倉駅から江ノ電に揺られ、納品のために訪れた先は、かねてから「ぜひわが家にもお越しください」とのお言葉をいただいていた、坂の途中にある瀟洒なお宅でした。

家の構えやしっとりとした調度品、そして手作りのサンドイッチやクッキー…。ウイットに富んだお話しとともに淡いピンク色に輝くスパークリングワインやハーブティと供じられるたびに、当ブログ冒頭にて切に願った「ゆったりとしたスピードと心持ち…」の世界がここに。ワタシが手がけた四角皿も、いつも以上にモダンに見えることがなんとも嬉しく。、そしてちょっぴり「作り手冥利」を感じるひとときでもありました。

そして家路につく途中に立ち寄りし、いつものあのお店「六弥太」さん。蛇足ながら、写真はちょっぴり吉田類さん風?。

思えば、ここにもずっと以前から「ゆったりとしたスピードと心持ち」がありました…。


家に戻り、ようやく聴く機会が訪れた昨年末12月27日オンエアのTOKYO-FM 山下達郎「サンデーソングブック」。竹内まりやさんとの「年忘れ夫婦放談」を聴いていると、さながら10日ほど前の師走モードに引き戻されます。

この番組で毎年最後にお約束のようにオンエアされる達郎・まりやのデュエット「Letit be me」を聴きながら、あらためて「ゆったりハートの心持ち」の大切さを再確認した初春の一日となりました。

ここで一句

海街の風を感じるティーパーティ 心に響くLet it be me…。

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佐助ケ谷の潮風と杜の緑に見守られながら、「今年もよろしくお願いいたします」

2016-01-01 19:50:06 | 日記

穏やかな陽射しに包まれながら、新たな年がスタートしました。本日 元日の早朝、わが家から西の方向に望まれる里山は新春の朝日を浴びて紅々と萌えていました。

昨夜は光明寺にて、年明け間近かの名刹の表情を垣間見る貴重な体験に恵まれました。光明寺での大晦日の様子はこちらから。さらに年明けとともに近所の佐助稲荷神社へ初詣に出かけ、眠りに付いたのは年が明けての午前3時過ぎ。そして、就寝後わずか3時間後の今朝6時過ぎにはパッチリと目が覚めていました。

真夜中の年明けを挟んでお寺と神社のお参りをハシゴしたことを良いことに「今年は良いことあるかな…」などと考えながら、毎年三が日恒例のお餅焼きに勤しむことになります。

お餅も、そしてワタシの生業たる陶芸も、焼いてこそ真価あり…などと妙に悦に入りながら、「嫉妬のヤキモチは野暮ったいからご法度ですよっ」と軽く自らを戒めつつ、お餅は良い感じに焦げ目がついてきます。

思えばお正月の三が日、お餅を焼くワタシの傍らには、チー坊が興味深そうに鎮座していました。今年はいません…。

もし、ウチの同居人さんがチー坊のように傍らで鎮座していたら、それはそれで監視されているようでとても恐怖を感じる三が日となってしまいます。チー坊がいないことはさておき、一人静かにお餅と対峙できる幸せを感じた新年のひとときでもありました。

かねてより新春のたびにアップしてきましたが、ウチのおせちは東京の下町方面でよく見かける極めてシンプルなものとなっています。
 
子供の頃、数の子やカラスミ、そしてお煮しめといったおせち料理がいやでいやで仕方がありませんでした。しかしながら、歳を重ねるに連れて「美味しい、ありがたい…」と感じるようになってくるから不思議です。あと1カ月ほどで、ワタシも「還歴」、ではなくて「還暦」を迎えます。いよいよこれからが、おせちの美味しさが判る年頃、ということなのでしょうか。

ご近所では「鎌倉 佐助のさんぽ市」お店仲間各店舗さんがお昼前から、鎌倉散策のお客さんへ向けてフル回転という様相で、まずは幸先の良い年明けという感じです。暖かい陽射しを背に受けながら佐助の街の最北に位置する銭洗弁財天へ…。昨日の大晦日の夜から数えてじつに3件目のお参りとなります。


境内で参拝する方々の姿を目で追っていた時、背後から「あ~センセイ、おめでとうございます~」と声をかけられて思わず「ドキッ」。声の方向を振り向けば、ご近所のチビッ子・アイちゃんの一家がお参りに来ていました。

アイちゃんがまだ幼児だった頃から知っていますが、街で見かけるたびに可愛く、そして大きくなっていることがわかります。普段はとっても恥ずかしがり屋のアイちゃんですが、カメラを向けると「ピシっ」とカメラ目線になるのはさすが女の子。ふと気がつくと、少しばかり「ジイジ」気分のワタシがいます。

銭洗弁財天の喧騒を離れて、至近に位置する佐助稲荷神社の紅い鳥居の前まで「お参り…」。約12時間前の元旦未明に来た時とはうって変わって、木々の間から洩れてくる陽射しが、ひと足先に「春本番」を伝えてくれます。

そしてお正月ですから、「謎の同居人」さんもこんな感じで。

ちっちゃく写っているだけなので、姿も顏も「判読不能」なテイストとなっています。当人の弁を借りれば「恥をさらすのは今回だけ」なのだとか。お正月ですから…。

帰路、道沿いのお宅の庭では、いろいろな花が暖かさに誘われて咲き競っています。これは、椿?。

花ばかりではなく、まだ紅葉もあちらこちらに残っています。過ごし易い陽気に加え、街の木々も暖色系の葉花で彩られて、なんとも心地よい元日の一日となっています。

降りかかる災いを祓いのけると言われる「お祓いさん」も、赤い御幣の冬バージョンに。

チー坊ノワールの出来上がったばかりの看板も、柔らかな陽射しを浴びて黒いシルエットとランデヴー。シルエットの目ヂカラの方がチカラ強い!?

潮風と杜の緑にいだかれた佐助の街に移り住んで間もなく7年。その間に今回で7回目のお正月を迎えますが、かつて元日に佐助稲荷神社と銭洗弁財天を合わせて参詣したことはついぞありませんでした。昭和31年の申年生まれ、すなわち5回目の年男にして、同時に「還暦」のメモリアルイヤーということが、無意識のうちに「神様」や「仏様」の元へ意識が向かうのかも知れません。

ともあれ、今年も昨年同様、陶芸教室、ならびに日頃の歓談の場として、当工房にお越しいただければと思っています。


そしてまた、「鎌倉スパイス」ならびに「鎌倉紅茶」をはじめとする「チー坊ノワール」の世界もお引き立ていただければ幸いです。

あらためまして、今年もよろしくお願いいたします。
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